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さよなら、おせち、お雑煮

新年早々に、息子が水ぼうそうに感染した。
旅行をひとつキャンセルしたものの、今年のお正月は、なるべく移動をせずに、ゆっくり過ごしたいねと話していたので、希望通りの過ごし方となった。

私も夫も、年末年始の数日間は実家で家族と過ごすこと以外してこない人生だった。大晦日には、年越しそばを食べ、次の日の朝には、年末に仕込んでおいたおせちと、家でついた餅を焼いて入れたお雑煮を食べる。それを3日頃まで繰り返す。

昨今、若者のおせち離れ〜なんてことを耳にするが、私はおせちが好きだ。
食べるのももちろん好きだし、作るのも面倒ではあるけれど、母とあわただしく台所を行き来するのも案外楽しく、これをしないと、お正月気分にはなかなか浸れない人間になってしまっている。
28日に母と一緒に餅をついて、昆布巻きやら田づくりやら、黒豆なんかをちまちまと数日かけて用意する。
この時期にしか食べない、伊達巻も、手作りすると驚くほど簡単で、しかも楽しくて美味しい。

しかし、今年はと言えば、息子の水ぼうそう発覚間際に、お互いの実家にちらりと顔を出し、新年の挨拶をすませただけで、お雑煮を2回しか食べていない。
しかも、慣れ親しんだ実家のお雑煮は1回で、もう1回は、まだ3回しか食したことのない鶏肉の入った味のこい関東のお雑煮だ。
おせちに至っては、すでに食い尽くされており、ありつくことができなかった。
互いの両親は高齢化しており、作る労力と集まるの人の数を鑑みれば、簡素化され、1日分に減量されたおせちを責めることはできない。

なんだかうまく、年を越した気分に浸れず、「もっとお雑煮食べたかったなぁ・・・」なんてうそぶいて、友達も親戚もいない静かなリビングに家族三人でごろんと寝転んでいるとき、ふと気がついた。

そうか、これからは、私がこの家のお正月の味を作っていけばいいのか・・・

おせち作りに関しても、完全に母を手伝う気分だったこれまで。
しかし、これからは、私好みに、そして我々のライフスタイルや嗜好に合わせて、私が主体となって作っていくんだ。そして、それが息子の馴染みの正月の味になっていく。

次の日の朝、さっそく台所に立ち、お雑煮の汁を作ってみた。

日本において、なんとも中途半端な位置にある私の実家。それゆえ、これといって特徴のないごくシンプルなお雑煮。たっぷりの鰹節でしっかりと濃いめの出汁をとり、醤油で味付けする。あとは、茹でた大根、里芋、ほうれん草を入れ、さらに鰹節を上からふりかけるだけ。餅は角餅で、しっかりとこんがり焼くのが好みだ。たんぱく質は一切入っていない。
けれど、それを完コピする必要はどこにもない。
人生で食したことのあるお雑煮は2種類だけ。
鶏肉やらかまぼこやら、たんぱく質がこれでもかと入った、夫の実家のお雑煮。
しかしこれも、継承する必要などない。
食べたことはないけれど、福岡の方では、塩鯖が入っていると聞くし、牡蠣やいくらが入った豪勢なものもあれば、味付けだって、お味噌や、あんこなど、幾通りもあって無限に自由だ。

そんなことを考えていたたら楽しくなって、いろんなお雑煮を食べてみたくなった。と同時に、家庭を築いていくことは、すなわち味を作っていくことなんだなぁと思いつくと、毎日ごろごろして鈍った頭が、急にシャキッとした。
急に、親として、妻としての自分の輪郭をくっきりと意識した瞬間だった。

辛党で酒飲みの多い私の実家のおせちには、栗きんとんが入っていなかった。
甘党の夫の実家では、栗きんとんや、かまぼこの横に添えられた、何でできているのか全くわからない、さくらんぼの形をした甘いお菓子が大人気と聞き、結婚して最初に迎えるお正月には、母と一緒に、試行錯誤しながら初めての栗きんとん作りに挑戦したのが懐かしい。
きっと私のおせちには、栗きんとんは必ず登場することになるだろう。
そうやって、私は、実家のお正月を卒業する。

来年のお正月には、私が作ったおせちを携えて、母や父をもてなしたい。

麻佑子

#日記 #エッセイ #おせち #お雑煮

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