麻佑子

1986年生まれ。古本屋勤務後、2018年2月に男の子、2019年8月、2021年4月に女の子、2024年1月、男の子を出産。

麻佑子

1986年生まれ。古本屋勤務後、2018年2月に男の子、2019年8月、2021年4月に女の子、2024年1月、男の子を出産。

マガジン

  • Happy Journey 楽しい旅

    毎日、出会いと別れのくりかえし。 どんなはじまりも、おわりも笑顔でむかえられるように、はじめましてとさようならの手紙。

  • 役立たずの育児帖

    便利なTo do リストではないけれど、育児を通して感じたこと、見えてきた景色を綴っています。

  • 心梳く本たち

    からまった髪を梳かすように、読めば心を整えてくれる本のお話。

  • 詩と散文の隙間

    詩よりも長く、散文より短い、すきまの言葉。

最近の記事

はずむこどもたち

わけあって、母子入院している。 私たちが病床を与えられたユニット(という名称で区切られている)は、我が子のような0歳の乳幼児から、小学生、中学生、高校生までの幅広い年齢層の子どもたちが入所する、いわゆる小児病棟だ。 県内外から、様々な理由でやって来る子どもたち。 それぞれの日程で、やってきては、帰っていく。 構成は日々変わる。 年齢も性別も、病状もちがう子どもたちが、ある一瞬の共同生活を強いられている。 そんな子どもたちの様子は、実に興味深い。 病院にやってきたその

    • 民喜と馬

      基本的には大好きな競馬だが、ひとつだけ耐えられないことがある。 
それは、ラストスパートの激しい鞭打ちだ。 
「やめて!」 思わず叫びそうになり、目を伏せる。 
もう充分すぎるほど頑張っている。
あんな美しい馬体に、容赦無く鞭を打ち込むなんて、鞭を手にする騎手が、鬼のように見えてくる。 騎手によっては、あまり鞭を打たない人もいるから、上手くやれば、鞭なんて打たなくて済むんじゃないかと、無知な私は思ってしまうのだが… 
そもそも、何故馬は人間に乗られ、鞭打たれてまでも速く走ら

      • 言葉たちへ

        嵐のような毎日のなかで、常に思考はやまないのに、わたしの頭の中を、ただ通り過ぎ、行き去っていった言葉たちが、 「忘れないでくれよ」 「書き留めておいてくれよ」 と、うらめしそうにこちらをみながら、無慈悲にも、荒波の彼方へ飛ばされてゆく。 ごめんね、と胸がしめつけられても、動きだせない自分を、責めることができない。その力がわかない。 何から書き始めたらいいのか。 混乱してしまうほどに、33歳という日々は、一日一日を、満身創痍で生きすぎた。 週末の私たちときたら、さながら、週末

        • 落としたもの、失くしたものの正体

          お気に入りのピアスを落としてしまった。 すぐに探せる場所へは、すべて赴いたが見つからない。 あまりのショックに、表情を忘れてしまった数時間。 私の異変に気がついた息子、いつもなら逃げまわるはずの寝かしつけの時間になるやいなや、「ねんねするよー。」と、たましいの抜けきった私の手を取り、寝室へ連れて行ってくれた。 元来、あわてんぼうな性格ではある。 出かける時の、忘れ物の一つや二つは当たり前で、2歳にならない息子に「ケータイ持った?」と毎度確認されるほどだ。 しかし、2人目が

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        • Happy Journey 楽しい旅
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        記事

          よりどころは自分でつくる。

          一つだけでいい。 「これだけは」というものを決めてしまう。 例えば、私は、寝る前の絵本の読み聞かせ。 その日、感情に任せてほっぺをつねってしまい(最低)、子どもとの間に気まずい空気が流れていても、読み聞かせの時だけは、何事もなかったかのように、ごきげんで絵本を読む。 ほぼ炭水化物しか与えられなかったなぁと罪悪感に身を浸しても、完璧な一日だったかのように、全力でやりきる。 それができたらオッケーにする。 そして続ける。 子どもと同じ土俵に立って感情的になってしまう、ダメな親

          よりどころは自分でつくる。

          今日はどんな一日?

          朝がくるのが怖い。 今日は一日、どうやって過ごそう。 ずっと家の中にいるのはしんどい(私も子どもにとっても)。 でも、どこにいったらいい?何をしよう? あそこもここも、この間行ったばかり。ネタ切れだ。 もしも雨も降っていたら? 子どもは、一日一日、はっきりと気がつくほどに、目に見えて成長している。 昨日できなかったことが、一晩寝たらできるようになっている。 そんなかけがえのない一日なのに。 一緒に過ごすことができる時期なんて、数年なのに。 ぎゅっと抱きしめたり、手を繋

          今日はどんな一日?

          名もない主婦にも、名前はある。

          ーエッセイは、すでに有名な、名の知れた人が書くことに意味がある。ー どうやっても、その考えに行き着いてしまい、文章を書く手をとめてしまった。 あの人の日常を、思考回路を知りたい。だから読む。 となると、ただの一主婦である自分の書く文章など、一体、誰が読むのだろう。 そのぼんやりとした想いを、宙ぶらりんのまま放置して、時には忘れたふりをして、しれっと文章を書いていた。そして大体は、意味のないことに費やす時間を捻出する余裕もなく、意欲を失う。 だがしかし、ついに私は見つけて

          名もない主婦にも、名前はある。

          心梳く本たち 4

          あれ?こんなにちいさな本だったかしら? 手のひらにのるほどの、3冊の絵本を20数年ぶりに開き、自分がそれだけの年を重ね、大きく成長したことを思い知らされた。 繰り返し、くりかえし読んでもらったので、もうすっかりしみだらけで、背表紙は日焼けしている。どうやら、共箱はすでにどこかへ行ってしまったようだ。 『クリスマスの三つのおくりもの』という、小さなちいさな3冊組の絵本。 『ふたつのいちご』はかすみちゃん、 『ズボンのクリスマス』はもっくん、 『サンタクロースとれいちゃん』は

          心梳く本たち 4

          保留力について

          子育てをするようになってから、ラジオをよく聴くようになった。 手を動かしながら、耳を傾ける事が出来るし、子どもと2人きりの孤独な閉塞感を和らげてくれる。 いつものように、軽快な声に耳を澄ましていると、〝保留力〟という言葉が胸に留まった。 すぐには結論を出さず、ただ受け止める力のこと。そのまま保留しておく力のことだ。保留しておくことなんて、簡単に思うかもしれないが、これが案外難しい。 特に、せっかちなタチだったり、白黒にこだわるタイプの人であれば、グレーのまま置いておく、目の

          保留力について

          万能、魔法の塩とダンス

          以前、おもちゃを買い与えても、どうやって遊ぶのか思いつかなければ、全くやくに立たないというような趣旨のことを書いた。 息子が2歳まじかになり、さらに、親自身の想像力の大切さをひしひしと感じている。想像力というか、発想力というか。 なんとなく言葉も通じるようになり、嫌なものは嫌だ、と主張するようになってきた。体重は11キロ近くなり、無理やり抱っこして連れて行こうにもしんどい重さ。息子は癇癪持ちで、一度火がついたら、なかなか消火するのが難しく、パニックのような状態に陥ってし

          万能、魔法の塩とダンス

          行けなくて、行ける場所

          年が明けたら京都に遊びに行くという友達に、おすすめの場所をまとめて教えるね、と年末に約束したことを思い出し、あわててリストをつくる。 10代の終わりから20代の半ばにかけて、年に2,3回は足を運ぶほど、京都に恋していた時期があった。その後、すっかりご無沙汰してしまった私のなかの京都地図は、今もあの頃のままだ。果たして、まだ存在するのかどうか、しっかり確かめもせずに、思いつくままに店の名前と感想を打ちこんでゆく。 頭の中で、思い出の道をゆっくり歩き出すと、短い滞在時間では

          行けなくて、行ける場所

          ないものねだり

          「あぁ、おっぱいがなくていいなぁ・・・」 最近の私の口癖である。 かつての武器は、今やただの重荷となってしまった。 ーーー 10ヶ月になる息子は、夜泣きとまではいかないものの、平均して3,4回、多い時には5,6回目を覚ます。 細切れ睡眠は、ここ最近になって発症し、これが地味につらい。 とはいえ、その都度、数分間の添い乳をすれば、すぐにコロンと寝てくれるので、大変なうちに入らないのかもしれないが、よその事情を知らないのでわからない。 添い乳。 なんて便利な代物だろうと

          ないものねだり

          さよなら、おせち、お雑煮

          新年早々に、息子が水ぼうそうに感染した。 旅行をひとつキャンセルしたものの、今年のお正月は、なるべく移動をせずに、ゆっくり過ごしたいねと話していたので、希望通りの過ごし方となった。 私も夫も、年末年始の数日間は実家で家族と過ごすこと以外してこない人生だった。大晦日には、年越しそばを食べ、次の日の朝には、年末に仕込んでおいたおせちと、家でついた餅を焼いて入れたお雑煮を食べる。それを3日頃まで繰り返す。 昨今、若者のおせち離れ〜なんてことを耳にするが、私はおせちが好きだ。

          さよなら、おせち、お雑煮

          捏造する記憶

          今年は、夫に5年手帳をプレゼントしてもらったので、毎日欠かさずに日記をつけている。 自分で購入したり、はじめたりするときには続かないが、他人からの贈り物であるとなれば、何と無く続けなければ悪いな、という心理が働いて、今のところ無事に継続中である。 日記には、いいことしか書かない。 見返したときに、楽しいことばかりであれば、自分の人生を振り返ったときに、いい気分になれるかもしれないという、ささやかな期待からだ。 というよりもむしろ、傷ついたこと、嫌なこと、腹の立ったこと、悔

          捏造する記憶

          毎日がドラマ

          息子が生まれてからというもの、一体、どれくらい初対面の人と話したことだろう。 上京してからこの方、隣の部屋に住む人とさえ、一度も言葉を交わさぬまま引っ越したこともあるし、一日中、誰とも口をきかない日だって、ざらにあったというのに。 本当に、今までの私と同じ世界を生きているのだろうかと疑いたくなるほどに、一歩家の外に飛び出せば、最低5人以上の人と会話している。 通りすがりに、あら可愛い!と息子の足をさっとひとなでしてさってゆくおばあちゃん。 隣の車両の窓越しに、息

          毎日がドラマ

          好きよ、東京の子育て

          どうしてもの用事で、混雑する時間帯の電車に乗らなくては行けない日。 7ヶ月にして、早くも伝い歩きをする息子と一緒に乗り込むのには勇気がいる。 もう、じっとしていることに耐えきれず、大きくのけぞっては、抱っこ紐から「出せ〜、出せ〜」という趣旨の奇声を発し続けることが、目に見えているからだ。 優先席の前に進めば、ありがたいことに、席を譲っていただけることが多いのだが、先に述べたような状況に加えて、遊んでくれよと、アピールし出し、お隣の乗客のバックのファスナーを舐めはじめた

          好きよ、東京の子育て