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和ハーブのいろは 7の1 絶滅危惧種と知る秋の七草


食 人の身体は植物からできている
薬 健やかさを支える植物たち
色 匂い立つ生命の彩をいただく
浴 日本の宝の習慣”香温浴”
繊 紡ぎ綾なす草木の縁
粧 魅力を引き立て隠す術
礼 神を導き仏を癒し邪を払う
環 場を”整える”植物たちのちから
材 暮らしの基本は草木が造る
毒 毒と薬は”紙一重”は先人の知恵

和ハーブ図鑑』古谷暢基・平川美鶴(著)/一般社団法人和ハーブ協会 (編集・発行). 2017/8/26. p.4-13. 「序章 和ハーブと日本人の暮らし」 より


初めまして
和ハーブの勉強を始め、noteデビューしました
和ハーブのいろは 1~ では、
和ハーブ にほんのたからもの』(古谷暢基・平川美鶴(著)/一般社団法人和ハーブ協会 (編集). コスモの本. 2017/6/30. p.217)を軸に、整理した語彙、概念、内容を、自分用の補完情報も付加しつつ、メモ帳代わりに記録しております(和ハーブのいろは 0~では思想/視座の整理)
どうぞ、宜しくお願い致します

📒主要テキスト
和ハーブ にほんのたからもの』古谷暢基・平川美鶴(著)/一般社団法人和ハーブ協会 (編集). コスモの本. 2017/6/30. p.217
📒サブテキスト
和ハーブ図鑑』古谷暢基・平川美鶴(著)/一般社団法人和ハーブ協会 (編集・発行). 2017/8/26.  p.297
📒おすすめ関連図書
8つの和ハーブ物語〜忘れられた日本の宝物〜』平川美鶴・石上七鞘(著)/古谷暢基(総合監修).  産学社. 2015.4.25. p.153


今回のキキョウ(桔梗)については、サブテキスト内「七草」に、秋の七草の1種として載るのみでしたので、詳細は他の関係媒体で調べ加筆し、ご案内しております。


和ハーブとは
古来、日本人の生活と健康を支えてきた
日本のハーブ(有用植物)たちのこと

『和ハーブ にほんのたからもの』
カバーそで/冒頭より

🌿

すなわち、植物に触れること=日本の原点に触れること、そして和ハーブの「和」は「日本」というだけでなく、「和み、調和、人の和(輪)」の意味をも併せ持ちます。「和ハーブ」とはそうした身近な有用植物の活用にスポットを当て、現在と未来に結びつけて融合する、時代が生んだ新カルチャーです。

『和ハーブ図鑑』 おわりに p.293
~和ハーブから日本を知り、未来を分かち合う~
2017年 盛夏 平川美鶴氏の文章より


🦗


7月、ある朝、旧野川緑道沿いの花壇にて

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キキョウ(桔梗)~忘れられつつある秋の七草

学名:Platycodon grandiflorus
別名:バルーンフラワー
科名:キキョウ科 キキョウ属
分布:日本全土、朝鮮半島、中国、東シベリア


桔梗(キキョウ)はキキョウ科の宿根草で、花期は6月~9月です。万葉集の中で秋の七草と歌われている「朝貌の花」は本種であると言われています。

また、古くから日本人にとって馴染みの深い桔梗(キキョウ)は、近年個体数が減少してしまい、絶滅危惧種に指定されています。

桔梗(キキョウ)の花言葉|種類、特徴、色別の花言葉


■有用植物(ハーブ)として。人にとっての効能/使用方法


根にサポニンを多く含み、民間薬として使用されてきた

キキョウ科のキキョウの根の細根を去って乾燥したもので、鎮咳、去痰、排膿、抗炎症作用があります。キキョウを含む処方としては「桔梗湯(キキョウトウ)」「桔梗石膏(キキョウセッコウ)」「小柴胡湯加桔梗石膏(ショウサイコトウカキキョウセッコウ)」などがあり、いずれものどの腫れや痛み、咳や声がれなどに用いられます。また葛根と桔梗がともに入っている「参蘇飲(ジンソイン)」という処方は、胃腸の弱い人によく用いられる風邪薬です。

漢方内科あいそめクリニックHP>漢方コラム『秋の七草と漢方(葛根、桔梗)かぜの初期症状などに』2020.10.31
キキョウの根にはプラチコジンというサポニンが含まれています。一般にサポニンの水溶液は消えにくい泡を作る性質があって、その適量は気管の痰を出やすくすることから、去痰・鎮咳や排膿の生薬として使われてきました。
但し、多量服用すると、悪心、嘔吐を催すこともあり注意が必要です。


また食材にも、

また、太くて白いキキョウの根は流水中に十分さらしてあくを抜き、外皮を取りされ、漬物や山菜として食されます。

日本家庭薬協会HP>秋の薬草・薬木>秋の薬草 キキョウ:キキョウ科キキョウ属生薬名:桔梗根(キキョウコン)

(↓サムネ画像は「ナツメ:クロウメモドキ科生薬名:大棗(タイソウ)」)


薬酒にも、なっていた植物。お屠蘇の中身にも含まれる(★)

お屠蘇は屠蘇散(とそさん)と呼ばれる5~10種類の生薬を配合したものを、日本酒やみりんに漬け込んだ薬草酒です。使用する日本酒やみりんによってアルコール度数は変化しますが、おおよそ15度前後です。

屠蘇散に使用されるものは、製造メーカーによって異なります。ただし、体に良い作用を持つものが調合されています。使用される材料のなかでも、一般的なものはこちらです。

・「山椒(サンショウ)」胃を健やかに整える
・「陳皮(チンピ)」血行を良くして冷えの改善が期待できる
・「桂皮(ケイヒ)」または「肉桂(ニッケイ)」発汗や解熱、整腸作用
・「桔梗(キキョウ)」去痰作用や鎮静、鎮痛作用★
・「八角(ハッカク)」抗菌作用や健胃作用
・「白朮(ビャクジュツ)」健胃作用や利尿作用
・「防風(ボウフウ)」発汗や解熱作用、抗炎症作用

朝日酒造サイト> 知る  お正月に欠かせない「お屠蘇(おとそ)」の意味とは。意外と手軽な作り方も紹介>お屠蘇(おとそ)の基礎知識>お屠蘇の中身

(今度のお正月、作ってみたくなってきました)

漬け込み用の薬草『屠蘇散』
現在でも酒屋や薬屋、漢方薬局などで『屠蘇散(とそさん)』という漬け込み用の薬草が売っています

配合されている薬草
こちらは私の持っている屠蘇散です。中には以下の薬草が調合されています。

名称:効能
陳皮(チンピ):
干したみかんの皮。風邪の予防、咳や痰を鎮める、健胃作用
白朮(びゃくじゅつ):
オケラ。水分の代謝を調整。健胃、発汗、利尿作用。
花椒(かしょう):
中国サンショウの実。胃腸をあたためる、冷えからくる腹痛にも。
浜防風(はまぼうふう):
ハマボウフウの根。発汗、去痰、鎮痛作用。
桔梗(ききょう):☜
キキョウの根。去痰、解熱、鎮痛、鎮静作用。
丁字(ちょうじ):
クローブ。しゃっくり止め、歯痛止め、抗菌作用。
紅花(べにばな):
婦人病一般、冷え症、動脈硬化。
おうち菜園HP>カテゴリー>アロマとハーブ>和ハーブを日本酒に漬け込むだけ。正月の縁起酒「お屠蘇」の作り方とオリジナルレシピ2つ
BY 鈴木七重 · 2014年12月30日


鈴木七重:チムグスイ主宰
フィトセラピー協会認定フィトセラピスト(植物療法士)。和ハーブ協会認定和ハーブインストラクター。好きなハーブは、月桃。 チムグスイ主宰


なんと桔梗の花びらだけを摘んで(乳汁を取り)ホワイトリカーに漬けると、澄んだ淡青紫色の、美しいお酒ができるそうです🌺

(バタフライピーのリカー版みたいに映るのでしょうか・・安心できる土地で生やせたら、いつか桔梗育てて、花びらのお酒も作ってみたいです↓)

キキョウの若芽や若茎の先端の柔らかいところを、生のままテンプラ、炒め物とするほか、茹でて水に晒し、ゴマ和え、酢味噌和えとする。また根はササガケとし、水に良く晒してキンピラ風にする。
碧紫色の花は、天ぷらに。

薬酒
花を摘み、乳汁をふきとり、3倍量のホワイトリカーに漬けると、2~3時間で、澄んだ淡青紫色に仕上がる。色の美しい1~2週間の内に飲みきるように。

漢方薬のきぐすり.comトップページ>漢方を知る>病気と漢方>キキョウ


基本情報として一番詳しく載っているのは、以下の2つ

↑(一社)和ハーブ協会監修のサイト「薬用植物一覧表」



■開花時期について詳細

品種改良/栽培種も含めて現在では全体で、6-9月(新暦 in 新暦/グレゴリオ暦)の約4ヶ月に亘る

◇新暦の開花時期:6-9月 

 2 3 4,   5 6 7,   8 9 10,  11  12   1
  /    梅雨/    /    /
冬  春     夏     秋      冬 

つまり、

今の私たちにとってキキョウの花盛りは、
敢えて言えば暑い時期、夏🌽

この新暦6-9月の期間を、旧暦に照応させてみると、以下のように5-8月辺り(旧暦)になる。そしてまた旧暦では春夏秋冬の区分が、旧暦1月に春スタート&3か月おきの変化、となっており、

更に元々野辺のキキョウは、現在の品種改良/栽培種より気持ち遅めに(より秋めいた頃に)咲いていた、とも聞こえてくるので、整理すると・・

(旧暦の1月は新暦の2月頃にスタート↓)

◇旧暦の開花時期:5-8月 

2 3 4    5 6 7   8 9 10   11  12   1:新暦
1    2 3 / 4 5 6 / 7 8 9 /  10  11  12:旧暦
        →...............
 春     夏      秋      冬(旧暦の中での四季)

つまり、

キキョウの花盛りは、旧暦においては
秋🎑、の認識に

(今の新暦での8,9,10月が、旧暦での秋7,8,9月に相当する。&キキョウの花盛りが、現在より恐らく後倒しで新暦8,9月辺り=旧暦7,8月=旧暦での秋)


だからこそ日本列島では、江戸時代(前近代)までは、このような――


酒井抱一『槙に秋草図屏風』


”キキョウと言えば秋、秋と言えばキキョウ”の光景がイメージ化されていたのだ

そんな風に想像されるような顕れが、あちこちに、溢れてあったのだ

‥とやっと納得できる


(「螽」とは、きりぎりすのこと)


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『畫本(絵本)野山草(えほんのやまぐさ)』橘 保國(たちばな やすくに/正徳5年(1715) - 寛政4年閏2月23日(1792/4/14)). 宝暦5年(1755)刊行.  国立国会図書館デジタルコレクション『畫本野山草 [1]/小苑草 桔梗 志をさけ』より


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絵画だけでなく和歌の道にも、

桔梗が秋の七草の一つとされることが多いのは、万葉集の山上憶良の「七種(ななくさ)の花」の歌、

萩の花 尾花葛花くずばな 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花

の「朝顔の花」を桔梗と見てのことである。平安時代の漢和字書『新撰字鏡』に「桔梗、阿佐加保」云々とあることなどから、「万葉集の朝顔=桔梗」説は有力視されている。


「きちかう/きちこう/吉更」つまり、”更に、吉なるもの、吉を運ぶもの”と親しまれながら、こんな風に詠われてきた

平安時代の和歌では、桔梗は当時の漢字の発音から「きちかう」と呼ばれた。古今集の紀友則の物名歌、

秋ちかう野はなりにけり白露のおける草葉も色かはりゆく

は、初二句に「きちかうのはな」を隠した、手の込んだ言葉遊びである。「涼しさの増した晩夏の野では、毎朝白露に濡れる草の葉も色が衰えてゆく」というのは表面の歌意であって、永く咲き続けた桔梗の花がついに萎れてゆくことを愛惜したのがこの歌の真意であろう。「草葉も」の「も」にも「花」が隠されているのである。

やまとうたHP>和歌歳時記>桔梗 ききょう(ききやう/きちかう) Balloon flower


和歌に残るとは、そこに、感謝と敬意、祈りがあったのだろう。どれほど、共に生きていた植物だったのか、推し量られる


🌿


今回キキョウ(桔梗)について、特にその開花時期と生態を調べていてわかってきたことは、

今の私たちの眼には

①品種改良/栽培種によって、その植物・種本来(※)の、見頃や季節感が、見えなくなってきていること

言い換えると、

古来ある存在だと思い安易に親しんで眺めていたら、古来の季節感とはズレた形で認識してきていることが多いこと

古来と思っていたら、古来のそれではなかった事例が実は溢れている――旧暦新暦のズレによる捨象の問題だけでなく

(※”本来”の意味を、人は各自恣意的に捉え得ますが、ここでは、”時”を見る眼差しのカメラを、人間一人分の寿命や、数百年単位ではなく、数千年或いは数万年数十万年のスパンに引き俯瞰して捉えた時、例えばその種が元々、大部分の時のあいだをどう過ごして来たか、ある程度一貫して見えてくる姿――と想定してみます)

さらに、今の私たちの周囲からは

②今も尚、傍にあると思っていた和の草花が、あるのはほぼ品種改良後/栽培種だったりして、元々先人たちに眺められていた種は、”野辺”、里山と共に消え‥絶滅しかかっていること

そして、

🌿


古来ある存在はもう、いのち自体が周囲から消えていた

古来の日本人の美意識を培ったはずの、表裏一体のはずの、
そこに内包されて共に在るはずの
”自然”は、どこへ?


こんな、改めての問いが宿ります


🌿


|忘れられつつある秋の七草

”七草”とは元来、「秋の七草」を指すもの。「春の七草」は、元々「七”種”」と表記されていたもので、漢字の由来として、古代中国における「七種菜羹(ななしゅさいのかん)」のが挙げられる

また「春の七草(種)」は、旧暦正月の時期、野に出て七種の若菜を摘み食すという、古来の風習”若菜摘み”がルーツであり、植物は食用目的のものであるが、「秋の七草」は、秋の野の象徴である「ススキ」を代表とした、生活圏で私たちの祖先の眼を楽しませた秋の草花たち

なので、人里近くの日当たりのよい場所に生息していたものであり、現代においては、外来種/除草剤/草刈りや枝打ち等の影響を強く受ける存在

里山環境を手放すことがダイレクトに、「秋の七草」たちの絶滅に繋がっている

(サブテキスト『和ハーブ図鑑』p.158-159 七草よりまとめ)


|自生のキキョウもフジバカマも、既に絶滅危惧種

過去の遺産ともいえる「秋の七草」の語が今の私たちに伝えることは、万葉の美のロマンよりも、江戸琳派の美意識の魅力よりも、はるかに潜在的かつ逆説的に、先人が共に在った”美”、植物自体、里山環境自体、の不在・喪失なのだということ。そしてそれは恐らく、ある角度から捉えれば、致命的な顕れだとさえ、言えないか


野辺/里山と共に
消えゆく”和ハーブ”たち

悠久の時のあいだ
祖先(ルーツ)を支えてきてくれた
野辺の草花たち
ーーが絶滅していた


🌿


第2章 和ハーブと食文化 p.44-

2.1 植物食材のそれぞれの役割(本テキストp.35-)

2.1 植物食材のそれぞれの役割(前回)

 2.1.1 縄文遺跡に残る日本の食文化の原点
 2.1.2 糖質食材は自然界にはほとんど存在しない
 2.1.3 野菜・山菜・野菜の違いと”お菓子のルーツ”果物
 2.1.4 和のスパイス~日本人は元来「刺激物」が好き

2.2 地域別の環境に裏付けられる植物食文化 
 (本テキストp.55-) ☜
 2.2.1 気候風土と植生がもたらす地域食文化 ☜今回ココ
 2.2.2 山形に残る植物保存食文化
 2.2.3 「クサナギ飯」の不思議な共通点
 2.2.4 植物遣いの達人、アイヌ
 2.2.5 アイヌのお茶
 2.2.6 大和人を救った和のローズのビタミンC
 2.2.7 チャンプルー文化を象徴する「琉球ハーブ」
 2.2.8 島人たちを支えてきた「沖縄原産”命薬”ハーブ」 
 2.2.9 海のハーブは「抗酸化成分とミネラルの宝庫」
 2.2.10 崩れる沖縄長寿伝説と、望まれる健康食材

コラム 初めての入浴剤は和ハーブ

『和ハーブ にほんのたからもの』目次より
(階層/項目番号は筆者の採番)


|気候風土と植生がもたらす地域食文化

 主要テキストのnoteに入る前に、”和ハーブ”の勉強を通して、意味について改めて知り、考えさせられることになった「植生」の語について、記します

〇植生とは

植生は目で見る気候

 植物集団を総合的に景観としてとらえたもののことを植生という。
 植物は動物の用には動けない。したがって、ある場所では、その場所の環境条件に適った植物しか生育できない。だから、ある場所の自然の植生は、その場所の環境条件によって、ほぼ決まってくるといえる。
 植物には多くの種類があるが、その分布を決める最大の環境条件は気候である。したがって、自然の植生はその場所の気候条件によって支配されており、逆に言えば、植生はその地の気候条件を総合的に表現していることになる。「植生は目で見る気候」といわれるのは、このためである。

『森の文化史』只木良也, 講談社学術文庫, 2004.6.1, p.78 より(太字化筆者による)


上記引用内で、最大の環境条件は”気候”と挙げられていますが、”地理/地勢”が、その気候に作用する基礎的条件にあるかと思います


(…)その土地のもともとの植生のことを原植生(げんしょくせい)という。これは人間が自然に手をつける前の植生のことである。そして、これに人間がたえず手を加え、それによって維持されている植生を代償植生という。
 わが国は、前述のように降水量が多いから、ほとんどのところの原植生は森林だといえる。この森林を壊し、そのあとも草刈りや遊牧をたえず続けている草原、あるいは落ち葉や薪採取を続けてきたコナラ林やアカマツ林、これが代償植生の例である。
 そして、代償植生のところの人為による干渉をまったくやめた場合、その土地が支えることのできる植生のことを潜在自然植生という。人為が全く停止した場合、ほとんどは長年月をかけて原植生へ帰ってゆくはずであり、潜在自然植生イコール原植生と考えてもよい。しかし代償植生がかなり長期間にわたり、強い人為を受け続けてきたときには、人為干渉が停止しても、もはや原植生には帰らず、別の潜在自然植生となるのである。

『森の文化史』只木良也, 講談社学術文庫, 2004.6.1, p.21-22 より(太字化筆者による)


ここの只木先生のご視座で注目させられたのは、”里山”が、原植生に人間がたえず手を加え、それによって維持されている植生、つまり代償植生のカテゴリに入ることです


植生(しょくせい)とは、地球上の陸地において、ある場所に生育している植物の集団である。

地球上の陸地は、砂漠などの極端な乾燥地域や氷河地域を除いて、何らかの植物被覆で覆われている。そこに見られる植物被覆のことを植生という。この植生は、気候や土地条件の違い,あるいは人為的な作用の加わり方の違い、場所によりけりで森林や草原、耕作地、植物のごく少ない荒原などとなる。このようにその場の植物のありようによって、その場その場の景観(これを相観と言う)ははっきりと特色づけられる。そのためこれを把握する場合、植生もしくは植被と呼んでいる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>植生


また、こうして植生という語の理解を深めれば深めるほど、痛感させられているのは、

植生を見ることが、生計を立てる、或いは生活を営むことに、どれほど――直結し”ない”産業構造に今生れ落ちているのか、どれほどその構造に足をとられているか、ということ

この構造の元では、植生を見ることは、多くの人にとっては、趣味の範囲でしかなくなること。”和ハーブ”を見ることも、同類であること


戻って、主要テキストnoteへ


〇日本は「火山と海の国」

海に囲まれつつ、急激に切り立つ高い山脈を擁する南北に細長い列島—―「火山と海の国」であるこの地理/地勢的環境が、豊富な水源や多様な自然環境を生み出している。そして、

そこで育まれる植生が、土地ごとの豊かな食文化に繋がっている

大きく以下の3エリアに分類できる


①南西諸島や奄美諸島エリア

一年中豊かな亜熱帯性気候×海岸性の植生
海のミネラルの恵みと強い日光に対抗して作られるフィトケミカルの滋養が、豊富な海産物と共に、その土地で暮らす人々の命を支えてきた

②九州、四国、関西~関東の太平洋側平野部

穀物が実りやすく、海産物も収穫できる=豊かな食材に恵まれている
海岸・河川・里山等に生える植物や常緑照葉樹等の植生が飲食/料理文化の基盤

③山間部や東北以北等の寒冷地

穀物が育ちにくく、海産物も収穫できない
淡水の生物や山に暮らす鳥獣を収穫し、落葉広葉樹を中心とした植生を基盤に、冬季や飢饉に備えた飲食/料理文化が発展



≪今回はここまで≫

次回、各地の植物食文化の事例に入っていきます

🌿

以上、内容は参考文献『和ハーブ にほんのたからもの』(古谷暢基・平川美鶴(著)/一般社団法人和ハーブ協会 (編集))p.44-51、サブテキスト『和ハーブ図鑑』p.158-159)

を踏まえnote化したものです

参照情報/参考文献:本文中に記載
使用画像:筆者撮影


≪要検討/調査事項≫

地理/地勢的環境の分布図



🐝最後に🦋
🌸和ハーブを学び活用していくことの意義🌿

①先祖代々引き継がれ、また生まれ育ってきた環境における素材の恩恵を受けられる
②文化の根源素材である植物の研究により、先祖からの文化・歴史を知り、継承していく機運になる
③生活圏における自然環境の過去・現在・未来について、認知・把握することができる
④素材のトレイサビリティ(追跡性)やピュアリティ(純粋性)が見えやすいものを手にできる
⑤地域の素材を活かした産業を作り出し、雇用や経済を活性化することができる
⑥素材の遠方輸送における資源の浪費、それによって引き起こされる公害などを防ぐことができる

『和ハーブ にほんのたからもの』p.37より



参考🖊

七草について補足📝

現代では”七草”というと春の七草を思い出すが、元来は「秋の七草」を指す。というのも、そもそも”春の七草”の”くさ”は、”種”の字で表されるものだった

ルーツとしては2つの観点があり、ひとつは、風習自体が列島にあったというもの

①列島古来の食生活の知恵、風習の"若菜摘み”

わかなつみ【若菜摘み】[名]
正月最初の子(ね)の日に、野に出て七種の若菜を摘む宮中の行事。もとは神事であったが、のちには春の行楽となった(『三省堂 詳説古語辞典(初版)』(2000))


王朝時代の行事として知られるが、民間でも行われていた春の習わしだったと考えられる

~日本の古典文学や美術(日本画等)に触れられる方へ~

■古典の世界 邪気を払う「若菜摘み」
正月、初の子(ね)の日には、野辺に出て小松を引くという風習がある。健康と長寿を祈るもので、「子の日の小松」という。同じ初の子の日に、邪気を払う意味をもつ若菜を供する行事がある。本来は別な行事であったが、平安中期ころから『源氏物語』若菜・上の玉鬘(たまかずら)が催した源氏の「四十(しじふ)の賀」のように、初の子の日は、小松を引き若菜を供して、長寿を願い邪気を払うという子の日の宴になっていくのである。古くからわが国の民間でも行われていた春の「若菜摘み」は、王朝時代に年頭の祝儀の行事に発展したのである。

 ところで、子の日とは別に、正月七日(人日/じんじつ)に若菜を供する行事がある。これは、元来中国伝来の行事であったらしい。この七日の若菜は、七種の若菜を用いることになっていて、現在でも「七種粥(ななくさがゆ)」として行われている。(『三省堂 詳説古語辞典(初版)』(2000))


二つ目は、漢字の由来で説明されるように、大陸での風習を取り入れたというもの

②古代中国での「七種菜羹(ななしゅさいのかん)」なる7種の菜を入れた羹(あつもの)・・の、その7種の菜、を元としており、つまり

くさ、の文字が、

春の七”草” ← 春の七”種”

と、もとは”草”であった

旧暦の1月7日は人日(じんじつ)の節句。唐では「七種菜羹(ななしゅさいのかん)」という7種の菜を入れた羹(あつもの)を食べて、無病息災を願った。日本ではこの習慣が転じて七草粥を食べるようになった。

今日は何の日 > 1月7日。今日は人日 


その他、いろいろ発掘しておりましたもの、以下に残しておきます。

宜しければご覧ください(;^_^A


春の調
元治二年(慶應元年・1865)三月成立
作詞 未詳
作曲 二代目 杵屋勝三郎

〈本調子〉
千歳見ん 野辺の小松にひきそへし 霞の衣手に触れて
ゆかり嬉しきつぼすみれ 住むかひありて常磐なる めでたき御代にあい竹や
影も緑の草の戸に いつしかうつる鴬の 初音をここにしめゆいて
豊かな時も如月の 袖や袂を吹く風に とけてのどかな雪の山
実にいつまでも限りなき 実にいつまでも限りなき
松と竹とに契る齢は

長唄三味線方 松永鉄九郎氏による、
TEAM TETSUKURO >長唄メモ > 春の調べ より



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