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⑨TOKYO

誰も私の事を知ってる人がいない。
どこへ行っても誰も私を見ない。
何をしても誰にも何も言われない。
嬉しくて、嬉しくてウキウキ♪ワクワク♪
ここから新しい自分で居られる。
まるで生まれ変わったかのような気持ちだった。

3月。
高校の卒業式が終わって1週間後。
デザイン学校へ進学のため東京へ旅立ちました。
まぁ東京と言っても学校は原宿~千駄ヶ谷にあったけど、住んでいたのは神奈川県。
渋谷と横浜を繋ぐ東横線「武蔵小杉」駅
今では、高層マンションが立ち並ぶ大人気のエリアですが、当時は、大きなものと言ったら駅に隣接したイトーヨーカドーと聖マリアンナ病院があるくらいで、あとは昔ながらの商店街が並ぶ程度の町でした。
その商店街を抜け、南武線の線路脇を15分ほど歩くと私が住む女子寮がありました。
女子寮と言っても、学校専用の寮ではなく色々な専門学校の生徒50人ほどが一緒に暮らす「学生寮」だったので、美容師や服飾デザイン、建築など、皆んな目指すものはそれぞれでしたが10代の女子がそれだけ集まると、とにかく毎日賑やかで、朝食と夕食は大きな食堂でみんなと一緒に食べてるし、お風呂も1ヶ所で15人くらいまでは入れるものの、混雑する時間帯にはぎゅうぎゅうでくっ付きながら入ったり、中でも1番競争率の高いのは「公衆電話」でした!
携帯なんて無い時代。その人数の女の子が集まってるのに電話が2台しか無いので、そりゃーもう大変。
電話の横には小さな黒板が置いてあって、使いたい人は順番に名前を書いて自分の番が来るまでひたすら待つのみ。
その頃は、まだコンビニもなくて寮の側に何でも売ってる「商店」が1軒だけあって公衆電話が1台置いてあったものの、寮の門限は22時。
それが過ぎたら玄関を閉められてしまうので、よーやくそっちの電話の順番が回って来ても時間になったらダッシュで戻らなきゃダメ。
でも、その年代の女の子達は、そりゃー長話しで 皆んな受話器を握ったら最後。
持ってるテレホンカードが無くなるまで話してるんですよね〜。
朝まで待ってても回って来ない事もよくありました。

学校でも毎日が楽しくて♪
だって、大嫌いだった算数も無ければ、英語も社会も無いんですよ?
ずーっと絵を描いたり、作品を作ったりしてれば良いんだから、そりゃー楽しいですよ(笑)
私達のディスプレイ科は2クラスあって、私と同じ寮から通ってる静岡出身の子が隣のクラスに居たので 朝は一緒に行って、夜、寮に帰ってからは一緒に課題をしたり、その子とは卒業してからもずっと仲良しです。
でも、それぞれクラスにはクラスの友達が居て、気の合う同士 男の子も女の子も皆んな仲良くて、中でも同級のBとCの2人と、3歳上のDちゃん。の女子4人組が仲良しで、私以外の3人は埼玉と横浜の自宅住みだったので、東京の事を何も知らない私を色んな所へ連れて行ってくれました。
学校、バイト、友達、寮生活、色んな事が楽しくて、あっという間に1年が終わり2年生になる頃にはクラスの半分は辞めて居なくなってました。
私達4人は、そのまま進級できたので相変わらずでしたが、それぞれバイトが忙しくなったりして前ほど一緒に居られる時間も少なくなっていました。

ちょうど2年生になる頃、埼玉在住だった B が「お気に入りのバンドを見つけてライブに行ってみたら凄くカッコ良かったから一緒に行こう!」と、皆んなを誘ってくれました。
地元に居た頃は、バンドを組んでる友達も多かったのでライブにはよく行ってたし、久し振りに皆んなで行く事にしました。

残念ながら今はありませんが・・・下北沢にあるライブハウス「屋根裏」
ご存知の方も多いと思いますが、そこから出た有名アーティストも数多くいるくらい名の知れたライブハウスですね。
決して大きいとは言えないですが、お客さんは超満員でその人気ぶりが分かりました。
満を辞して、そこに現れたのは ロカビリーバンド「●●●」でした。
当時、まだアルバム発売とメジャーデビューを果たしたばかりとはいえ、インディーズ時代に各地のライブハウスの最高動員人数を更新するほどの人気だった、日本では珍しく本場の「ロカビリー」サウンドを演奏する5人組のバンドでした。
リーダーE の大きなウッドベースを軽々と回しながら刻む、リズムの良いベース音と一緒に、カチカチと音を響かせる低音と、ギタリストF の規則正しく唸るギター音、正確なリズムを刻みながらも激しいドラムのG。Hの響き渡るサックス。そこに可愛いくらいの甘いマスクと、それにも増しての甘い声を乗せてくるボーカル I 。
一瞬で会場は大盛り上がりになり女の子達の歓声が響きます。
皆んな黒いレザーに白いコードの飾りが付いたジャケットに、黒いスキニーパンツ、ラバーソールを履いて軽快にステップを踏みながら楽しそうに演奏したり歌ったりしています。
あ。ベースのリーダーEさん だけは、いつも黒のライダースにレッドウィングのワークブーツでしたけど。
とにかく皆んなカッコイイ!
私的には、今でも日本人の中では Gene Vincent の Be Bop A Lula や Eddie Cochran の C'mon Everybody を歌わせたら ボーカル I さん の右に出る人は居ないと思ってます。

とーぜんのようにライブが終わる頃には、すっかり皆んな大ファンになっていて、帰りにはライブハウスの出口でメンバー達が出て来るのを待ちながら、誰が誰のファンか?とか話しながら盛り上がってるくらいでした。
今で言う「推し」ですかね?
最初に、そのバンドを見つけて来たBは、初めからボーカルIさん。のファンで、それがキッカケで そのバンドを見つけたようなものでした。
年上のDちゃん はドラムのG、CはリーダーでベースのEさん。そして私はギターのFさん。って、自然と決まって行きました。
それからは、そのバンドのライブがある度に皆んなで見に行くようになって…数回目の時。
ちょっと早めに会場へ着いたのでライブハウスの周りでウロウロしてると、たまたまメンバーの会場入りに会えました。
まだ、他のファンの子達はほとんど居なかったので、一緒に写真を撮ってもらったり話しをしてるうちに、メンバー達も私達がいつも見に行ってたことを覚えていてくれたそうで、その日のライブ終わりに一緒に飲みに行く事になりました。
メジャーデビューはしていたものの、まだ そんなに知名度は高くなかったメンバー達はフツーに友達のように接してくれるようになり、それからはライブの後はいつも一緒に ご飯を食べに行くようになって、どんどん仲良くなって行ったのです。

ただし。
それは全て「ボーカルのIさん」を除いては。でしたけど。。。

~つづく~

※※お願い1※※
今回の話しはメンバー達の所属事務所や、現在も現役で活躍中のミュージシャンの方などが出てくるため、全てアルファベット・トークとさせていただきます。分かりずらくて申し訳ありませんが、ご理解ください。m(_ _)m
※※お願い2※※
アルバム関連やライブの時期などは、出来るだけ手元に残っている資料を基に書くようにしていますが、何分私の記憶に残っている範囲で書いていますので、多少のズレがあるかもしれません。その点は お許しいただけますようお願いします。m(_ _)m


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