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⑥残党

まさか?
当時の自分は数十年も経ってから、
こうして自分の事を文字にするようになるとは、想像もしなかったと思う。
この歳になって、あの頃の事を思い出して考えるなんて思ってもみなかった。
不思議なものですね。。。

私も中学3年になり、周りは進学を目指す人と、全然そんな事なんて考えもしないで、相変わらず遊んでる人との差が出始めるようになります。

先輩たちの大事件から後は、学校も教育委員会の人が頻繁に来たりして、タバコの取り締まりや、バイク禁止の強化、服装検査など、色々な対策をしてた事もあり、生徒同士の小さなケンカはあっても、そんなに大きな事件は起こらなかったですね。
主要メンバーの鑑別所送りやA先輩のように学校を去る人。
そのまま在籍は、しているけど学校に来なくなった人。
色々居たけど「残党」のようになってしまった先輩達には、あそこまでの事を起こそうとする人は居なかったと言うことでしょう。
そんな先輩たちも3月に卒業し、私の仲の良かった人達は、ほぼ皆、高校には行かなかったので
働いてる人、なにもせずに相変わらず遊んでる人、今で言う「反社会勢力」関係に入って「ホンマもん」になってる人、様々でした。

先輩たちが居なくなって、自分たちが学校の中では最高学年になり、それなりに自由に何でも出来るようになったものの、うちの学年には、あの先輩達のように何かしようとする人は居なくて
数人のツッパリくん達が、たまに揉め事起こして
先生とケンカしてる程度でした。
もしかしたら?
あの中で、本当は私が1番の「残党」だったのかもしれない・・・。

同じ学年の女の子達で、毎晩家を抜け出しては集まって夜中に遊んでる時期がありました。
まるで毎日「お泊まり会」をしてるよーで楽しかったんです。
私の家は、元々お爺ちゃん達が住んでいた木造の古い一軒家で私達親子4人が一緒に住むようになって数年後、起業した父が自分達の暮らす部屋を増やすため一部改築に合わせて2階を増築したのですが
すでに、自分の部屋が欲しくなる年頃になっていた私は、元、叔母が使っていた1階の小さな部屋を自分の1人部屋として使わせてもらう事になったのです。
両親と妹は2階で、私は祖父・祖母と1階に居た事もあり就寝の早い年寄りに見つからないように窓から抜け出すことなんて、とっても簡単な事だったので常連の1人になってました。
初めは仲の良い女の子3〜4人だけだったのに、その話を聞いた男の子達も少しづつ来るようになっていきました。
男女が一緒に集まるようになって来ると、とーぜんのようにカップルも出来はじめるわけで・・・
誰と誰がくっ付いたとか、誰が誰の事を好きだとか…そんな話が出て来るようになります。
いちおー私も、その時にはすでにA先輩とも終わっていたし、特に特定の人も居なかったので、数人の男子から「お申し込み」をいただく事が何回かあり、正直あんまり興味も無かったけど周りの後押しもあって とりあえず、付き合ってみるものの・・・
数日経つと、やっぱりツマん無くなっちゃって。
その気も無いのにいつまでも付き合ってるのも悪い気がして、結局、お断りする事が何度か続きました。
そーすると当然、何も知らない人達からは「男を取っ替え引っ換えしてる」とか言われるワケです。
もう面倒なので「硬派」で貫こうか?と、思った頃、たまたま、最初の頃から一緒に集まってた友達と付き合ってたはずの男の子から告られる事に・・・。
とーぜん。私は断りましたよ?
なんなら怒りましたよ?「○○と付き合ってんだよね?ふざけてんの?!」
ですが、その一件が友達の知ることとなり大激怒。
それからは、その子達を敵に回す事になり、以前の先輩達が広めてた内容を蒸し返しては騒ぐ始末。
結局「仲間」だと思っていた、その子達とは距離を置くようになりました。
なんだか色んな事にウンザリしていた頃、学校から帰ろうとして外へ出ると、校門の前にバイクが1台停まっていて声をかけられたので見てみると、事件の後の事を色々教えてくれた、あの先輩でした。
高校にも行かず地元に残っていた、その先輩はバイクの後ろに私を乗せて海まで連れて行ってくれて、その時の私の色々な話を聞いてくれました。
どうやら、まだ繋がりのあった後輩から、その時の私の状況を聞いて心配して来てくれたらしいです。
私の話を、ちょいちょいバカにしながらも
「お前は、あのAが見込んだ女だ。あんまりバカなことすんなよ」と先輩なりに励ましてくれたのでした。
ずいぶん後になって分かった事ですが。。。
そのイザコザの原因となった男の子は、私以外にも片っ端から誘っては手を出していたらしく、同時に「3又」くらいは当たり前になってたらしい。
それがバレて他の男の子達から袋叩きにあい、学校へは来なくなったと聞きました。
実は、その仕返しをしてくれた男の子達を裏で動かしてくれてたのは、私の話を聞いてくれた、その先輩だったそうです。
そして・・・
あの時、仲間だと思っていた友達3人が、3人とも私の事を敵対視するはずですよね〜「3又」の3人は、私以外の友達3人だったんですから。
こんな狭い田舎町で、そんなことしてたってバレない訳が無いのにねぇ。
まぁ。自業自得ってやつですね。

そんな、今まで一緒につるんでいた友人達と距離を置くようになってからクラスが同じだった女の子達と、仲良くなって行きました。
夜遊びもするよーな子も、バイクに乗るよーな子も居ない。
至って「フツー」の子達でした。
でも、その頃の私には、その「フツー」が、とっても居心地良かったんです。
その時の友人達のおかげで、地元の公立高校へ無事に入れたと言っても過言ではありません。
なんせ「元」とは言え、あれだけの事件を起こした「Aの女」です。
それは、当然、学校の先生達もみんな知っていた事なので一時は「要注意」扱いされていた私ですから。
そんな私にもフツーに接してくれたのは、何よりの救いでした。
その友人達も、皆んな結婚して住む場所はバラバラになってますが、地元に居る子は今でも、ちょくちょく一緒にご飯へ行ったりしている大好きな友人です。
ちなみに。。。
あの時、離れた3人は、全員一緒に 、某・女子高校へ入ったものの、すぐに退学してしまったそうです。
あのまま一緒に連んでいたら、多分、私も同じ事になっていたでしょう。
それは、それで、その人達の人生なので否定は全然しませんが、そーなると、この狭い町では、また沢山の人に迷惑をかける事になっていたと思います。

先輩達の「残党」でしか無かった私を「フツー」に受け入れてくれた、その友人達には、今でも、本当に感謝してます☺️
そんな風に、沢山の人に支えられて、激動の中学校生活は、よーやく終わりを向かえるのでした。


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