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三、永遠の少年と永遠

 さて、ここまで「永遠」という言葉を何度も用いてきたが、なぜそこまで「永遠」にこだわるのか。『美少年幻想』という合同同人誌の最初のテーマに「永遠」選んだのか。それは、僕自身の土台になった設定がある。それはアンデルセンの『雪の女王』という童話である。

学研版 数えきれないほど様々な出版社が刊行している

 『雪の女王』は独立したいくつかのお話に分かれるが、最初と最後をモチーフにしているので、そこだけ紹介する。

雪の女王とはどのような存在か

 悪魔の鏡の欠片が目と心臓に刺さってしまったせいで闇堕ちした男の子を、雪の女王が連れ去って、それを女の子が助けに行く、というというストーリーとなっている。

 このような書き方をすると、雪の女王が悪者のような印象を持つかもしれない。実際、小さい子向けの絵本だと雪の女王は悪いやつで、女の子が男の子を助けると消えてしまったり、逃げ出したりする。しかし、原作には雪の女王が最後どうなったのか、言及されてない。
 男の子を連れ去ったのは間違いのであるが、それだけで雪の女王が「悪」だとは言い切れない。男の子を連れ去るということ以外悪さというものをしていないのだ。

 悪者ではないのだけれど、男の子はずっと雪の女王の城にいる。そこで男の子が何をしているかというと、氷の欠片を組み合わせ何かを作る「理知の氷遊び」というパズルをしている。そしてそのパズルで、「永遠」という言葉が完成したら雪の女王から自由になれるのだが、男の子はそれを完成させることができないでいる。
 そう、闇堕ちして「永遠」というパズルを組み立てようとしている男の子(カイ)が柊野マユキのモデルなのだ。

純真無垢な美少年だけでないマユキの悪の側面

 ここでは、アンデルセン原作の『雪の女王』の「永遠」について触れながら、僕柊野マユキにとっての「永遠」について見ていきたい。

なぜお題が「永遠」なのか

 そもそもなぜ、「永遠」を作る、というお題が出されているのだろうか。小さい子向けバージョンの絵本だと、「永遠」という言葉を並べるパズルのシーンがごっそりカットされていたり、完成させる言葉が「愛」になっていたりした。だが、ある一定の年齢層以上を対象とした『雪の女王』では「永遠」というパズルを完成させなければならない展開となっている。

 雪の女王が悪として存在し、それに連れ去られた男の子を助けに行く、もしくは女の子の愛が男の子を救う、のような流れの方がきっと分かりやすい。
 けれども、原作で完成させないといけない言葉は「愛」ではなくて「永遠」じゃないといけない。「永遠」とは何なのだろう、そして雪の女王は何のために存在しているのだろうか、という疑問にぶつかる。

 「永遠」というパズルを作る要素は無くなっていた(ハズ)けれども、雪の女王の役割を作り手が深めたのがNHK版の雪の女王だ。なぜ雪の女王は男の子を連れ去ったのか。同アニメ絵本『NHKアニメ劇場 雪の女王 氷の城へ』(二〇〇六年NHK出版)によると、次のような理由がある。以下は要約である。

はるか昔、雪の女王は魔王と戦い城の床に封印した。けれども、魔王は少しずつ鏡に呪いをかけて雪の女王の留守の間に、女王に使える妖精たちを操って鏡を割らせた。鏡と魔王を封じ込めた床のパズルがリンクしていて、世界が大変なことになるので魔王を再び封印するために、パズルを元に戻そうとしている。

『NHKアニメ劇場 雪の女王 氷の城へ』(二〇〇六年NHK出版)

 原作と比較すると雪の女王の立ち位置は分かりやすい。また、男の子(カイ)をここに連れてきた理由にも触れており、床のパズルを完成させるために、彼を連れてきたのだという。さらに、カイの心が「もとにもどれないほどゆがんで」しまわないように、心を凍らせたのだと雪の女王は言う。雪の女王の存在理由は分かったが、「永遠」とは何か、という部分の謎の解決までは至らない。

もう一つの「雪の女王」をモデルにした作品

 ところで、『雪の女王』をモチーフにした作品がもう一つある。それは、一九九八年にリリースされた谷山浩子の『カイの迷宮』というコンセプトアルバムである。『雪の女王』は女の子が主人公なのだが、こちらは男の子の方が主役として存在している。こちらも「永遠」という言葉こそ出てこないが、それに対する解釈がなされている。

 アルバムのタイトルになっている「カイの迷宮」では、カイなる男の子が「永遠」に「孤独」である面が強調されている。歌詞を読み解いてみる。
僕が注目したいのは、この歌の最後のサビの部分である。

そして僕は ひとりになって
忘れたことすら 忘れてしまった 
僕のすみかは 氷の下
誰か僕を 僕を見つけてくれ

谷山浩子「カイの迷宮」

 谷山浩子の世界では、彼を助ける女の子の存在がない。しかもそれだけではなく、男の子は「氷の下」という壁の向こう側に存在している。これは、あちらとこちらで「永遠」に交わることがないことを意味しているのではないか。男の子は助けを求めるが、誰も助けにはこない。「永遠」の「孤独」に苛まれる物語として「カイの迷宮」は存在しているように感じる。

永遠の少年たちの苦しみ

 また、永遠の少年と聞いて思い浮かぶのは萩尾望都のやはり『ポーの一族』シリーズのエドガーとアランだろう。彼らは第一章であれほど追い求めた「永遠」を持っている存在として描かれている。しかし、少年が「永遠」を手にしてしまうと、たちまち「孤独」に苛まれてしまうのである。

萩尾望都『ポーの一族』

 吸血鬼(バンパネラ)として生きるエドガーたちは時間が止まっている。彼らは人間よりもはるかに長い年月、さらに「美少年」のまま生き続けることができる。いくつかの弱点はあるが、それを除けば死ぬことはなく永遠に十四歳のままである。しかし、彼らの周囲の世界は時間が動いているため、一つの街に長くとどまっておくことができない。もし彼らが吸血鬼だとばれてしまったら退治しにくるだろう。エドガーたちも、男の子と同じように「氷の下」のような壁の向こう側に存在している。少年たちは「永遠」に「孤独」を背負い続ければならない運命を背負わされてしまっているのだ。

 彼らの苦しみとはいったい何か。止まってしまった少年たちと彼らを取り巻く世界との差がどんどん広がっていくということではないか、と僕は考えている。当たり前だが、彼らが永遠の少年であろうが、なかろうが刻一刻と時は流れていくのである。要するに、別離があるから苦しいのだ。

当たり前だが、少年たち以外の登場人物は年を取り、いずれこの世を去る。長く生き続けるということは、多くの出会いがあるが、別れも多いということである。
 そんな時僕はこう考えるのである。出会いと別れが繰り返される世界において、先立つ辛さと、先立たれる辛さ、どちらが辛いだろう、と。

 儚く一瞬で過ぎ去る美少年を永遠の存在にしたいと思った人は古今東西たくさん居る。「永遠」を手にしても流れる時代の中に取り残されて、独り時間が止まったまま時を過ごすのも苦しみを伴う。彼ら自身は「永遠」の存在であったとしても、彼らを取り巻く人々が永遠ではない以上必ず別離が存在する。彼らはどれほど別離を繰り返してきただろう。

 孤独な永遠の少年たちに救いはあるのだろうか。御伽話では、王子様のキスで眠りについたお姫様は目を覚ますという。『雪の女王』では男の子の頬や胸に落ちた女の子の涙が男の子の氷ついた心を融かす。

「カイの迷宮」に登場する男の子も、まだ助けが来ていないだけで、「永遠」の孤独に近いように感じているだけなのかもしれない。とてもながい年月が経ってしまったように思えるけれどまだ僕を見つけてくれる人が居るかもしれない。
 もし、そんな時が来たら、もしも来るとしたら。そのとき、僕はまだ泣けるだろうか、僕はまた泣けるだろうか。
 少なくとも待つだけではダメだ。「僕はここにいる」と叫ばなければいけない。どれだけ小さくてちっぽけなものだとしても。

 「永遠」が何なのかは判然としないけれど、おそらくこれは永遠の少年である僕、柊野マユキが「永遠」を探す物語なのだ。

ルームメイトの一人セイ
ルームメイトの一人トワ

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