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生きる力

こんにちは、まゆきち⭐︎です。
東京朝から強い雨でしたが、出勤時間は少し降り方も弱くなって助かりました。

最近、実家の母と電話をしていて、また命のことや在宅医療や介護のことを考えていました。正解がないというか、気持ちが揺らぐことなどです。

父は昨年長期入院を経て、退院したのち、また2度入院生活を送りましたが、年末に家に戻り、その後は母と2人で穏やかに過ごしています。

わたしたち家族もお正月に実家で父に会いました。ベッドから孫たちにお年玉をくれて、乾杯の発声までする父の姿を奇跡的だなと思って見ていました。

毎日訪問看護師さんの手厚いケアを受けて、週に一度、在宅医の先生が往診してくださいます。

父は重い病気もあり、病院の血液内科に月に一度通院があるのですが、とうとう通院をしない選択を在宅医と相談して決めました。

10月にわたしも母と一緒に通院の手伝いをした時に、入院していた病院の主治医から、今後のことについて考えていく段階に来ていると言われていました。

積極的治療を継続するのか、どうか…。

頸椎損傷で不自由になった父は、年齢的には73とまだ若いのですが、身体的には、臓器的には、衰弱してきていて老衰のような状態にあるのだそうです。

病気が原因で…どうこうというよりは、多臓器不全に陥って…というような状態にあるので、これ以上病気に対する治療をしても、治るとかそういう話でもなく…。
だから、どうするのかということだったのです。

積極的治療を継続するなら、月に一度は血液内科に受診して、血液検査をして、輸血して、薬をもらってと半日車椅子となりますが、通院自体が大変になってきたというのもあるし、入院となれば、余生は家で過ごしたいという父の思いも叶えてあげられなくなるかもしれません。

痛みをとることをメインにして、積極的治療は少しずつ減らしていこうと決めました。

在宅で訪問看護師さんとコミュニケーションをとりながら、手厚いケアを受けているおかげで、奇跡の毎日を過ごせているのです。

たくさんの薬を経鼻チューブから流し込んだ9月、10月。

薬の量が多くて、乳鉢で砕くのが大変で、2時間おきで…こんなの続けてたら介護する方もおかしくなるよ…とたった1週間実家で手伝っただけでも思いました。

在宅医の先生や薬剤師さんのおかげで、今は点滴の中に薬も入れたり、重複を減らしてもらって投薬がずいぶん楽になったようです。
経鼻チューブを外したことで少しだけど好きなものを口から食べられるようになって、奇跡的に嚥下機能は回復したのです。

経鼻チューブは月に一度は取り替える必要があり、通院をしなければいけないので、在宅医の先生の判断で抜くことになったのですが…結果それがよかったようです。

家にいて、母がいて、顔馴染みの看護師さんが来てくれて…少しだけでも口から食べられて…心の安定と食べるということが、おいしいと思えることが、父の生きる力になっているのだと思うのです。

昨年の5月に主治医から、もうあなたの知っているお父さんじゃなくなっているとまで言われたこともありましたが、その頃を思えばすごい奇跡を起こしている父なのです。

🌈

積極的治療は少しずつ減らしていこうと、わたしも母と話し合って決めたのですが、それから数ヶ月が経って、毎日そばにいる母はこれでよかったのかと不安になったり、なんとなく見放されていくような感覚になってしまい、やりきれない気持ちになっていたようでした。

わたしは電話で話を聞くことしかできなくて、何も手伝えていないし、そばにいないのでわかってあげられない部分もたくさんあるんだと思うと、簡単に思いを伝えることも躊躇われて、聞くことしかできない無力さを感じます。

誰も見放してないよ。
お母さんがいて、慣れ親しんだ家にいられて、
お父さんは望みがかなって幸せやと思ってるよ。

というのがやっとでした。

コロナ禍で入院すると面会が容易ではないこともあって、在宅が最善だと母も最後のひとふんばりをしてくれています。

コロナも変異株が…となかなか落ち着くことがないので実家に帰るのも気が引けてしまっています。

どうか2人が穏やかでいられますように。

離れて暮らすわたしにはそう願うしかできませんが、いつも忘れないで父と母のことを考えていたいなと思っています。

このような気持ちの吐露を最後まで読んでくださって、どうもありがとうございました。

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