湯殿山語らぬ過去も未来へと
母方の祖母は鶴岡の人だった。
祖母がまだ幼いころ、母親が再婚することになったが、その嫁ぎ先に同じくらいの年齢の子供がいたらしく、祖母は北海道の親戚の家に貰われて行くことになったらしい。それ以降祖母は自分の母親が臨終の時に一度だけ再開したらしい。
去年の今頃、鶴岡を訪ねた。
鶴岡駅で入場券を買い、プラットフォームに立ってみた。ここでお母さんと別れたのかな~などと想像すると、トランス・ジェネレーショナル・トラウマと言う概念を実感したようだった。一昔前はよくあったことだと思う。でもそんな昔でもない。
今の鶴岡市は100年前に比べて多く変わっているはずだけど、祖母も絶対に見ていたはずの市内から見える鳥海山と月山は変わっていないだろうと想いを巡らせた。
月山は出羽三山の中でも過去を象徴する山。
出羽三山を参拝するにはまずは現在を見つめるために羽黒山で参拝。そして月山で過去と繋がり、最後に未来を意味する湯殿山の神社のお参りで再生することが出来る。
この湯殿神社の参拝の経験は人に語っては行けないことになっている。
芭蕉が ・ 語られぬ湯殿にぬらす袂かな
と詠み
曾良が・湯殿山銭ふむ道の泪かな
湯殿山に行けばよくわかる。険しい山登りに自信がなくても、車で行ける範囲と多少のウォーキングと参拝者用バスに乗りながら充分に湯殿山での再生を経験出来る。自分の今置かれた現状と向き合うために羽黒山と死者や自分の過去と向き合うために先に月山を先にまわるのがおすすめ。
インスピレーションがわかなかった今日、歳時記をパラパラとめくっていたら、「湯殿詣で」が夏の季語であることを知りました。一年前の旅と共に今は亡き祖母を思い出し、一句。
[ 湯殿山語らぬ過去も未来へと ]
*湯殿山ではこの写真の鳥居を過ぎると写真は不可。
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