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季節の感覚

犬と散歩に行くのが好きだった。

雨の日も風の日も雪の日も台風とか大雨とか
犬が安全でない場合以外ほぼ毎日犬と歩いていた。

犬の気分と飼い主の時間の都合により
散歩コースに少しの変化があるけれど
よく知れた道を毎日毎日歩くので
犬が歳をとって知らない場所を嫌がるようになっても
お散歩だけはある程度行ってくれていた。

これは本当に犬がお空にのぼり
お散歩に行かなくなってから実感したことではあるけれど
季節を感じる感性が本当に鈍くなったなと感じる。

ワンテンポ遅くなったなという感じ。
今はまだ子供が小さくて公園なんかに行くので暑い寒いを感じてはいるけど
普段は車移動の屋内作業。

外に出るのは洗濯物を出し入れする時や
極端な話移動の繋ぎでしか外気に触れないくらいの感覚なのだ。

あぁ寒くなってきたな。花粉が飛んでいるな。空気が湿ってきたから雨が降るかも。春の匂い。ご近所の朝ご飯はお魚かな。今日は湿度が高いな。空が高くなってきたから秋が近づいている。

実に15年分の季節の情報。
季節以外も入ってはいるが外。
屋外の情報。
目的地に向かうためではない外出。

ほぼ同じ時間の15年分のデータ。
考えてみたら莫大な情報量だ。

犬は偉大だなと改めて実感している1年。
15年
宝物をくれたので思い出しては放出したい。

また飼えばいいじゃない。

と言われたりもするが
子供が自分のことをもう少し出来る様になって
動物と暮らしたいと言えば考えなくもないけれど。

そういうことでもない。
現実的な話だけれど心の中のあの幸せなお散歩の時間は
何にも取って代われないもので
同じ犬でなければいけなかったし
別の犬ならそれは別の犬との時間。

だから少し寂しく愛おしい思い出なのだ。

向き合うということは
物事を紐解いていかなければ出来ない。
今までは犬がいなくなった現実を受け入れにくく
思い出しては悲しくなり違うことを考えるという作業ばかりしていたが
1年以上経ってようやく
言葉にしてできる事が少しづつ出てきた感じで
そこには無理もなく大きな悲しみも減っている。

時間というのは誰しもに平等で大きな力を持っているのに
存在が曖昧で主張がないので頼りにすることを忘れがちだけど
経過した時間を考えると
もう少しどっかりと乗っかってしまうのも手かなと思うのだ。

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