死にたくなることなんてあるよね
死にたくなることなんて、ある。
わたしは大学生の頃、失恋したとき
死のうとしたよ。
海に向かって歩いて、溺れ死のうとした。
ちゃんと、
1番お世話になった
1番大好きな
おばあちゃんにも
『今まで、ありがとう』
って、
電話をかけて。
深夜3時半とか4時だったのに、
おばあちゃんは眠剤飲んで寝る人のはずなのに
なぜか、電話に出たんだ。
死ぬ前に、ちゃんと、
ありがとうとお別れを言おうと思ったものの、
いざ、おばあちゃんの声を聞くと
涙ばかりで言葉が出てこなかった。
おばあちゃんは、
何かを察したのか、わたしを
励ますような、引き止めるような
そんな言葉を言い続けてくれた。
わたしはそれに堪えきれず、
自ら電話を切っちゃったなあ。
そして海へ向かって歩いた。
わたしを振った元彼は
わたしを心配して
引き止めようとしたり
連れ返そうとしたり
言うこと聞かないわたしを
おんぶしようとしてくれたりしてたけど
わたしは彼を
叩いたりなんだりして
振りほどいて振りほどいて、
ひとりになって、絶望しながら、歩いてた。
そして海に着いたとき、
もう日は明けてて、あかるかった。
でも、空がどよーーーーんとしてたの。
雲がたくさんで。
『あ、わたし、こんな空の下、死にたくないな』
ふっと、
そんな風に思った。
だからとりあえず死ぬのやめて
砂浜で寝た。
朝、助けてって言える友達の家に行って
『生きててくれてよかった』って言われて
ぼろぼろ泣いた。
まゆに観てほしいって
持ってきてくれた映画を見て
ぼろぼろ泣いた。
涙って、どうして枯れないのだろうと
不思議がりながら、枯れるまで泣いた。
泣き切ったらすっきりして、
わたしはいま、目の前にやりたいことのために、がんばりたいことがあるんだから、がんばろう。
そう思えた。
あの頃のわたしは
境界性パーソナリティー障害とか
そういうのに分類される人だった。
恋愛が、苦しくて苦しくてたまらなかった。
ふつうにさ、
生まれつき
親からの愛情表現が乏しかったり
家庭に虐待があったり
離婚やら仕事やら恋人やらで
独りにされたり、育児放棄だったりしたらさ、
こころはさみしいよね。
こころに穴はあいちゃうよね。
それを、恋人の存在によって
満たそうってしちゃうよね。
親の不調和や
親の中にある猛烈な憎しみや猛烈な恐怖
そういうのって、子どもは
不可抗力にコピーしちゃうから
お腹にいる時から。
それによって、
生きづらいよね。
苦しいよね。
わたしはすごく、生きづらかった。
この世の中は
繊細であればあるほど
優しければ優しいほど
真面目であれば真面目なほど
ピュアであればあるほどに
こころが痛いことがたくさんある。
生きづらいひとなんてたくさんいるよ。
『死ぬのだけはダメだ』
そういうひとは、
自分が死にたくなったこと、ないのかな。
それとも身近なひとが自ら命を絶ったことの
壮絶な悲しみからそう言ってるのかな。
わからないけど。
わたしは、
死にたくなることなんて、あるよね
っておもう。
だからこそ、
わたしは、
「あ、自分だけじゃないんだ」
って安心できるだれかが
ひとりでもいたらいいなって思って
ただ、わたしの物語をここに綴る。
だからこそ、
生きづらさを抱えたひとが
生きづらい自分に非があるんじゃなく
繊細な人を生きづらくしているこの社会に非があるのだと、
気付けるように。
自分が、自分として、この世に生まれてきたことを、100%でギフトだと思えるように、
住人みんなHSPという
‘きぼうのいえ”
という家をやってる。
ここは、もうひとつの《社会》
わたしは、
わたしの目の前に
やさしく
せんさいで
あたたかい世界を
つくってゆくよ。
三浦春馬さん、天国でどうか、しあわせに。
とってもよろこびます♡