(5)正義感の小学。人目を気にして生きたってどうせ嫌われるんじゃんと吹っ切れた中学。
小学生のころは、ずっと一緒にいた親友の子がいじめられやすくって、わたしは「いじめられている子と一緒にいたら、次は自分がターゲットになる」という暗黙の了解を、知っていながら、それでもその親友の子と一緒にいた。
正義感強く強気で毒舌な小学生だったと思う。
それだからか、わたしはいじめられっ子の親友の子と一緒にい続けても、なぜかわたしがいじめのターゲットになることはなかった。
ちょっと度の過ぎた嫌がらせをその親友の子が受けていた時、「それはもう先生に言ったほうがいいよ」ってわたしが言ったけど、親友の子は「でもそしたら、チクったんだってわかってもっとひどくなるから...」みたいに言ってて。
でももうわたしが、これ、そしたら、いつ終わるの?この子はずっとこんな辛い思いし続けなきゃなの?そんなんだめ!もうわたしが言う!となり、
その子の反対を押し切って、わたしが先生に「実はね、」と起きていたいじめの全てを、嫌がらせの全てを話した。そしてその話は両者の親にも知らされ、無事にその嫌がらせは終わった。
そのいじめられてた親友のお母さんに、涙目になりながら「まゆちゃん、言ってくれてほんとにありがとね」って言われたことをいまでもよく覚えている。
わたしはたぶん、自分が本当に守りたいと思ったものは、本気で守りにいく、そんな質がある。
弱くて、純粋で、愛おしい存在をものすごく強い力で守ろうとする。
その最たるものが、動物だ。
わたしは反撃のできない、言葉の話せない、言い返せない動物に対して、暴言・暴力をぶつける人間をまじで殺したくなってしまうときがある。
強い正義感、強い信念、強い愛は、こうやっていとも簡単に、闘いや悪へと姿を変える。
戦争には正義も悪もなくって、どちらも自分の正義を生きてる。正義同士のぶつかり合いとはよく言うけれど、それをわたしの内に見た。
小学校のころいじめられなかったからか、中学校に入ってからはいじめられた。わたしの所属していたバレー部は、ころころといじめられるターゲットが変わっていく式だった。その小学生の頃にわたしがそばにい続けた子も同じバレー部だったんだけど、わたしがいじめの標的になったとき、その親友の子は、そばにはいてくれなかった。
わたしは助けたけど、その子は助けてくれなかった。その事実になにか残酷さを感じたのを覚えている。それがあったからなのか、中学のころのわたしは、基本的にこころを閉ざしていたと思う。毒舌で正義感のある強気なリーダータイプだった小学生から、周りの空気や周りの目をめちゃ気にする心閉ざした中学生って感じになった。あくまでも自己認識だけと。
ちなみにその親友の子からは後に、
「自分がいじめられてる時まゆはそばにいてくれたのに、まゆがいじめられてるときそばにいれなくてごめんね」と謝ってくれた。いまでも仲良い大切な存在だ。
バレー部の中でいじめられていた時期は、よくひとりで歩く帰り道に空を見上げながら、「上を向いて歩こう」を泣きながら歌っていたのをよく覚えている。
わたしは、『一生続くものはない。必ずいつかは終わるから』と強く信じてたことを覚えてる。なんでかわかんないけど、確信してた。ずっとは続かないだろうと。
そして家に着く頃には、大好きなおばあちゃんに心配させないように、涙を拭い、元気よく『ただいまー!』って言って帰ってた。
バレー部とは別に、クラスの中でよくいっしょにいる4人グループがあった。その友達たちの前では小学生の頃のような素の自分が出せたんだけど、結局それも、「女友達と男子の前とでまゆの態度が全然違う、まゆの言葉で傷ついた。みんな言わないだけでまゆの言葉に傷ついたひとはたくさんいると思う」と実は嫌われていたことを中学の卒業式の前日に知らされた。
仲がいいと思ってた4人グループのうち、わたし以外の3人に呼び出されて、そのような内容を話されて、その内容がすべて書かれてある9枚もの手紙を渡されたのだ。
他の人には優しいのにうちらには毒舌だ、と。それはわたしが気を許していたからだったのだけど、心閉ざしてるが故に内と外とで、人に態度が変わってしまうわたしを二重人格だと思う、と言われたりもした。
蟹座の甲羅は硬いので、気を許した人と、許してない人とで態度が全く違うこと、AB型も2つの血液あるしよく二重人格が特徴に挙げられていること、からして、まぁふつうに彼女たちの言っていたことは的を得ていたんじゃないかと思う。
その9枚もの手紙のはじめには、まゆのことを大切に思っているからこそ、わざわざ伝えるんだ、まゆとはほんとうの友達になりたいから、って書いてあったけど、その思いを受け取れたのは、何年か経ってからだった。
去年くらいににその手紙を書いてくれた子と何年振りに会ってご飯に行ったときもそのときの話をした。
おばあちゃんたちがみんな死んだからわたしの実家が無くなる、ということで人生最大の断捨離をしたときに、その9枚の手紙も捨てさせてもらったのだけど、その時には、読み返した後に、「ありがとう」と素直に思えた。
わざわざ言わなくてもいいだろうことを、わざわざ言ってくれたのだ。それはいまのわたしが、その人との関係性を本気で大切にしたいのなら、きちんと自分の本音を伝える、ということと同じことだ。それを彼女らはまゆにしてくれたってことだったんだなあって、思えた。あとからね。
当時は単純に、仲良くしてると思ってた友達たちに、卒業式の前日に実はこういうところが嫌だったリストをたくさん言われて、ただただ、ショックだったし、呆然としたような感覚だった。
その日、当時付き合っていた男の子と一緒に帰る予定で。その男の子は、呼び出されたまゆをずっと待っててくれてて。その友達たちとの時間が終わってその男の子と合流して一緒に帰りはじめた時に、「なんだったの?大丈夫?」って聞かれたけど、まゆは答えられなかった。「なんでもない、大丈夫」とか、そんな風にしか言えなかった気がする。
自分の好きな男の子にさ、
自分が友達だと思ってた人に「まゆの男に対する態度が違くて嫌いって言われた」なんて、言えないよね。言いたくないよね。笑
まぁそんな感じで、中学の卒業式の前日に呼び出され、そんなショッキングな出来事があって、わたしの中の何かが吹っ切れた。
中学生という思春期そのものが、自意識が芽生える時期だったのもあるけど、わたしは中学生時代はすごく人目を気にして生きてた。
でも、人目を気にして生きたって、結局嫌われたではないか、と。それならもう人目を気にする意味なんてないなって、もう、人目を気にすんのやめよう。って高校生になった時にわたしは思ったのだった。
とってもよろこびます♡