人間のこころへの興味
わたしは小学生のころから人間のこころとか孤独とか天国と地獄とか、そういうことをよく考えていたのだけど、中3のころからアウシュビッツの歴史にも興味を持っていた。いろんな本を読んだりして、そこにどんな人間のこころがあり、虐殺という歴史が生まれているのか知りたかった。世界の平和を考えるならば、まずはその平和の対極にある虐殺と向き合わなければならないと、なんだか直感的に思ったのだ。
だから高校生のころに、世界3大虐殺といわれる、カンボジアのポルポト政権、ルワンダのツチ族・フツ族大虐殺、そしてアウシュビッツのユダヤ人ホロコースト。この3つの地には必ず自分の足を運ぼうと決めてた。(結局ルワンダだけいまだに行けていない)
カンボジアには、大学1年目のときに行った。
キリングフィールドを訪れ、大量の頭蓋骨を見たり、地雷除去に励むカンボジア人のお話を聞いたり、カンボジアの小学校で英語を教えたりした。
そして大学2年目の頃、授業の一環でついにわたしはポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所に足を運ぶことができた。アウシュビッツには、ガイドのお仕事をしている人たちがいるんだけど、唯一のアジア人ガイドが、日本人の中谷さんという方で、その人の案内や問いかけと共に館内をまわった。ガイドの存在が、このアウシュビッツ強制収容所の価値を、何倍にもしてくれていた。
これは中谷さんの著作のひとつ。とってもおもしろかった。これを読んでからアウシュビッツに行くのがおすすめ👇
ホロコーストを次世代に伝える―アウシュヴィッツ・ミュージアムのガイドとして (岩波ブックレット)
https://www.amazon.co.jp/ホロコーストを次世代に伝える―アウシュヴィッツ・ミュージアムのガイドとして-岩波ブックレット-中谷-剛/dp/4000094106#
(なぜかリンク飛べるふうにできなかった。)
当時わたしがアウシュビッツに行った後に投稿していたFacebookの記事↓
すべては小さなか弱き怯えから
ポルポトの虐殺をカンボジアで見てきて
アウシュビッツの虐殺をポーランドで見てきて
ぜんぶすべては、
人間の
怯え
自分の立場や権利が
脅かされるかもしれないという不安と恐怖
から、全てが始まっているのだと分かった。
あんなにも強く大きな『残虐』
なんて、か弱い『こころ』から始まっていたのだろう。
あの頃を生きてたひとたちが
鬱憤を晴らしたくなったひとたちが
自分たちの立場を守りたかった人たちが
自分の存在意義が脅かされるという
不安と恐怖と隣り合わせに生きてた人たちが
もしも、
自分のマイナスの感情を
自分の中の汚い、ずるい、残虐なこころを
自分の心の闇を
そのままに誰かに受け取ってもらえたなら
誰かと分かち合えたなら
その人の中のこころに「安心」が生まれたなら
同じように残虐な行為をしてたのだろうか。
そんなことをわたしはおもう。
大きく見える残虐という歴史も
根っこを辿れば、人間のこころのなかにある。
誰しもが持っているようなこころの種から、
始まっている。
あのとき、
多数派に流れたひとと
あのとき
残虐な行為を選んだひとと
おなじこころの種がわたしの中にもある。
なにか、気の狂った変わった人間が
残虐という歴史をつくったのではないのだ。
残虐性の種は誰の心の中にもある。
それが芽吹かないか、芽吹いてしまうか、
ただそれだけの話なのだ。
それはある種、運ともいえる。
だからこそ、
自分の中にいる闇に
真っ向勝負で光をあてる。
許す。
そう思っちゃうよねって
こわいんだよねって。
いい部分だけじゃなく
陰の部分も
闇の部分も
まるごと愛してわたしは生きていたいなと思っている。