(8)セブでの0円留学。貧困地域で暮らして見えた、本当に大切なこと
これのつづき。
現金稼ぎ
ポスター貼りを終え、船賃は0円にし、次は現金稼ぎのため、バイト漬けの日々が始まった。
ポス貼り用のシェアハウスを退去し、エアビーで見つけたアパートのシェアハウスに入居し、朝から昼パチンコ清掃バイト、夜は派遣で関東中のガールズバーやキャバクラ、ラウンジ、スナックで働き始発で家に帰るという毎日だった。始発で帰ってシャワーを浴びて1、2時間寝たら朝の7時には開店前パチンコ清掃に行っていて、ほぼ睡眠時間はなかったけど、不思議と体調も崩すことなく、やりきれた。若さとはすごい。
そして無事に99万分の割引を貯め、必要な現金も貯め、セブへの0円留学へと出発した。
スラム地域での0円留学
0円留学というのは、1日の半分コールセンターで仕事をする代わりに、1日の半分、マンツーマン英語レッスンと、ホテル滞在費が無料、というものだ。わたしは2ヶ間滞在した。
これに行くと決めた理由は、貧困の地域で暮らしてみたかったのと英語を身につけたかったから、スラムが近くにある中で暮らすこと、貧困問題を生活の中で目の当たりにすること、そこで生きている人間たちと出会い、実際に触れ合うことがしたかった。
ホテルから職場兼学校があるビルまでは、とにかく物乞いのひとたちがたくさんいた。子ども、身体の一部がないひと、バスや車の窓をトントンするひと、常に常に、日本では目にすることのないような人たちを目にする毎日だった。
物乞いに対する自分の在り方に頭を悩ませた日々
物乞いをしてくる人たちに対して、一時的でなんの根本的な解決にもならないお金をあげたほうがいいのか、あげないほうがいいのか。
無視することに胸が痛むからとお金をあげることは偽善行為なのか。そもそも偽善行為と援助は何が違うのか。そこに違いはあるのか。
大義名分を元に、貧しい人を救うその人間に少しでも承認欲求や社会的な賞賛を求める心があるのであれば、それは貧しい人たちが、援助者のエゴ満たしに使われているだけなのではないか、とか、かくいうわたしにだって同じような動機があるではないか、などひたすら悶々と頭を悩ませる日々だった。
現地の人から聞いた。
身体がない人や子どもの中には
自分の親に腕や足を切り落とされた人もいるのだと。
それは身体の一部がないほうが
「かわいそう」と思ってもらえるから。
「かわいそう」と思われれば、お金もらえる可能性が高くなるから、だと。
わたしはそれを聞いた時
「変だ」と思った。
生命に対する大きな違和感があった。
でも、そうすることでしか日々を生きていけない。
わたしの中にだって、五体満足のひとよりも
五体不満足の人を見たときの方が
「わっ。」ってなる。
でもそれで
お金をあげることは
どうしても変だとおもったのだ。
わたしはそもそもこの不平等な
仕組み、システム自体に
「どうにかしたい」という感情があったのに
それを作り上げている構造自体に
加担する行為に思えたのだ。
とは言っても
わたしが物乞いの人を前に
お金をあげない、という選択をしたところで
そんな大きな規模のシステム、構造が
よくなることも、変化することもないと
わかっていて。
結局
お金をあげることだって
お金をあげないことを選ぶことだって
どちらにせよ、自己満なんだと思った。
所詮わたしには
自己満しかできないんだとわかった。
自己満でいいんだと思った。
だから結局答えなんて出なくて
気分で選ぶようになった。
お金を渡したいと思った時はあげる。
渡したいと思えなかった時は渡さない。
そんなふうに生活の中で出会う
物乞いの人たちと関わっていった。
当たり前に「ある」選択肢と、当たり前に「ない」選択
大好きなわたしの英語の先生がこの世の不条理に『I have no choice 』と泣くのを見た時、わたしは、高校生のころと同じような感情が生まれた。たまたま生まれ落ちた国が違うだけで。彼らにはどうしようもない領域がある。
たまたま決まった生まれ落ちた国によって、取れないビザがある、行けない国がある、行くために必要なお金がある、必要な書類がある、その『決まり』は、彼らにはどうしようもないのだ。
わたしたち日本人は、たまたま日本人ってだけで、ほとんどの国のビザを取れる。ほとんどの国に行ける。それは当たり前なことではないのだ。
当たり前に「ある」選択肢と
当たり前に「ない」選択肢を
突きつけられた。
もうこれ以上、自分には選択肢がないと嘆くひとを目にしたくないと、そのためにできることをしようと、当時のわたしは強く強く思った。
ほんとうの心の豊かさ。
休みの日には、スラムに足を運ぶのを趣味にしていた。周りの友達はセブおなじみのマリンスポーツやおいしいレストランなどで楽しんでいたが、わたしはマリンスポーツとか一度もしなかった。暮らしが見たかった。文化に触れたかった。そこに生きる人たちが、どんな家で、どんな空間の中で、どんな習慣の中で、どんな役割の中で、どんな日常を生きているのか、そこにしか興味がなかった。
最も記憶に残るスラムは、
セブの最貧困地区と言われているロレガというところ。
そこは「墓場のスラム」「最貧困地区」と呼ばれていた。でもそこでわたしが出会ったのは、屈託のない笑顔と底抜けな明るさで。
セブ最大のスラムにあったのは
セブ最大の豊かさだった。
スラムの子どもたちと
家族のこと今の大統領のこと
日本の地震・津波のことなど
いろいろなことを話すことができた。
当時、新しいフィリピン大統領の影響あって、
「自分の親が殺されたんだ」
「大統領がわたしの親を殺したんだ」
って話す子どもがいて。
他にも宗教的に中絶ができないから
生まれた頃からお父さんを知らない子どももたくさんいて。
そういう子どもたちの気持ちを想像はできても、きっとわたしが真に理解することなんてできないのだろうなって思った。
それなのに家族の話題になったとき
わたしの親は離婚してるんだって言ったら
なんだか悲しい雰囲気になって、
子どもたちがわたしを元気づけようと
遊ぼうって手を引っ張ってくれた。
そしてみんなで輪になって手を繋いで地元の子供達みんながいつもやってる遊びを一緒にした。
この子たちは親を亡くしているのに、親を知らないのに、ただ親が離婚しただけのわたしに、寄り添ってきてくれたのだ。
すごくあったかかかった。
『悲しいことは分け合ってみんなで楽しもう、元気だそう』って言ってくれた。
なんてたくましくて愛に溢れた子たちなんだろうって思った。
「本当のこころの豊かさ」ってものを見せつけられた。
何気ない愛が溶かした、わたしのこころ
もう一つ、セブでの大きな経験。それは
田舎に泊まろう! in カモテス諸島。
『今晩泊まらせてもらえませんか?』という文言を現地の言葉で紙に書き、手当たり次第声をかけてゆこうという遊びをやってみた。1人でやろうと思ってたけど、一緒に行ってくれる人が出てきて、2人でカモテス諸島に向かう船の中で、声をかけてった。
どうなるかと思ってたけどあるひとりの男性がその場で家族に連絡を取り、OKをしてくれた。その家族は、奥さんが小学校の先生をしてて、小さい子供がひとり、あとおじいちゃん、おばあちゃんと5人暮らしの家庭だった。
彼らの暮らしは極めて質素でシンプルでそれでいて愛とユニークさに溢れていた。
夜中までおじいちゃんが酔っ払いながらカラオケを歌っていた姿と音量には笑ってしまったし、想いあい、仲睦まじく子供をあやし面倒を見て、暮らしを紡いでいる夫婦の姿は、わたしの胸を打った。
食事を見れば決して豊かな家ではなかった。それでも彼らの幸福度は極めて高いように見えた。
こういう一般的には貧しいとされるような村での生活はカンボジアぶりだったけど
やっぱり本当の豊かさがこういうところにはたくさん詰まってる。
村の人たちが当たり前のように、
何気なくしてくれることが
わたしにとっては受け取ったことのない愛だったりするのだ。
ハグをしたり、頭をポンポンされたり、頭わしゃわしゃしてくれたり、彼らが何気なくしてきてくれる行動の、一つひとつがわたしの中のこころの垣根を溶かしていった。
旅に奇跡はつきもの
この家族のところには、セブ滞在中に2回行った。
2回目は、1人だしアポなしだし無事にあの山奥の家まで辿り着き、再会できるのか不安だったんだけど、奇跡が待ってた!旅先では奇跡としかいいようのない出来事が起こるから好きだ。
わたしがひとり乗ったカモテスへ向かう船の中で家族のぱぱ、Jessieに偶然出会えたのだ!!!!
もう見つけた瞬間「Jessieー!」って叫んで彼のもとへ走って行って、彼もまたものすごくびっくりした顔をしてて。(笑)
彼の第一声は「なんでいるの?」って(笑)
後から聞いたら本当は夕方の便に乗ろうとしてたけど、直前で予定を変えたとのこと。
本当に自分は強運だしラッキーだと思い、同時にこの家族との間に運命すら感じた。
そして田舎に泊まろうお決まりの
「Can I stay your home?」
『Sure!』って流れでcrazyなバイク旅の果てに無事に家族と再会が果たせた。
わたしの中での『家族』という言葉に温度が宿ったとき
3日間すごく濃かったんだけど
1番嬉しかったのは「You are my family」って何度も言ってくれたこと。
そのころ「家族」って言葉にいい思い入れのなかったわたしにとって、その言葉はほんとうに嬉しくて、涙が出そうになった。家族ってのは大切で価値あるもので宝物なんだってことを教えてくれた。
埋まることはないと思っていた心の穴を、このカモテスの家族と過ごす時間でわたしが受け取ったあたたかさが、愛が、埋めてくれた。
もう自分の過去の生い立ちや家庭環境に負い目を感じずに生きていけそうって、生まれて初めてそう思えたのだった。わたしのなかでの【家族】という日本語にはじめてあたたかな温度が灯ったときだった。
本当に欲しいもの。本当の豊かさ。
人を思いやること
お互いに助け合うこと
困ってる人を見て見ぬふりしないこと
自分より他人を優先すること
愛情を持って誰かと接すること
それらがここでの『当たり前』だった。
日本のような物質的豊かさはなくても
たくさんの精神的豊かさがそこにはある。
一方日本は
他人が本当に『他人』になる
お金があれば欲しいものは何でも手に入る。
それは逆にいうとお金がないと何も手に入らないのだ。
日本の田舎にはまだその文化が残っているが、お裾分けや与え合いの文化が彼らの暮らしに根付いていた。
お金さえあれば、どんな物もサービスも手に入るこの日本、わたしたちは、「ほんとうに欲しいもの」は果たして手に入っているのだろうか。
なんでもお金で手に入るその一方で
満たされない思いが強まり
欲求が複雑化してしまう
比較と競争が刷り込まれたこの社会で、
承認欲求も強くなる。
生産性がなければ生きてていいのかわからなくさせてしまう空気がこの日本社会にはある。
便利さとサービス化の一方で孤立が進む。
自ら命を落とす人もたくさんいる。
生活をするために仕事をするはずが
仕事のせいで生活がままならないという状況が起きている。
仕事で疲れたサラリーマンたちは、魂を売っているかのような死んだ目をしながらスマートフォンのゲームをしている。
マッチングアプリに出てくるたくさんの顔たちを、ひたすら高速で機械的に左スワイプする若者たち。
生命が、生命として、存在していない。
精神的豊かさがどこかへいってる要素が日本には確実にある。
わたしはそんなふうに思っている。
国際協力
貧困
開発援助
そういったものたちと
自分の中での違和感や自己満に悩み
貧しい地域での歪な現実や
ほんとうのあたたかさ、温もり、愛と出会い
そこから見えた、本当に大切なものたち。
・何をしたって、どう転んだって、結局すべては自己満。自己満しかできないのだから、本当に、自分が満足する方、納得する方を選んでゆけばいい。
・当たり前に「ある」選択肢に、気づいてゆくこと
・ほんとうの心の豊かさは、人の心を溶かしてくれるし、ほんとうの愛は、人の言葉への概念をも変えてしまえる。
この時から5年経った今、振り返っても、
本当に濃い2ヶ月のセブでの0円留学生活だった
おわり。
とってもよろこびます♡