(13)「人生を愛する」の意味を知った日
死ぬまでに必ず行くと決めていたウユニ塩湖。南米の最南端のウシュアイアという国で、ピースボートを一時離脱し、陸路にて女友達と2人でバックパックで南米を旅した。
アタカマ砂漠から2泊3日かけてウユニへ。
その道中、見たこともない自然を
涙が出るほどの絶景をたくさん見た。
生きててよかったと、
自分が自分でよかったと、
地球と自然にありがとうと、
心から思った。
有無を言わさず
無条件に
生命を全肯定してくれる、
壮大で偉大な自然のパワーを知った。
そして、
私なりの『人生を愛する』が
どういうことなのか見えた。
ムヒカさんがピースボートに来てくれたときに残した「人生を愛する」という言葉。
ずっとひっかかってた。
どういうことなんだろう?って。
でも、答えが見えた。
私はこれまで「人」にフォーカスして
海外へ行っていた。このピースボートも然り。
それは将来の教育の分野において
活きる経験が欲しかったから。
その経験を使って、国際理解教育や開発教育というやりたいことをやっていきたかったから。
日本以外の「人」や「子ども」と関わり
自分の幅を広げて人間性を深め、わたしが見てきた【別の世界に生きる人たちの存在】を日本の子どもたちに伝えたいと思ってた。
でもここには人でなく「自然」がいる。
こんなにも自然を感じて感動したのは生まれて初めてだった。でも、そこでふと思った。
「この経験って今後、教育に生きるのかな?」
もしかしたら将来の教育という分野に限れば、生きないのかもしれない。でも自分の人生のことだけを考えたらこの経験は価値も意味もあるもの。
だって、見たことない自然に触れて、心が動いて、なによりもいま、幸せだから。
そしてその時『自分の人生のためだけを考えたっていいんじゃん』ってはじめて思った。
それがムヒカさんが言ってた「人生を愛する」なのかもって思った。
小学生の頃から『意味のないこと・無駄なこと』が嫌いだったわたし。
『無駄なことはしない』と毎月の目標に書いていた。
このピースボートの経験もすべて教員になったときに活かせるものにしようと決めていたわたし。が、はじめて、教員になってから活きないかもだけど【今この瞬間の自分のためだけ】に、自然の中に行った。
意味のあることだけを追い求めて生きてきたこれまでのわたし。
価値のあることだけを追い求めてきたこれまでのわたし。
でも人生を愛するってのは、
頭では意味や価値がないと思えるような、
でもその一瞬に自分のこころが向くものを、
どれだけ自分に与えられるか、なんじゃないかって思った。
わかりやすい、意味とか価値とか効率とかメリットを追い求めることが、人生を愛することではないのだと知った。
それよりも、自分のこころの深いところでの感情的な納得があるかどうか、幸せと感じているかどうか、それがなによりも大事にするべきものなんだと、それに気づかせてくれたウユニ塩湖の美しさをわたしは決して忘れない。
とってもよろこびます♡