魂を売っている日本人
今日電車に乗りながら思った。
みんなスマホの中のゲームをしてる
みんななにかしらのSNSを見ている
何か暇さえあれば何かをせずにいられないような。
わたしマッチングアプリしてみたとき
くるいいねの数が多すぎて
もはや直感というか感覚で
ばさばさと斬っていた。(ごめんなさいスワイプ)
でね、このポンポンシュッシュな
テンポの良さは
直感風にやっているわたしだけだろうと
思っていたのだ、が、
今日電車で
わたしが使ってたアプリと同じ
マッチングアプリの画面を開いたら女の子が
すぐそばにいて、
ついつい目がいってしまったら、
その子はわたしを遥かに超えるスピードで
左スワイプしていたのだ。
その光景を見て、
わたしは画面の向こうの男子たちが
いたたまれなく思えてきた。
もちろん男子側だって
そのようなスピード感で
顔だけでいいね!を押している人も
たくさんいることは
実際の声として聞いているのだけど、
それでも、
なんか、
そこにいるひとりひとりって
ひとつの生命なのになあ
って思ったわたしがいたのだ。
や、わたしも同じことしてたんですけどね。
そして目の前のサラリーマンたちは
疲れ切った様子で
死んだ目をしながら
ありとあらゆるスマホゲームをしていた。
もはや恐怖だった。
ホラー並み。
生きるために
生活するために
会社に通ってると思いますが
そのような死んだ目をしていて
あなたはほんとうに幸せなのですか?
資本主義とゲームの世界に
魂を売っているようにしか見えないのですが
と思ってしまった。
暇さえされば
ケータイを開いてしまう者たちの
死んだような目をしながらゲームをする者たちの
一体どこに、本心があるのだろうか。
一体どこに、こころがあるのだろうか。
わたしは、自分のスマホに
ゲームはひとつも入っていない。
電車の中では
音楽を聴くか
メモで自分対話をするか
いま進めているKindle原稿を書いてる。
SNSはギガが少ないので
なるべくWi-Fiのあるところで。
いちばん使うのはインスタグラムだけど、
人のストーリーや投稿も時と場合によっては
そんなに見てない。
外側の情報や
外側の刺激に忙しくなってしまって
自分の感情や感覚やこころを
《感じ、知る》
ということが、
難しくなってしまいたくないのだ。
東京にいるときは、
魂売ってる死んだ目をした人が多すぎるので
自分の身を守るために
好きな音楽を聴いているけど、
そうじゃない場所で
イヤホンを抜けば
人のあたたかな会話を耳にして
しあわせな気持ちになることがあるし
画面から目を離せば
ちょっとしたおもしろさがこの世には散りばめられていて、ひとり『ふふっ』と笑うことがわたしはよくある。
スマホの存在
スマホの画面から
解放されてはじめて
見えるもの
聞こえるもの
感じれるもの
があり、
受け取れるしあわせ
漲る生命と
煌めく瞳と
生きた魂が
そこには在るのだ。
今日はそんなお話でした。
ありがとう。
とってもよろこびます♡