(24)思いがけず2年が経とうとしている東京での人生
横須賀生活
宿を手放し、自分が住んでた家を手放し、『はて、明日からの人生どこでなにしてこっかなー、どこで生きてこうかなー』となり、とりあえず今のその自分の状況をSNSでオープンにした。そしたら日本各地いろんな人たちがタダで住んでいいよって言ってくれて。その中からまゆは横須賀で画家をしながら生きているお友達のおうちにお邪魔することにした。このとき、正直な自分を出している限り人間は死ぬことはないのだな、と確信した。自分をオープンにしている限り、必ず手を差し出してくれる人がいる。生かしてくれる人がいる。自分をオープンにしている人を神様は見捨てたりしない。
そのおうちは100段もの階段を登った先にある高台のおうちで、4.5畳の個室もあって、家の周りには自然もあって、のら猫ちゃんもいて、お隣さんは畑の野菜をお裾分けしてくれて、なにより毎日高台の自分の部屋の窓から見える夕焼けがはんぱなく美しかった。
高台にあるお家だからか、すごくエネルギーが澄んでいて、当時まゆはチャネリングの(ひとのハイヤーセルフと接続してその人の魂の姿を見たり感じたりしてそれを伝える)お仕事とかしていたんだけど、とってもそれがやりやすかった。
横須賀の衣笠商店街はそこで働いているひととお客さんみんなが顔見知りみたいなフラットさがあって、中古屋さんがタダで好きなだけライター持ってっていいよって言ってくれたりして、なんかちょっとインドみたいでとっても好きな街になった。
その商店街に歩いているときにふと、ハンバーグ屋さんの求人を見つけて、チャネリングの仕事だけじゃなくてどっかで軽くバイトするのもいいなあと思い、そのままお店の前に立っていた店長と思われるおばちゃんに「バイト探してるんですけど働けたりしますか?」と聞いて、その場でじゃあ来週面接に来てねって話になってそのままそこで働くことになった。
歯医者、塾、KUMON、学童、ゲストハウスでは働いたことあったけど実はあんまり飲食はやったことなくて初めてやるホールのお仕事だった。
まかないにハンバーグ食べさせてもらえて、家族経営しているお店だったからアットホームでたのしかったけど、ホールの仕事はまゆに向いてないなって思った。笑
でも「向いてない」と知れたことが大事な収穫で、大切なのは「やってみる」ということなんだとこの経験からわかった。
横須賀と東京の2拠点生活
そんなふうにすてきなおうちで、ゆっくり暮らしをしながら、たまにチャネリングの仕事をして、たまにハンバーグ屋さんでバイトをして、生きてたころに、なんかの用事で東京に行くことがあって。そのときにとあるオンラインコミュニティーで知り合ってた人とはじめましてでご飯行って、その人がまゆのこと好きになって、のちにその人と付き合うことになって、その人は東京に住んでたから、まゆは横須賀と東京を行き来するようになってった。
月の半分は横須賀で月の半分は東京にいて、横須賀と東京とそれぞれにバイト先があった。2拠点生活はまゆに向いてたみたいでとってもたのしかった。利便性あるけどごちゃごちゃしてる東京と、静かで自然のある横須賀とで、目的とニーズごとに切り替えれてよき生活だった。
東京生活
そしてだんだんと東京に拠点がシフトしていつた。自分のスケジュールで仕事をつくれるから自分の好きな時に好きなところにいける状態だった。そんなとき1番あちこち行きやすいのがダントツで東京だった。どこに行くにもアクセスが通ってて安い。同じ場所にずっと留まっていることが苦手な自分が東京を選びそこからあちこち行くことで「動きたい欲求」を満たしていた。
行き先のわからない航空券が当たるpeachの旅くじというのを引いて札幌が出たので札幌に行ったり、仲間と車で岐阜まで行って日本一高いバンジージャンプを飛んできたり、浜松町から徒歩数分のフェリーターミナルから御蔵島に行ってイルカと泳いできたり、電車でちょくちょく山梨の標高1200mのところにあるペンションで働きながら休暇しに行ったり、人の出張に着いてって新幹線で大阪行っておいしい串かつ食べてきたり、暑い夏に群馬の山奥にあるきれいな川に浸かりに行ったり、神津島にいってお友達が経営してるゲストハウスを住み込みしながらお手伝いしたり、飛行機で博多に行ってずっと行きたかった壱岐島にいってみたり。
あちこち動き回る旅人、フッ軽人間ならわかると思うけど東京ってすばらしいくらいに最高にアクセスがいい。22歳〜25歳までヒッピーのように自然の中、山奥、地方、田舎で生きてきたまゆはそんな東京のいいところを享受し、別の人生フェーズに入ることにした。
お引越しして、屋根裏部屋に
そうして、ある程度の時期は東京にいるだろうなあと思うようになったら、いまのこのドミトリー空間は居心地よくないな、と思い、東京で別の住処を探し出した。
物をできる限り持ちたくないので、家具・家電・WiFiがあるシェアハウス、個室、そして絶対に譲れないのが湯船に浸かれる家であること、それがまゆの条件だった。
①シェアハウス
②個室
③湯船
この3つをネットに打って出てきたのは3つの家。
1つ目は池袋のおうちで内見に行ったら載ってる写真と実物が全然違くてめちゃ汚くて、どうせ見られてガッカリされるんだから嘘つくなよとか思っちゃってナシ。笑
2つ目は東武練馬のおうちで広くてよかったけどもしかしたらあと数ヶ月でこのシェアハウスが閉まるかもなんです、と言われナシ。笑
そして最後3つ目が、今住んでいる新高円寺らへんのおうち。
最初はネットに載っていた2階の部屋に目星をつけて内見に行った。そしたら「実は3階にも屋根裏部屋があるんです」と管理人の人に言われて見に行くと屋根の低い広々としたお部屋があって、『なにここ!たのしそう!ここがいい!』となった。
ネックは駅から遠いこと。でも歩いて健康的になるか最悪チャリを買おうと思った。湯船も家に2個あるし、おうちから徒歩10秒に和田堀公園というでっかいすばらしき公園もあってすぐにアーシングやピクニックしに行けるし、駅から遠い点をカバーできるポイントがたくさんあった。
そうしてまゆの屋根裏部屋生活が始まった。
東京はドラマみたいな光景に溢れている
完全に自然の中にいるイメージがまゆについてたらしく「え!まゆが東京に住んでるの!?住めるんだ!!」ってよく友達に言われた。でも大学休学してる間も東京に住んでたし、東京は東京でも静かな住宅街で徒歩10秒に豊かな自然がある公園があるし、意外と住めるのだなと思った。
田舎暮らしを経て、東京暮らし。
また、東京でやれることやりきったな、と思ったらわたしは東京を去り、どこかの島にゆくのだろう。岐阜と群馬でやった宿に続き、どこかの島で第3弾、まゆの宿をやる。
やっぱり一気にいろんな種類の人間を観測できるのが東京だと思ってて、それがとってもおもしろい。
街の端で喧嘩をしてるカップルは女の子が泣いてて、日々人間はいろんな感情に揺さぶられながら生きてるよな、自分だけじゃないんだよなあって思えるし、カフェで本気で喧嘩してるカップルは女の人が正論ぶちかましてかっこ良すぎるし男は何も言い返せず平謝りしててドラマみたい!ってるんるんする。
高円寺の広場に集まるシンガーたちはみなアーティスティックで魂を震わせて歌をうたっているし、高円寺のホームレスはなぜかカッコいいし、高円寺の広場では朝までおっちゃんたちがゲラゲラと笑いながら地べたに座ってお酒を飲み語らっている。
六本木とかでは美と金と権力で世界がまわってるけど金と権力を得ている人にはちゃんと理由(ワケ)があるんだと思ったし、歌舞伎町では風俗嬢とホストの間でものすごい額のお金が動いて、人の恋心や恋愛的な感情がお金になっててそれだけは良くないなって思ったし、ナンパの男の人のメンタルはまじで尊敬するし、人間の闇すらアートに思えてくる場所で。
東京はドラマみたいな光景に溢れている。
ドラマでみるような世界は、自分のすぐ近くでまさに起きていること。
もちろんクレイジーな満員電車とか、駅で避けずにぶつかり合戦するのとか、深夜の電車にはゲロがあるのとか、やだなあって思うけど、それでもこの東京がまゆは好きだなあって今は思ってる。
最後最後といってからどれくらいが経っただろう。東京での生活を語るには、外せないのがピースボートで働きだしたこと。
ほんとに最後、いまの職場であるピースボートのことをひとつ記事かいて、この自叙伝noteを終わろうと思う!
読んでくれたひと、ありがとうね。
とってもよろこびます♡