アリストテレスによる彼以前の自然哲学者の要約には強引なところがあるとの説があり、なるほどそういうところも無きにしも非ずなのだろうが、それなりにうまくまとめているところもある。
アリストテレスはこんなふうに言っている。
これを私なりにまとめると、こんな感じになる。
ここでは、a)に関してのみ述べようと思うが、少なくともアナクシマンドロス、アナクシメネス、クセノパネス、ヘラクレイトス、エンペドクレスについては、終始点としてのアルケーを述べている。(以下、太字は引用者)
タレスの弟子たるアナクシマンドロスにおいては、ト・アペイロンが万物の根源であり、万物はここから生成してここへと消滅する。
アナクシマンドロスの弟子たるアナクシメネスにおいては、万物の根源は空気であり、万物はここから生成してここへと滅する。そしてアナクシマンドロスとアナクシメネスがともに万物の根源を終始点としているのだから、タレスもそう考えたのだろう、とアリストテレスが推測したとしても、不合理ではないと思う。
思想的にはパルメニデスの流れに竿を差すクセノパネスもまた、万物の根源について語る。彼によれば、万物の根源は土と水である。ただ、私の持っている資料では、彼の態度は両義的であり、根源を土と言う時もあれば、土並びに水であると言う時もある。さらに、このような万物の根源を中心とする循環には二通りあり、一つは根源から個物が生じて個物が根源へと還ることであり〔個物循環〕、もう一つは根源から全世界(彼の言葉では「大地」だが)が生成して全世界が根源へと戻ること〔世界循環〕なのである。
万物の根源は火であると唱えたかのヘラクレイトスもまた、このような循環説を奉じている。そしてこの循環は、クセノパネスの思想と同様に、個体循環もあれば世界循環もある。
そして四元素説を唱えたエンペドクレスもまた万物の根源を中心に据えた循環説を主張する。四元素は怒りの時代にあっては互いに分離しているが、愛の時代には接合し、こういったことが繰り返されるのであり、この繰り返しを通して、四元素は万物になり万物は四元素となるのである。
私はアカデミア界の人間でなく、引用の様式もよくわかっていないのであるが、私の言わんとするところが伝えられていれば幸いである。なお、ここでは私の資料は私が大学生の頃に購入した『初期ギリシア哲学者断片集』(山本光雄訳編、岩波書店)を使った。もう30年以上も前の本で、訳文はたどたどしく、昭和臭の香ばしいものかもしれないが、長年愛用しているので、どうにも愛着があるのである。
[1]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 岩波書店
[2]『ソクラテス以前の哲学者』廣川洋一 講談社学術文庫