ソクラテス以前の自然哲学の科学的傾向

古代ギリシアの自然哲学は自然を神話的にではなくて論理的に捉えようとする立場であって、哲学的側面もあれば科学的着想も見られる(もっとも、こういう紋切り型の二部法は実態に即したものではないかもしれない。便宜上のものとして述べる)。ここでは、私の気になる限りにおいて、一部の自然哲学者諸子の自然科学的傾向を見ていこう。

タレスは自然哲学の祖であり、かつミレトス学派の開祖であるが、万物の根源を水と捉えた人物である。彼はエジプトで幾何学を、メソポタミアで天文学を学んだと言われる。そうやって獲得した知識を元手に日食・夏至・冬至を予言し、日食については彼の予言した範囲で起こって人々は驚愕したそうである[1]。また彼は円が直径によって二等分されることを証明した。彼の時代、円を直径で二等分されるということは知られていたが、それを彼が初めて証明したのである。また二等辺三角形の低角は等しいと言い、「われわれの身体とその影との相等しい時刻を狙って、影からピラミッドの高さを測定した。」[2]

タレスの弟子であるアナクシマンドロスは黄道の傾斜を認め、天文学理解の門を始めて開いたと言われている[3]。黄道とは、日の出・日没の直前・直後に太陽と背景の星の関係位置を観察すると、太陽が星の間を毎日少しずつ東へと移動しており、一年後には再び天の元の位置に戻ってくるのであるが、この太陽の運動経路を黄道という[4]。これをアナクシマンドロスは見出したのであろう。またアナクシマンドロスには進化論的視点があって、ヒトは発生当初は魚から生まれ、自らの身を守りやすくするためにしばらくは海中で過ごし、自分で自分を守れるようになって始めて陸に上がってきた、という[5]。

アナクシマンドロスの弟子であるアナクシメネスは、万物の根源を空気とした人物である。彼もまた天文学に関心を抱いており、月が太陽から光を受け取っていること、そしていかにして蝕が生じるのかということを初めて発見した[6]。

クセノパネスは、エレア学派の祖ともされる人物であり、擬人的神概念の徹底した批判者として知られる。一方、彼は気象に深い関心を抱き、廣川洋一によれば、水→雲→雨→水という膨張と収縮による水循環のアイデアを抱いた[7]。彼の言葉としては以下の通りである

海は水の源、また風の源。
大いなる海なくしては、雲の中に内部から外に向かって吹き出す
風の力も生じなかっただろうし、
河川の流れも天空の雨水も生じなかっただろう。
大いなる海こそ雲、風、河川の
生みの親。[8]

水循環とは、地球上の水が太陽エネルギーを受けて海洋など地表から蒸発し、大気圏で凝結して雲となり、雨・雪などの降水として地上に落下するが、その大部分は再び蒸発し、その残りの一部は植物を経由して土壌に達し、地表水や地下水となって海に注ぎ込むことをいう[9]。クセノパネスは化石や虹にも注目しているが、虹については、人々が「イリス〔虹の女神〕と呼ぶもの、それも本来雲にすぎない」[10]とし、神話から論理への流れの中にしっかと位置づけられる哲学者ではある。もっとも、虹は雨上がりの際に太陽と反対方向に現れる色のついた光の輪であって、太陽の光が雨滴の中で屈折してできるもの[11]であって、雲ではないのであるが、中らずと雖も遠からず、といったところであろうか。

ヘラクレイトスは「万物はこのロゴスに従って生成している」[12]と言い、また「ロゴスが共通のものとしてある」[13]とも言う。ロゴスなる概念は多義的で、その意味は容易に特定できないのであるが、これをある種の「自然法則」として捉えることは可能であるかもしれない。ここで、ヘラクレイトス以前の哲学者とヘラクレイトスとを比較してみよう。タレスは水を魂だとし、魂は宇宙全体に混合してあり、万物を動かすと考えたようである[14]。アナクシメネスは魂は空気であって、世界を包擁し万物を統御するとみなしたようである[15]。クセノパネスは「神は労することなく心の思いもて凡てのものを揺り動かす」[16]と述べている。このようにして見ると、ヘラクレイトス以前の哲学者はいまだ「法則」という概念に至っていないようである。ヘラクレイトスにして初めて世界を統御するものが水や空気など物質的なものでなく神でもなくてロゴスである、という観念にたどり着いたのである。その意味で、ヘラクレイトスは自然科学的であると言えるかもしれない。

またヘラクレイトスには「火が転化し、まず海となり、海が転化して、半分は地、半分は(電光を伴う)竜巻(火)となる。地は液化して海となるが、計量すれば、それが地になる前にあったのと同じ比率になる。」[17]とあるが、これは一種の質量保存の法則とみなせるかもしれない。世界の一部において何らかの転化または反応があったとしたら、その反応の前後の質量は等しいのである。質量保存の法則とは、化学反応に関するもので、反応前の物質の全質量と反応後に生成した物質の全質量が等しいという法則である[18]。

さらにヘラクレイトスの次の言葉はどうとらえればよいだろうか。「冷たいものが熱くなり、熱いものが冷たくなる。湿ったものが乾き、乾いたものが湿る。」[19]四季の巡りもそうであるならば昼夜の交替もそうであるが、彼の言葉を好意的に評価すれば、人体における恒常性の機構に通じるものがある。そのうちの一つである体温調節についていえば、哺乳類には汗腺が多く、発汗が体温調節に大きな役割を果たすのであるが、暑い時には皮膚血流が増加し、発汗・筋肉活動が低下して体温を低下させようとし、寒い時には皮膚血流が減少し、筋肉活動の亢進によって発熱することで体温を上昇させようとすることをいう[20]。ヘラクレイトスの言葉と一脈通じるものがありはしないだろうか。

エレア学派の巨人パルメニデスは「あるものはあるのであり、あらぬものはあらぬ」[21]とする。論理学には同一律という法則があって、「A=A」と言い表されるが、パルメニデスはこの同一律を存在論的に表現したもの、と言えそうである。

デモクリトスは原子論の創始者であり、原子論を「もっとも合理的な自然の解釈の方法」[22]と評価するメイスンのような人もいる。メイスンの意見では、「原子論者の宇宙論は、まったく機械論的といってよかった。万物は予定されていた——『あったものも、あるものも、あるべきものも、すべては必然によってあらかじめ定められた』。かれらは、世界のはたらきを説明するために、愛とか憎とか、報復の原理とかいう人間的な目的をもった類推を使わなかった。」[23]ということである。現代科学が機械論的であり、擬人観を否定するものならば、デモクリトスの原子論は現代科学的と言えそうである。

アナクサゴラスは「空虚が存在しない」という人に対しては、空虚と空気が混同されていること、そして空気は存在することを、単純ながらも実験で示した。皮袋を膨らませては空気は力を有することを示し、そして水時計のうちに空気を取り入れることによって空気の存在を証明したそうである[24]。アナクサゴラスには実験による証明という観念があったのである。ギリシア人は単なる思弁に耽るばかりではなかったのである。

エンペドクレスについて言えば、生物は進化の過程で環境に適応できない奇形的個体を生み出すことがあるが、エンペドクレスもこういったことに言及している。簡潔に言えば、各身体部位がバラバラに地上に出てきて、それらは偶然的にまたは合目的的に結びつくが、前者の場合に、例えば「人面牛」のような生物ができあがり、環境に適応できずに滅びるが、後者の場合には人間ができあがって生き延びるのである[25]。エンペドクレスには、素朴ながらも進化、適応、(進化の過程で生じる)奇形、自然淘汰などの概念があった、と言えるかもしれない。


出典
[1]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 断片18
[2]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 断片19
[3]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 断片27
[4]「黄道」『大日本百科全書(ニッポニカ)』
[5]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 断片28
[6]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 断片36
[7]『ソクラテス以前の哲学者』廣川洋一 67頁
[8]『ソクラテス以前の哲学者』廣川洋一 222頁、断片30
[9]「水循環」『化学事典』旺文社
[10]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 断片70
[11]「虹」『大日本百科全書(ニッポニカ)』
[12]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 断片76
[13]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 断片76
[14]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 断片16、17
[15]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 断片30
[16]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編 断片68
[17]『ソクラテス以前の哲学者』廣川洋一 235頁、断片37
[18]「質量保存の法則」『大日本百科全書(ニッポニカ)』
[19]『ソクラテス以前の哲学者』廣川洋一 249頁、断片126
[20]「体温調節」『生物事典』旺文社
[21]『ソクラテス以前の哲学者』廣川洋一 254頁、断片6
[22]『科学の歴史』上 メイスン著 矢島祐利訳 26頁
[23]『科学の歴史』上 メイスン著 矢島祐利訳 26、27頁
[24]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編  断片151
[25]『初期ギリシア哲学者断片集』山本光雄訳編  134


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