人生の分岐点はなに?〜その1〜
コルクラボでは、毎月1回、ゲストを招いてトークを聞く会があります。
それまでの準備として、グループに分かれてゲストにちなんだお題を話合います。メンバーとお題に合わせてはなしていると「こんなこと考えてるんだ」とか、人柄とか知ることができるので私はこの活動が、けっこう好き。
今回は、風邪をひいてしまってお題を話す会に参加できなかったので、ここで考えてみようと思います。
お題は「あなたの人生の分岐点と自己決定」。
いくつか質問もあるのでそれに沿って答えて行きたいと思います。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
Q1:「分岐点」だと思ったのは、いつ? どんなときだった?
Q2:その分岐点に直面して、どんな風に進む道を決定していった?
Q3:今の自分が同じ分岐点に向き合ったら、どうする?
A:う〜ん、分岐点。仕事が人生の輪郭をつくるのじゃないか、と私は思っているから、就活のときの決断が「分岐点」だったんじゃないかな、とよく振り返る。
今から10年くらい前、私は大学4年生の3月20日(たしか)。卒業式も終わって、入社式を1週間後に控え、震える手で内定先の会社に電話をし、人生最大の決断をした。
「すみません。内定を辞退します」
メンターだった社員の人が、電話の向こうで絶句していた。その日、何度も電話をためらったせいで気づけば19時頃になっていた。業務時間後にかかってきた、相当迷惑な電話だったと思う。
でも、私はどうしても、編集者になりたかった。春に出版社を40社くらい受けていたが、全部ダメ。出版社と新聞社しか受けない、と決めていたからすぐにコマがなくなった。初夏を迎えても毎日、マスコミ向けの求人情報をチェックしていた。
そんななか、夏頃に1社だけ受けた人材会社から内定をもらった。
「1年目にしては給料高めだし、数年頑張ってからまた出版社を受けたらいいんじゃないかな。せっかく、内定もらえたし、お金があれば実家も出られるし。生活のために働こう。好きなことは、趣味のままの方がいいかもしれないし」
と、思うように努めた。そして、出版社への気持ちを吹っ切るために、内定者懇親会という100人くらいのイベントを仕切るメンバーとして準備をした。懇親会にも出席し、内定者と研修も受けていた。
でも、やっぱり諦めきれず、2ヶ月も経たずに前言撤回して、内定先に隠れ就活を続けていた。出版社でアルバイトを2つ掛け持ちしながら、二次募集や、編プロを中心に求人を探して受けまくっていた。
なりふり構っていられず、エロ雑誌ばかり扱う編プロにも面接へ行った。ここは、かなり印象に残っている。
新宿の、細長くて今にも倒れてきそうな”いかにも”な、雑居ビルの3階にあった。
なぜか、うすいピンク色の間接照明で照らされた室内。その奥にある、これまたものすごく暗い、会議室(らしき)部屋へ通された。映画でみた風俗店の待合室と、この部屋の雰囲気が似ているなあと思いながら面接官を待った。
やって来た編集リーダー(たぶん、30代)の面接官(男性)が、会社の説明をはじめた。入社したら私が編集することになる雑誌を目の前に置かれた。・・・が、裸のオンナがM字開脚して写る表紙に気づいた男性は、慌てて別のページをめくるが、めくってもめくっても卑猥なページしか出てこないので、あたふたしながら、
「これは、まあ、見なくていいから。・・・まあ、修行だと思ってやって。うちのメリットでいうと、文章は、俺が教える。1年でプロとしてやっていけるレベルに育てるよ。そのあとは、別の会社に移ったらいいよ。ずっとやってらんないでしょ、こんなの。俺も本当はやりたくないし」
と引っ込めた。担当編集者でも面接に来た女子大生に見せたくないくらい、エロい雑誌なんだな、と思いここに来たことを後悔した。
さらに、面接の最中にひっつめの地味目なメガネ女子がいきなり飛び込んで来て、
「キャプションが、キャッ・・キャプションが・・・書けません! うわぁ〜ん」とパニックになって泣き出す始末。
「ちょっとあの子、2日家に帰ってないからさ」と”ごめん”みたいな仕草で私に伝え、面接官は、メガネ女子の肩を抱いて出て行った。彼女をなだめる間、時間つぶしに筆記試験を受けさせられたので、30分くらいで適当に作文を書いて帰って来た。
とにかく「やばそう」というのだけはよくわかったので、絶対に編プロに行くのはやめようと決意した瞬間でもあった。その後「社長が会いたいと言ってます」という連絡をもらったが、もちろん辞退した。
この一件で、「何事も経験だよね!」と妙に前向きになっていた。俄然やる気になって就活に打ち込んだが、箸にも棒にもかからないまま3月を迎えた。それでもなぜか、まだ「私は、イケる!」と信じて疑わずにいたら、チャンスは突然やって来た。
新聞社でアルバイトしていたときの先輩が、知り合いの編集部でアルバイトを探しているというのだ。私は着信から30秒くらいで返信し面接にこぎつけた。今思うと、引き寄せたのかもしれない。
今度は、エロ編プロとは、真逆の世界だった。超がつくラグジュアリー雑誌を扱う外資系の老舗出版社。面接の日は3月18日。
もはや崖っぷちというか崖からすでに落ちているので、ここで落とされても状況は変わらないので捨て身で面接を受けたら、編集長から「あなたみたいな子を待ってたのよ!」と、その場で採用された。今の出版業界じゃほぼありえない、社員登用前提のアルバイト枠だったので、嬉しかった。
そして、家に帰って、ものすごく悩んだ。できるかわからない。でも、やりたい。でもでも、クビになるかもしれない。でもでもでもでも、やっとここまできたしもうチャンスないし。でもでもでもでもでもでも・・・・・。
一夜で白髪になるんじゃないかと思うほど悩んで、親にも超絶反対され、それでも、迷いながら決断した。
「正社員じゃないけど、やりたいことやりたい!」
と最後はもう目をつぶって飛び込んだ。飛び降りた、という感覚に近い。アルバイト初日まで心臓がずっとズキズキして痛くて呼吸困難になっていた。そして、電話をして内定先にかなり迷惑をかけたけど、私は出版の世界に足を踏み入れた。
おかげで今も悩んでいるけど、一応、この世界で「仕事って楽しいんだ!」ということを知ることができた。ひよらず、飛び込んでよかったと思う。
ここで選んだことは、自分の人生で一番褒めてあげたい決断。
20代って、ノーテンキだったと思うし、ノーテンキで本当によかった。私は私の未来をすごく信じていた。絶対に、選んだ先にいいことが待っているって。
当時、私は編集者の研究ばかりしていたのだが、そのなかでエッセイストで雀士の色川武大さんが書いた『うらおもて人生録』というエッセイを心の拠り所にしていた。
そこには、賭け事をして生き抜いた彼の人生訓が書かれていた。
なんでもずっと幸運なのは危険だ。小さく負けておくのも大事なんだと。だから全勝ではなく「九勝六敗を狙う」とか、「前だけ見て、選んだら絶対に後ろに戻らない。俺は、一度だけ斜め後ろに戻ったけど、斜めだからよしとしている」(といった趣旨の内容)
何回落とされても、その度に何回も思い出していた。ほぼ全滅だったけど(笑)、試合数を増やして次勝とう、みたいな気分でやっていた。今じゃ本当に信じられないけど、「私は絶対、最後には、できる!」と心の底から思っていた。
すっかり忘れていたけれど、書きながらあの日に私が思っていたことを思い出してきた。
自分にも、立派だった頃があったんだ。
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