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「自己肯定感」とマカロニえんぴつの音楽
「自己肯定感」というキーワードは「DX」なんかよりもバズワードだと感じるのは、私だけだろうか?
私が学生時代にはあまり聞いたことがなかったように思う。
もし、この言葉が10代の頃に当たり前に使われていたら、
「歩む人生が少し違っていたんじゃないか?」
そんなふうに感じる。
マカロニえんぴつを好きになって聴き込み、2ヶ月くらい経った頃。
「もしかして、はっとりさんは自己肯定感が
とても高い人なのではないか?」
という仮説が浮かんだ。
※私の中で、マカロニえんぴつのベストアルバム的な存在の1枚。
ライブでも収録された曲をほとんど演奏している
90年代に流行った音楽は、私の記憶では「自己肯定感が低め」もしくは、
「自己肯定感が低い系の人」をターゲットに設定されていたのか、
みんな結構、後ろ向きというか人生に絶望している人が歌っている印象が強い。(私が聞いていた音楽に偏りがあっただけかもしれないが)
浜崎あゆみは代表的というか、そういう売り出し方をしていた気がする。
「A song for ××」の歌詞からもそれが伺えるだろう。
どうして泣いているの
どうして迷っているの
どうして立ち止まるの
(中略)
居場所がなかった 見つからなかった
未来には期待できるのか分からずに
(中略)
一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く
きっとそんな毎日が当たり前と思ってた
こんなに顔がド級のかわいさな人が、どうしてここまで人生に絶望しているのだ? と中学生ながらに衝撃を受けたのを覚えている。
この歌からは、ネグレクトでも受けていたか、ヤングケアラーとして年齢に沿わず大人になることを迫られてしまった心に深い傷を負ういたいけな幼い子供の姿が浮かび上がってくる。
私はそれにいたく感動し、ギャルでもないのにものすごく共感し、夜な夜な布団の中で繰り返し聞いていた。
同時期に、ヴィジュアル系バンドというのもJ-POP界を席巻しており、
化粧をほどこし赤や青、ピンクといった白髪の人の白髪染めのように美しく発色したヘアスタイルの中性的な男性が、ダウナーな感じでMステに登場し、私はその魅力に気づけなかったが「病みぎみ」な同級生などは、お熱をあげていた。
他にも、応援ソングも大ヒットしていた。
たとえば、岡本真夜の「TOMORROW」。
「涙の数だけ強くなれる」「明日は来るよ」と励ます歌詞に、これまでも涙を流してきたが、歌を聞きさらに涙をこぼす人が続出。
日本中が数十トンレベルの降水に見舞われた。
だいの大人が大粒の涙を流すほどしんどい状況に置かれているのに、
それすらもポジティブに捉えなければやっていけないほど、
ヤバい事態に陥っている(と思われる)主人公にエールを送っていた。
「明日は来る」とか「明日はある」と歌っている歌もやたら多かったのは、
「明日がこない」人生を歯を食いしばって堪えていた人がたくさん居たということだろう。
ここまで来ると、もはや「自己肯定感」とか言ってられないほど、日本中が切迫した状況だったと想像できる。
今の時代にこのような歌詞の歌はあまり見かけないし、流行らないだろう。
2021年に流行ったAdoの「うっせえわ」にもそれは現れている。
ダルくてうざい出来事ばっかりの日常に、「うっせえ」と言い返すだけのパワフルさ。日本人はメンタルが強くなったのかもしれない。
マカロニえんぴつの歌詞は、「ネガティブな言葉」を使いながら「ポジティブなメッセージ」を送ることが非常にうまい。
センスとは、一般常識などからいかに「はずせるか」にかかっている。
はっとりさんは、人生に対し「絶望」という言葉を使っても、
絶望しっぱなしでは終わらない。
その対義語では、しっかりと「絶望、だけど美しい」というような、
普通はセットに使われない単語を用い、それがゆえに彼の人生観の前向きさが際立っている。
「人生って、サイコー」でもなく、
「人生って・・・ていうか、みんな死ね」でもなく、
「人生なんて考えるより、今っしょ」でもなく、
「LINEの既読スルーに絶望する人生」でもなく、
「元カノが忘れられなくて、僕の人生はご臨終しました」でもないのだ。
「人生は絶望する。しかし一方で、それすらも愛したい」
こんなふうに感じている人の目には、何が映っているのだろう?
どうして、こんなふうに「ありのままの自分」を受け止め、
その状態で一歩ずつ未来に向かって歩んでいこうとできるのだろうか。
つまり、それは「自己肯定感」の高い人がなせるワザだと思うのだ。
そう、「愛」がある。
彼のまわりには、愛があって、そして愛を感じる力もしっかり備わって、
感じ取った愛を放つだけのエネルギーを感じる。
誰かに媚びへつらうわけでもなく、必要以上に自分を貶めるでもなく、
あるがままの、ウェルビーイングでいられる人。
それが、はっとりさんなのではないか。
初めてライヴに行った日、その仮説が正しかったと思う瞬間があった。
2021年だったと思う。MCではっとりさんは、こんなことを言った。
「マカロニえんぴつは、前向きな歌しか歌いません。
ポジティブなメッセージを届けます。
でもそのメッセージを感じ、受け取ってくれた方、それに気づいてくれた
あなたが、いま、ここに来てくれています。
だから、大丈夫。あなたは、それに気づけたから。
これからも、僕らは前向きな歌を歌い続けます」
やや記憶が危ういが、要約するとこんな内容だった。
「どうして、私が思っていることを言ってくれるんだろう」
と感激し、それ以来、もうどっぷりハマってしまった。
狙ってこんなことは言えないと思う。
自己肯定感が高いからこそ、発したものを受け取る人の気持ちにまで
想像をめぐらすことができる。
もし、10代の頃、私に自己肯定感が正しく備わっていたら、
はっとりさんのように、自分を思いやり、他者のことも思いやって
生きられたのかな?
そして、好きで好きでたまらないことに見つけ、やり続ける人生を
送れたんじゃないのかなと、思うのだ。
人生を分けるのは才能以上に、自分を大事にできる力なのではないか。
はっとりさんの人生観に触れたくて、同化したくて、
毎日マカロニえんぴつを聴いているのかもしれない。