部屋とiMacとウツとマカロニえんぴつと
在宅勤務が多いのにMacBookAirとiPadAirでしばらく粘っていたが、
モニターが小さすぎてミスが多発。
思い切って正月セールでiMacを購入した。
夫には「仕事で使うから」と言い訳していたが、
本当の目的は、別にある。
マカロニえんぴつのライブDVDを観たいからだ。
さっそく、家族が寝静まった深夜、子どものいびきと夫の寝息をしっかり確認したのち、むくりと布団を抜け出す。
買ったまま未再生で眠らせていたCD「愛を知らずに魔法は使えない」の特典映像をセット。
人に見せられない卑猥な動画を視聴するかのように、こっそり視聴した。
AirPods Proで聴くと没入感がすごい。音に包まれているような気分を味わえ、まるで最前列でライブを見ているかのごとく。最高すぎる。
ツアー中にコロナが蔓延し、ライブが延期となり、ツアーファイナルの場所であった豊洲PITで無観客ライブを無料配信していた時の映像だ。
演奏中のメンバーをじっくり観られるので、これはこれで楽しめるなと思ったが、やはり観客がいないライブと言うのはいつもとちょっと違った。
拍手が起きないから、なのかもしれないし、「観てるか不安になるよね」とはっとりさんが言うようにメンバーもやっぱりお客さんによって引き出される何かがあるのだろうなと思った。
場所によっては声出しOKになりつつあり、私はまだそういうライブに行けていないけれど、だんだんコロナ前のライブ風景に戻ってきている。
しかし、このDVDは、「一体、いつライブができるようになるのか誰にもわからない不安」にアーティストが苛まれていた時期だった。
ラスト曲の「ヤングアダルト」前のMCで、はっとりさんはこう言っていた。
自粛期間中に配信ライブをいくつも行ったが、やはりライブをやりたいと思ったという話だった。
知人が、「バンドやってるヤツで、コロナ禍に、ライブできなくて自殺しちゃった友だちがいるんだよね」とポツリと言っていたのを思いだす。
「いつか、ライブできるかもしれないじゃん? なんで?」と返すと、彼はこう言った。
「それだけお客さんからもらってるものが、多いってことなんだと思う。ライブできないと、生きている、存在価値が、わからなくなるんだよ」と。
その会話を思い出しながら、当時のはっとりさんを眺めていた。
今は、ここから3年ほど経過しているので、答え合わせのような、そんな気持ちで。
私がマカロニえんぴつを好きになったのが、このCDがリリースされる少し前だった。
重度のうつ病に罹患し3週間入院し、退院したあたりの頃だ。幸いにも薬があっていたので感情の波はなかったが、とにかく頭痛がひどすぎて起き上がれなかった。「頭が割れそう」という表現がぴったりで、ハンマーで殴られているような痛みと頭の血管が脈打つのを感じ、陣痛のように数分おきに痛みの波が押しては引いて、を繰り返す状況。
抗うつ薬によって「死にたい!」という感情はなくなった。
時々、文字として浮かんではきたが、入院前に死場所を求めて彷徨った日々から比べると、ほとんど希死念慮は消えていた。
だがその分、「楽しい!」とか「嬉しい!」「面白い!」「好き」といった、ポジティブな感情も全く湧いてこなくなってしまった。
何を見ても特に面白くなく、大好きだったマンガもただ絵を見て文字を追うだけ。感情がフラットになっているのを感じた。
常にプラマイゼロの状態が維持され、日常生活に必要な作業(食事を作る、洗濯物をたたむなど)は、頭痛の時以外にはスムーズに行えた。どんなことも冷静に受け止め、感情の挟み方を忘れてしまった感じがした。
「頭がおかしくなりそう」
などと冗談で言っていたが、「うつ病」と診断され、精神病患者しかいない専門の精神病棟へ入院したことで、本気で自分が「頭のおかしい」人になったんだなと思い、落ち込んだ。
悲しい、とかではなく、「あー、人として何かが終わったんだな」と文字入力しているような感じで、自分の置かれた状況を把握していた。
これまでの人生は、一体なんだったのだろうか。
世の中がコロナで自宅に缶詰になるほんの数ヶ月前から、私は引きこもって家族と主治医以外にはほぼ会わない生活を送っていたので、その点ではある意味でラッキーだったのかもしれない。
悲しみも楽しさも何も感じず、ただ生きている状態。
起き上がるだけで、髄膜炎の患者のように頭に激痛が走る。
はっきり言って、何もできないし、考え事もままならない。
このまま一生、この状態だったらどうすればいいのだろうか。
気持ちの上では波一つ立たないが、わりと人生に絶望していた。
そんな時期に、マカロニえんぴつと出会い、「ヤングアダルト」を繰り返し聴いていた。有名な歌い出しである、
「ハロー、絶望」
この言葉に惹かれ、毎日聴いていたら、じょじょに気持ちが活動的になり、
ライブのチケットを予約するほどまでに回復していた。
そして、初めてライブへ行き、私の心が動き出した。
そうだ、私は、ギターの音が好きなのだ。
ライブも大好きだったのだ。
そして、私はこうして、「何かに感動したかった」のだ。
好きだ、とか。
感情的、だとか。
〜したい、だとか。
そういうアグレッシブな、自分の内側から湧き上がる感情と、
エネルギーを、マカロニえんぴつのライブで吹き込まれ、心が生き返った。
生まれ直した、と言ってもいいくらいだ。
それ以来、私はずっとマカロニえんぴつが大好きで、ライブにも足を運び、
音楽も聴き、友人たちにもススめ、カラオケで一人で歌っちゃうくらい、
人生の一部になった。
ツライ、悲しい、嬉しい、楽しい、好き。
感情が動くことを、生まれた気持ちを全部丸ごと愛してメロディに乗せて、
私たちに届けてくれる。
それが、マカロニえんぴつなのだ。
本当に、ずっと続けてくれて、ありがとう。
声を出していい、ライブになる日まで。
それよりもっと先まで。
「グッと来たあの瞬間から正義なんです永久に」
「待っていてあげる一生ね、ごめん凄い好き」
まさに、この歌詞の通りだ。
うつ病は、他人から見てもそのつらさはわからない。
本人にだって、何が起きているのかよくわからない。
場合によっては、医師にも原因はよくわからない。
原因の追求をしてそれを取り除くことも必要だけれど、
私のようなケース(原因が複合的だし発症時期が特定できない)は、
いくら原因を探しても、あまり意味がないこともある。
それより大事なのは、「どう対処し、今、どうなのか」というアプローチなのではないか、と思うようになった。
コロナ禍のはっとりさん、マカロニえんぴつは、「コロナという人類史上初の未曾有の事態に、今、どう対処するか」を選んで行動したことが、DVDに収録されている。
コロナという絶望の裏側にある、「ライブができて収束へ向かう」未来という希望を見つけ出し、無観客ライブを配信し、CDを作り続け、メッセージを発信し、去年から今年にかけて、10周年記念ツアーを行なった。
そして、ワクチンが普及し、世の中はwithコロナの世界からアフターコロナへ片足突っ込んでいる。
何が正しい、とかはないけれど、バックキャスト思考で「今」を俯瞰できる力に救われる瞬間が、人生にはあるんだろうなと思った。