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鬱とボーダーとジェンダーとわたし

小さな世界にいる人達が、その世界しか知らずに大方楽しそうに頑張っているのを見ると嫌悪感を感じる。

そんな気持ちになるようになったのはここ一年くらい。23年間生きてきた中で、小さな世界しか知らずにそこの価値基準に縛られ、傷つき、離れたときに元気になったという経験を3度した。その教訓をやっと感覚的な反射神経にまで落とし込めたのかもしれない。

心の健康を保つには、異なる価値基準をもとにオペレートしているコミュニティに複数同じくらいのエネルギーを費やして所属しておくこと。頭ではわかっていたことだったし、小さいときは意図せず実践できていた。

イギリスにいたときの現地校、教会、土曜日の日本人補習校。中高での毎年変わるクラス、クラス関係なく仲の良いグループ、帰国生クラス、陸上部、ディベート部、弦楽器講座、オーケストラ。

それが高3になり、アイビーリーグを目指す生徒が集まる海外大学進学塾の価値基準に飲まれ、大学に入り健康を犠牲にしてでもAを取ろうとするリベラルアーツ・カレッジの価値基準に飲まれ、尽くしても尽くしても見返りは自分で確保しないといけない学生団体の価値基準に飲み込まれた。

それらの価値観に私は染まり、その中で良い成績をひたすら目指した。目指して達成できたことや得られたものは沢山あったけど、うつにもなった。ベッドから出られなくなったり、授業に行くのがこわくなったり、リスカやODをして気を紛らわせたり。ちゃんと出来ない自分がどんどん嫌いになった。自分で自分を全く褒めないので、たまにもらう他人からのフィードバックで一喜一憂した。弱い自分を誰にも見せられなくて、辛い気持ちをひたすら隠していた。

助かりたくても、どうしたらいいのか分からなくて。「普通」のことが出来なくなってきても、なんとか取り繕えるせいで誰も事の深刻さに気づいてくれなくて。今まで優等生すぎたのが裏目に出た。今まで、どんな環境でも花を咲かせる努力を絶対的な指標にしていたことも裏目に出た。

2018年春と2019年春に私は処方箋やドラッグストアで買える薬を沢山飲んで、集中治療室と閉鎖病棟に入院した。なぜ二度も同じことをしてしまったのかは私もまだ良くわからない。とりあえず全てから手を引きたくて、休む口実が欲しくて、周りの人に助けてもらいたくて、そんな気持ちでした。

最近死にたいと思うことはだいぶ減った。多分ここ5年間くらいで一番死にたいって思う頻度が低い。でも、まだ不安定なのかなぁとは思う。不安定というのは、うつになりやすいということではなく、境界性人格障害の方の症状がまだ出てくるなぁという感じ。

障害と言われているくらいで、安定していて幸せな人生を歩むには障害になるような症状や言動がまだたまに出る。自分でも自覚的になりにくいのが、見捨てられ不安からくる、「優等生な自分しか見せられない」「相手が見捨てないか試す行動をとる」2つ。あとは、衝動的にする危険行動とか。

見捨てられたくないのでメンヘラじゃなくなりたい。けど、それだと根本的な解決をするどころか、見捨てられ不安を源とする言動が増えるだけ。だから好かれようと嫌われようと関係なく自分のことを話そうかなと思い、このnoteを始めた。あとはジェンダー系のことをツイッターだけじゃなくてnoteとして残そうと思ったから。

長くなったので終わり。おやすみなさい。


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