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暗夢

すぅっと雲のように霞かな夢がある。また、岩のように強く残る夢がある。今日の夢は、その間、黒い霧を残す夢だった。

子が死んだ。2歳の子供だった。

私は何かを求めていた。どうでもいいはずのもの、なんの意味も持たないもの、しかし同時に私の体は、脳みそはそれを強く求めていた。それを追求し、外に出た。あの角を曲がって、坂を下って、角を二つ曲がったところにコンビニがある。もしかしたらそのコンビニにはその、小さな箱が売っているかもしれなかった。後ろを振り返らずにそれを求めた。心は暗く、私は自分がなぜそれを求めているのかも知らぬまま、記憶に残るほろ酔いのような投げやりな幸せに引きずられて走った。気づいたら、朝だった。誰かに襲われたような気がする。助けを呼ぶことも考えず、私は襲撃者の写真を撮った。記録に残せば、証拠があれば、警察にでも持っていけば、彼らが正拳をくだすと、空虚な期待をした。

子は光であり、生き物である。私の空虚で甘えた絶望はその子を殺した。私の中に、暗闇がある。私を止まらせ、動かさない心地の良い声だ。「あと少しだけ、遊んでよ」と彼はいう。「ここは、心地よいから。」その声に甘えて、私は沼に浸かる。別の声がする。「子を見なさい。光を、見なさい。歩き続けなさい。もう少しは続けば永遠なのだから」二つの声に挟まれて、光に続こうと、沼から足を引っ張り出そうと足掻くたびに、内臓を少しずつ抉られるような奇妙な痛みを感じる。私なのに、私ではない痛み。彼らは毎度丁寧に私の手足を止める。「もう少しだけ、あともう少し。」いつだって歩き出せるよね、今じゃなくてもいいよね、と私の惰性が後ろ髪を引く。そうして動きを止める時、私は奇妙な快楽を得る。麻酔のようなそれは不動への妙愛であり、偽りの穏やかさで包まれている。それは説明のつかない生への躊躇であり、進行への惰性だ。

しかし我々は、なぜ生を拒むのか。自身が住む場所に、戸惑いと嘘を折り合わせて今日も我々は毒を少しずつ吸い込む。人間は少しくらい毒を吸っていたほうがいいのよ、なんて声に、今日もまだ甘えている。人間とは矛盾の生き物である、という言葉に甘えている。人生とは、矛盾である、という甘い毒で覆われた言葉に甘えている。生に始まり死に終わる私たちは、時々生を疑う。前進したいほどに後退したく、生きたいほどに死にたいのである。

しかし私は知っている。留まるところに光はないこと。闇に光はないこと。光は、求めることで輝きを増すこと。私の中に光があり、光の中に私があり、光は人を通して輝くこと。それを求めるために、生まれてきたこと。

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