都会と田舎と若者と老人と余生と
O県は、東京とよく似た外国のようだった。
中心街を囲んで放射線状に活気が薄れ、自然が際立つ様は東京と変わらなかった。ただしO県の場合は、それが東京よりとても顕著に現れていた。私の新しい住まいはインターン先の代表宅の坂下、八畳程の広いコンテナハウスだった。トイレはコンテナハウスを出て5メートルほど先の倉庫のなか。シャワーは代表宅のものを使わせてもらう。一般的なボランティアや居候からしてみればまたとない好条件だが、東京の一般的な生活水準的には中の下くらいだろう。(私は別にそれで幸せだったし、福利厚生はしっかりしていたので問題なく過ごしていた)一番近くのスーパーまでは自転車で10分ほど坂を下った。帰りは急勾配を15分ほどかけてあがった。電気自転車を支給されていたが、それでも息が切れ、太ももはぱんぱんだった。最寄りのセブンイレブンに行くだけで疲労困憊したし、マクドナルドを食べる日は特別だった。映画館は県庁所在地の駅のモールに一つだけだった。公共交通機関を使うときは15分余裕をもって家を出た。次の便が来る頃には大遅刻になるからだ。自販機は探さないとなかった。
だが私の心はひどく満たされていた。
私は都会を速い、うるさい、キラキラしたものだと思ったことはなかった。単純に便利な日常の一部だったからだ。「君の名は。」で主人公の三葉が夢見るような夢の詰まったものではなかった。
O県の山上を田舎だとは思わなかった。私の頭の中での田舎の定義は、おじいちゃんおばあちゃんが粛々と農業をする場所であって、交通の便が悪い以外は東京と至って変わらない街ではなかったからだ。実を言えば居候させてもらった家の目の前は畑で、夜は蛍が飛び交っていたし、勤務先のキャンプ場はイノシシがでるような山上の集落だったが、私はそこを田舎と呼ぶのに一種のhesitationがあった。交流した子は皆15歳未満の未来ある若者だったし、代表宅の目の前はスポーツグラウンドでいつもスポーツ少年少女でにぎやかだったからだ。私の中で田舎は、おじいさんおばあさんが余生を送る場所で、都会は若者の場所だった。「田舎に住む若者」は矛盾を孕んだオキシモロン(oxymoron)だった。なのでそんな若いエネルギーに溢れた土地を田舎と呼ぶのは申し訳ないような気さえしていた。
東京に戻ってきて2日目。私の心はもうO県を忘れようとしている。あののどかな、優しい、自然な環境をすでに忘れようとしている。いくら忘れまいと頑張っても無駄だろう。いつか私は忘れるでしょう。それだけの吸引力が都会にはあるからだ。街の雑踏が、聞こえない鶯の鳴き声が、エアコンの室外機が所狭しと共鳴する音が、全てが、O県と反対側の角度から心を刺激する:心を雑音で埋め尽くしていく。雑音たちに、O県での一ヶ月の感傷を吸い取られたくないから、まだ忘れたくないからnoteに残す。
O県での毎日は、緩やかな潮の満ち引きだった。波が心地よく鼓膜を鳴らして、たまに小さく律動し、たまに浜の奥まで伸びていった。東京の潮は、波の一つ一つが小さな振動を持っている。たまに共和し、その他のときは歪で不完全な一体感で浜を満たす。エネルギーが四方八方に散り、分散する。東京が、両片想いのまどろっこしい男女であるのならば、O県は愛を忘れない熟年の穏やかなカップルだ。東京が迷子の男の子をみつけたら、二人で協力して親をみつけ、それをきっかけにして初々しいカップルになるだろう。O県が迷子の男の子に遭遇したら自ら子を育て、厳格な両親になるに違いなかった。そういう安心感がO県にはどことなく漂っていた。二つの場所を人に例えるのならば、彼らは全く違う人生の異なる段階にあった。そして場所の違いは、ごく自然なことに、その住民にも影響を与える。O県に住めば、O県のように穏やかな人間に育ち、東京に住めばなんだか尖ったエネルギーの方向性がまだつかめていないような人が育つのだった。穏やかな人たちに囲まれ、私の心は平穏だった。高層マンションに住むことを夢見ることもなく、山奥でキラキラと息吹く芽たちを眺めては深く息を吸って吐いた。
戻ってこよう。きっと私は街を離れられないけれど。きっと街に出るたびに、ブラックホールのように煌びやかな混沌に引き摺り込まれるけれど。たまにテレポートでもして。戻りに行こう。
O県に思いを馳せ、記憶を箱に閉じ込める。出してしまえば昇華してしまいそうな記憶を閉じ込める。締め切る