夜のジェットコースター
最近よく眠れない。ベッドに潜りこむと自分の頭がまるで別の人間みたいに喋り始める。友達の呟いた一言、ソウルで出会った人たちのこと、あの人が呟いた一言、夏を色付けてくれたあの人のこと、希望じみた空想、、、:他人で頭が埋め尽くされて、子供の相手をしているSiriみたいに私の脳みそは止まってくれない。ニューロンからポンポン化学物質が放出されて、さながら私の脳内はスーパーコンピューターだ。寝れない私はいろんなことを考える。大体は、考えるだけ仕方のないこと。昼間、パソコンに文字を打ち込んでいるころ、私は忘れていること。
何を考えていたのか私にはわからない。眠れない夜の私の脳みそは、ブレーキの効かないジェットコースターみたいだ。流れている景色も、乗っていた感想も覚えていない。ただ、ベッドに入ると思い出す、そのジェットコースターの不安。昼間の私に思い出せることは、平ったい、終わりのない思考の道。速度制限なしでうねうねした道を走り続ける自分の思考。平な道なのに、気づいたときには自分はすごく下にいる。螺旋階段をずっと降りてきたみたいだ。いつここに来たんだろう?わからない。
昨晩、久しぶりに思考の車がお休みだった。ブレーキの壊れた暴走車にエンジンをいれようとする自分を落ち着かせながら、私は昔のことを考えていた。子供ながらに頭の中で物語を描いていた。登場人物はバラバラで、二次元から引っ張ってきたり、地元の友達だったり、あんまり仲良くもないクラスメイトだったり。頭のなかの舞台で演劇をする。そうやって、私にだけ優しい世界を作っていた。いつからだろう、覚えている限りでは小学生の頃にはお気に入りのディズニーのキャラクターを主人公にしたてて映画を作っていた気がする。空想癖があったのかもしれない。世界は硬くて、まっすぐで、プルプルした脳みそを石化してしまう。メデューサにみつめられた惨めな男みたいに、年をとるたびに直線の軌道でしかものごとを考えられなくなる世界がどうにも私を不満にさせる。その反動かしら、硬い、形のあるものに自分を押し入れようとすると反動のように夜のジェットコースターにエンジンがかかる。
私の好きな柔らかいものたちは、自分の世界だ。柔らかいけれど、心臓みたいに弾力があって、逞しい。愛と恋の違いを人はよく議論したがるけれど、愛と恋は自分の世界にあるのか外にあるのかの違いなきがする。自分の世界に映るその人に太陽を注ぐ、それが愛ではないかしら。愛と恋は違う。恋は消耗品だ。よくわからない引力に惹かれて、自分を消耗して、その人を消耗する。心が天まで急上昇して、叩き落ちて、それを繰り返す。ドキドキしたり、どうしようもなく浮かれたり、恋はジャンクフードみたいだ。ヘルシーじゃない。でも愛は、そうではない。心の栄養素だ。恋が愛になることはあるのかしら。