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昔わかっていたような気がすることが、今はわからなくなっている。一年前は座って指を動かすだけでつらつらと流れてきた文章が、今は書けなくなっている。振り返れば過去は、キラキラと生き生きと見えるけれど、なんででしょう。昔好きだった曲があんなに美しく聞こえるのは、何故?あのリズムが、スピードが、生活が、懐かしい。戻りたいとは思わないけれど。

社会が人生を年齢で区切ってフェーズ分けすように、人生にはフェーズがあると思う。人によってフェーズの乗り越えかたもスピードも違う。私がノロノロと山一つ登っている間にある人は国を跨いで海を渡っている。高みだと思っていたものが、実は大きな山脈の一地点であることにもいずれ気付く。あれだけ勇気を込めて打った文字列が今は吐き気がするくらい憎らしかったりもする。

あれだけ心を色付けてくれた人が今は色褪せて、セピア色に年老いていく。カメラは目の前の情景を、シャッターと共にフィルムに焼き付けてくれるけれど、私の中でその景色は色褪せて、もう砂糖一粒ほども甘くない。要らない。

あれだけ彩度をもって見えていた景色がいまは雲がかって、見えなくなっている。でもその景色は朧げに覚えている。きっときっと、山を登って、天気もまた理不尽に複雑に変わって、私をまた雲で覆ってしまったのでしょう。でもまだ覚えている、あの光と反射、闇と影、美しさと醜さ。彼らはまだ変わらずぷかぷかと浮いているでしょうか。

昔は色鮮やかで心が躍った探索も、今はハンモックでぷらぷらとしているだけで平和ボケしそうです。何故こんなに起伏のない日常なのか、と寝てばかりの平和暮らしに文句を溢しますが、ただ苦しみがないだけ、必要ないだけでしょう。苦しみがないと達成がないと思っていたのも社会の「頑張り」刷り込みでしょうか。あれだけはつらつとしていたように思える昔の日常は、自分の中の穴を埋めようと、刺激を求めようと、必死で必死で、ただ何者かになりたくて、無鉄砲に駆け回っていました。汗を描けば景色が煌めいて見えるように、そのころの毎日はきっと煌めきも今より多ければ、どうしようもなく泣きたい夜も多かったのでしょう。

落ち着いてしまった今、逆に右も左もわかりません。

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