記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

映画「Past Lives」置いてきた母国への想い

鰻水さんの最新の投稿を読んだ後「この気持ちになったこと、最近もあったな。なんだっけ、この気持ち。」と思った。

そして、思い出した。Past Livesを観た後の気持ちだ、と。


ゆるいネタバレがあります。


私がこの映画について知ったのは、北米公開時の事だった。実は初めは要約を読み「…不倫の話か、興味ないな」と思った。

それからこの映画の噂をちらりふわりと聞くようになり「ふむ、観に行くべきだろうか」と思いつつも映画館に足を運ぶことは無く、当地での劇場公開の時期を終えた。

ある日、センスの良い友人の家を訪れ、テレビで何か映画を観ようということになった。友人がピックアップしていたリストの中にこの映画があり「あ、この映画、私も観たいと思ってた。いいらしいね。」と話した。その日は他のものを選んだのだが、後日、自分一人で自宅で観る事にした。


観始めてすぐ、私は「あぁ、これはとてもパーソナルな映画だな」と思った。元々「移民」を題材にした映画にやたら飛びつく私であるが、何というか、すごく近い、というか、この話を知っているような気になった。

映画は静かに淡々と進む。かつとてもゆっくりと。とある映画評論家は「スペースが多い映画だ、静寂と人との距離。コロナの時期に撮られた映画だからだろうか」と言っていた。

幼少期時代のパートが終わり、青年期を経て、大人になった主人公と配偶者の会話の全部に、私はいちいち涙した。彼らの会話の全部を知っていた。かつての私は全部、あれらの会話を交わした。自分の過去を追体験するような、不思議な感覚だった。

そして、ラストシーンが私は大好きだった。心をキュゥっと締め付けられ「あぁ、良かった。待っていてくれて。ハッピーエンドだった」と安堵した。


私は映画を鑑賞した後に、復習する癖がある。監督のインタビューを読み聞きしたり、他の人の感想文を読むのを映画鑑賞後の楽しみの一つとしている。

監督のインタビューに特に目新しいものは無く、ヘソン役の俳優がドイツで生まれ育ったという事実に地味に驚いたりした。彼は見事に私を欺いた。彼は「韓国人らしい韓国人なの」と、劇中で主人公が言っていたそれを、見事に演じていたと思う。

ところでこの映画は、監督自身の実体験に基づいているという。ユダヤ系の配偶者と、韓国から訪れたchildhood sweetheartに挟まれて座って会話をした、バーでの出来事が現実にあった。映画と同じように韓国語と英語を交互に通訳。その時の、言葉に出来ないあの感情を映画にしたいと思ったのだそう。

監督は、主人公のようにカナダのオンタリオ州、トロントの郊外に幼少期に移民したカナダ人女性である。アジア系の女性、かつカナダ人と知り、浮かれてしまうのは私だけかもしれない。


いつもnoteで、映画の感想をのせている方が、私が鑑賞した時期と同じ頃に感想を寄せていた。それを読んだ私は驚いた。なんとも私の映画の解釈と全く違っていたからだ。

私はあの話を、主人公と配偶者のラブストーリーだと感じた。軸はあの二人にある。そんなにラブストーリーラブストーリーしておらず、もっと言うと主人公の人生のつまみ食い的な話ではあるが。とにかく、私にとってヘソンはthird wheelだった。third wheelとは、いわゆる「招かざる客」の事である。ヘソンは主人公の過去の登場人物の一人に過ぎないと、私は思っていた。

ところが、私が読んだnoteにはラストシーンを振り返り「主人公はヘソンを愛していたのだろう」とあった。これには私はとても驚いた。もしかしたらそうなのかもしれないが、私は全くそうは思わなかった。

私は、主人公のヘソンへの思いは、過去に置いてきた母国なのだ、と解釈した。ヘソンという一人の人間、というより、ヘソンが韓国を背負っている、ヘソンは母国の象徴みたいなものなのだ。

私にはその気持ちが分かる。先日の一時帰国で、母と空港行きのシャトルバス乗り場でハグをして別れた時、私は母を想って泣いたのではなかった。私は母という存在に上乗せして、母という個体に日本の全てを感じていた気がする。

昔、ホームシックで泣いていた時に、ふと「ホームシックと言いつつ、日本に私のホームはないのだよなぁ」と思った。日本に一時帰国しても、私の居場所はそこにはない。私の日常は当地にあるのだ。私が日本を恋しく思って泣いているとき、それは、私が生きなかった過去を嘆いているのだろう。手に入らない時間枠に気付いて涙しているのかもしれない。


それから、他にも気になって数個の感想文を読んでみた。なかに「配偶者の頼りなさ」というものがあって、これまた驚いた。

私が主人公の配偶者に感じたのは、もっと何というか、慈しみ深い人だな、とか、妻である主人公を信頼し、ある時は彼女を手放して、彼女に大海原を泳がし、彼女が泳ぎ切ったらちゃんとバスタオルを広げて待ち受けいるような、そういう強さだ。確かに、嫉妬と不安のような不安定な心の動きを見せた描写もあったが、私はそれは当たり前だと感じた。私が彼の立場だったら、嫉妬と不安で大混乱を見せていたように思う。

他の人は「主人公の配偶者はヒーローのようだ」と話していた。悪者も正義の味方も存在しないこの映画であるが、私はその人がそう言いたくなる気持ちに頷く。


さて、冒頭に話した、この映画を観たいリストに入れていた友人。「そういえばあの映画観たよ。良かったよ」と話した所「あ、そうなんだ。やっぱ良いんだね、そのうち観るわ」と返された。

そのすぐ後のことだ。また、友人宅で、何か映画を観ようと「リスト」とスクロールしていて気付いた。リストからあの映画が消えていた。彼はもう、観たのだと思う。カナダ生まれカナダ育ちの友人は、もしかして私と同じ解釈をしなかったのかもしれない。話をしたら、移民の私は泣くと知っていたのかもしれない。私はその真相について、確かめてはいない。

トップ画像はこちらから拝借しました。
https://tanstopics.com/2023/09/07/film-review-past-lives/comment-page-1/

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集