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白血病患者の家族として思っていた事②

今から約20年前、私が小学生だった頃、兄が白血病を患った時の事を思い出して書いている。

こちらのパート①から読んで頂ければ幸いです。

2回目以降の一時退院

二回目の一時退院は丁度週末から始まる計画だったので、家族で兄を迎えに行った。

実は、兄が入院するまで、うちは車を持たない家庭だった。首都圏に住んでいると、車が無くても便利に生きられる。(ちなみに私は免許すら持っていない)

両親が車を買うことを審議し始めたのは、ほとんどが「兄の一時退院のため」そして、「土日の面会時に病院に行って、溜まった洗濯物を運ぶ」こと。

兄は長い距離を歩けなくなっていて、車いすが必要だった。

病院からレンタルした車いすをトランクに詰め、みんなでワイワイと車に乗り込んだ。

そして、家に着いた時、私はハッとした。

当時、エレベーターのない4階に住んでいて、その日、私は、父が兄を負ぶって階段を上る姿を後ろから見た。

なんだかすごい光景だった。若くない父が、大きな人間を背負っていた。介護って、時に力が必要だ。こうした時、私は無力だった。

病気になったのが父だったら、誰も負ぶえなかっただろう。父がいなかったら、誰も負ぶってあげられなかっただろう。家に帰りたくても、帰れない事もあるんじゃないか。

帰れない患者家族の為の施設がある

ドナルド・マクドナルド・ハウスをご存じだろうか。

ここは、お家から遠く離れた病院に入院しているお子さんとご家族のための第二のわが家。
お子さんの治療に付き添うご家族のための滞在施設です。

私の家族は病院から、通えなくはない距離に家を構えていたが、中には遠方に住む家族もいる。

実際、兄の入院中、こちらに宿泊していた家族もいた。

設立にあたっての創設者Fred Hillの見て来た世界、その思いも読んで頂きたい。

1974年、それはフィラデルフィアから始まりました。
フィラデルフィアでアメリカンフットボール選手として活躍していたフレッド・ヒルの3歳の愛娘が白血病にかかり、入院することになりました。 娘の入院中、彼がそこで目の当たりにしたものは、狭い病室で子どもの傍らに折り重なるようにして寝ている母親、やむなく病院の自動販売機で食事を済ませる家族の姿でした。 彼もまた入院先の病院が自宅から遠く離れていたため、精神的にも、そして経済的にも苦痛を感じていました。 そこで彼は、病院の近くに家族が少しでも安らげる滞在施設ができないものかと考え、病院の近くにあるマクドナルドの店舗のオーナーや病院の医師、フットボールチームの仲間の協力を得て募金活動が進められました。
そして、彼らの切実な願いを多くの人たちが分かち合い、1974年フィラデルフィア新聞社が提供してくれた家屋を改造し、世界初の『ドナルド・マクドナルド・ハウス』が誕生しました。

この施設は世界中にあり、私の住むトロントにもある。

マクドナルドに行くと、募金箱がカウンターに設置されている。他にも、募金方法は色々あるよう。

施設では、ボランティアも働いている。

ハウスの運営は100%寄付によって賄われているそう。

家族の健康を考える

兄が一時退院中、私は通常通り小学校に通っていたのだけれど、私は休みたくて仕方がなかった。

両親は欠席するのには反対で、何度も掛け合ってみたけどダメと言われ続けた。

また、当時私は21時にはベッドに行かなければいけなかったのだが、一時退院中はいいんじゃないか。多少夜更かしをしてもいいじゃないか。なんて非道なんだ、と本気で怒っていた。

一人で自分の部屋に行って、3人の笑い声が聞こえてくると、とても悲しかった。(そして大抵、彼らはお菓子を食べていた…食べ物の恨みは怖いんだぞ)

とにかく、こうした臨機応変に対応してくれない両親を、当時は地味に恨んでいたし、怒っていた。

ただ、こうした事が、今になっては分かる。普段は無菌病棟で過ごしている患者の横で風邪などひかれたら、たまったもんじゃないのだ。両親としては、私がちょっとでも体調を崩したら、と、気が気でなかったんじゃないか。

そんな事を分かってなくて、我儘を言って悪かったな、と思う。

そして、ここだけの話、両親も兄と二人だけでお菓子を食べたり、テレビを観たり、あーでもこーでもない、と言う時間が欲しかったのかな、とも思う。それはまだ、聞いてみた事がないが。

病気の頃の思い出、話す?話さない?

ちなみに、こうした病気の頃の思い出話を、うちの両親はあまりしたがらない。それはそれで、尊重するし、無理に色々聞こうとしてはならない。

反対に、兄と私は以後、自らの死生観等、積極的にこの頃の思い出を語り合う。

両親はこうして私達が話すのを聞く事も、あまり好きではないようなので、家でみんなが集まった時は、両親が退室してから、もしくは二人でご飯を食べに行ったりしたときにするようにしている。

私が避けていた事

そんな私が、いまだに避けているのが、難病もののドラマや映画だ。

小4当時、とある映画が大ヒットして、よく予告編がCMとして流れたり、パロディなんかをバラエティ番組でよく観た。

私はそれが大嫌いだった。

映画そのものをいまだに観ていないので、そんなに声高々に言えないのだが(いや、もう既に色々言っているが)綺麗過ぎる。

なんか色々鼻に付き、何にも知らない癖に!と、当時は思っていた。

近年は、病気の理解の為に、作品を選んで観ている。

ドナー

当時、兄の移植手術の為に、私は血液検査をした事がある。タイプが一致し、両親がとても喜んでいたことを覚えている。

実際、手術は行われなかったが、私は病院から、色々な説明を受けた事を覚えている。

日本ではこちらのサイトから登録が出来る。

その他に、健康保険証などで、臓器提供に関する意思表示をする事が可能だ。

この新しいタイプの保険証を初めて見た時、結構衝撃的じゃなかったですか?

臓器提供の意思表示は、健康保険証・運転免許証・マイナンバーカード・意思表示カード・インターネットによる意思登録で意思表示をすることができます。

献血は数十分で終わる

私は、兄を始め、両親共に輸血を受け、助けて頂いた経験があるので、積極的に献血に行っている。

家族のみんなの恩返しのような気持ちである。

献血は、初めはなんか怖い、と思いがちだが、一回するとそうでもない。

その、第一回目がハードルが高いので、足が進まないのだろう。日本では、大体の大きい駅付近に献血所が設置されていて、大学や職場に献血カーが来ることもある。

私は、「今日、なんか時間あるな、献血行っとくか」みたいなノリだ。

医者の問診を含むので、不安な事があったら、なんでも相談してみるといい。

ちなみに、日本の献血所では、結構プライベートなイメージであったが、(各々ベットに一台づつ取り付けられたテレビを観たり、ケータイをいじったりする人多し)

カナダの献血所は大分オープンである。

と、いうのも、採血中に、隣の人が「今日、初めて?よく来るの?」みたいに話し掛けて来る。なんか、その感じが私はいつもすごく好き。

初めて献血をする彼氏の手をそっと握り、励ます彼女に出会った事もある。彼女自身は一人でこないだ献血したばかりだったそうで、それに勇気付けられた彼が今回初めて来た、との事だった。

スタッフも私も、みんな「なんてキュートなカップルなの」みたいな感じでメロメロになり、微笑ましかった。

そう、初めてで不安な時は、既にやった事のある家族や友人などと訪れるのも良いかもしれない。

スタッフの方も実にフレンドリーで、「これから上のオフィスの人達のお昼休みで混み始めるから~今のうちにちょっと休んどこ~」みたいな。お昼休みに献血に来る、って素敵だな、と思う。

献血、と言えば、少し前、このニュースがカナダでは大きく取り上げられていた。

日本語の記事があまり見つからず、残念。

詳しい記事はこちら

まとめ

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


参考、参照:


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