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マイベスト日本文学・金色夜叉の話

[ShortNote:2020.3.29]

(いろいろ考えたけどやっぱり夜が一番カッコよく撮れる推しの銅像)

 本当は来年の1月17日にやるべきなんですけどそんなに待てないので今します。金色夜叉(尾崎紅葉/1897~1903)が好きです。日本文学だけじゃなくて海外文学も含めて今まで読んだ小説の中で一番好きです。どれくらい好きかというと卒論のテーマにするくらいです。好きすぎて新潮文庫版を本棚の一番取りやすいところに置いて、青空文庫のページもブックマークして、さらに電子辞書(EX-word)の「日本文学700作品」でも「最近表示した10作品」からすぐ飛べるようにしておいて、いつでもどこでもすぐ読めるように準備してあります。まずはそもそもなんでこんなに好きなのかという話からしたいと思います。

①主人公

 主人公がダメだと物語自体受けつけなくなってしまうレベルで主人公を大事にしています。配点で言えば100点満点中70点くらい主人公に割り振られるぐらいの勢いなので、主人公が0点だと他のところが完璧でも赤点しか取れないことになります。

 さて金色夜叉の主人公であるところの間貫一さんですが、あえて点数をつけるなら150点です。100点満点とはなんだったのか? でもそれぐらい最高なので仕方がありません。一言で言ってしまうと性癖の塊です。

 まず一つ目の推しポイントはかわいそうなところ。かわいそうな人はかわいいので最高です。具体的に彼のどこがどうかわいそうなのかはまた改めて書きますが、15歳で孤児になった上ずっと好きだった(ほぼ)許嫁をポッと出の金持ちに取られて家も学校も友達も恋人も失い、高利貸になったはいいけど性格的に向いてなさすぎて塗炭の苦しみを味わうことになるというかわいそうフルコースみたいな人です。これは150点あげざるを得ない。ただいくらかわいそうな人が好きといってもずっとかわいそうなままで終わってほしいわけではなく、最後は幸せになってほしい派なんですが、もうそろそろ救われてほしいと思ったところでようやく救いの兆しが見えるのも嗜好に合致しています。

 シリアスな展開に隠れがちですが、意外と栗をむくのがへただったり嘘をつくのがへたですぐバレて突っ込まれたり列車に乗り遅れてしょんぼりしたり、かわいいところが多すぎます。母性本能を過剰に刺激してきます。お宮さんはなんでこんなかわいい子を捨てたのか意味がわかりませんが、そこがことの物語の核なので軽率にどうこう言うことではありません。

 個人的に感情過多な男の人がタイプであり、彼はまさに感情過多です。ジェットコースターのように感情の浮き沈みが激しい……と言いたいところですが貫一の場合「浮き」はありません。沈みっぱなしです。マイナスの領域で上下しています。さすがはミスターかわいそう。怒りも激しいし悲しみも激しい。読みが不足してるだけかもしれませんが同時代の作品でここまで激しく感情をぶつけてくる男性キャラを見たことがなかったので新鮮でした。愛が重すぎる故に病んでしまっている傾向があるので今でいうヤンデレっぽいところがあると言えるのかもしれませんが、「ヤンデレ」は軽々しく使いたくない言葉ベスト3に入っており、しかもその概念がまだなかった時代に遡って無理やり当てはめるのは危険だと思っているので慎重に取り扱いたいと思っています。ちなみにベスト3の残りの2つは「サイコパス」と「ディストピア」です。

 余談ですが同じ紅葉作品の「多情多恨」の主人公である鷲見柳之助先生も全力で悲しむストライクゾーンど真ん中の人なので、紅葉の書く男主人公が好きなのかもしれません。

②ストーリー

 細かいあらすじとかの話はこれもまた別のところでやりますが、乱暴に言ってしまうと男と女が別れてそれがこじれにこじれてズルズル行っているだけで他に何か大事件が起こったりするわけでもない話なのにぐいぐい引きつけられます。足かけ16年(中断時期も含む)かかった連載で大長編であるにもかかわらずダレることなく最後まで行きます。

 未完なので「事実上のラスト」でしかないわけですが、ありがたいのは「こういう終わり方にしようかな~」という感じの構想メモが残っているので結末をどうするつもりだったのかは知ることができるところです。実際それで弟子の小栗風葉が「終編金色夜叉」を書いて結末まで持っていっています。改めてプロットを書いておいて取りかかるってめちゃめちゃ大事なんだなと思いますね。今存命中の作家さんもまだ完結してない連載があったらラストどうなるかメモでいいから残しておいてほしい……何があるかわからないから……ハリポタの作者のJ.K.ローリングさんみたいに最後の章だけ書いて金庫にしまっておくとか……。

 話が逸れましたが、とにかくサスペンスやミステリーばりに常に続きが気になる展開だったからこそ当時の読者のハートもつかんだわけです。新聞連載なんだからそういう要素も大事ですよね。病気で余命いくばくもないお嬢さんが「私が死んだら墓前に『金色夜叉』の続きを供えてほしい」と言った
という有名なエピソードもあります。

③文体

 これがなかなかくせ者です。読んでいただければわかる通り美しい文章ですが現代から見るととっつきづらいです。同時代の評論家からは通俗小説だからってあんまり真面目に評価されず現代の読者からは難しい文章のせいで敬遠されるというどっちつかずな状況になっている原因のひとつではありますが、それでもこの作品はこの文体じゃないといけないと思います。読んでみると意外と読みやすいというか、テンポがいいです。少なくとも小難しくあっち行ってこっち行ってこねくり回してるような文章ではありません。よくわからないところは極端な話飛ばしちゃってもだいたいわかっていれば大丈夫です。私も冒頭のカルタ会までの場面は未だに若干何を言ってるのかよくわからないところがありますが、とりあえず「今は新年で、とある家でカルタ会が始まっている」ということだけ把握していれば何の問題もありません。

 堅い文章に隠れがちですがかわいいシーンもあったりします。特にカルタ会の帰り道で貫一が宮のショールの中に入ろうとするシーンは本当に現代の少女漫画に出てきてもおかしくないイチャイチャシーンなのでもうここだけでいいから読んでほしい。こんなにラブラブだったのに……どうして……。

(貫一お宮の像の周りにはWi-Fiが飛んでいます)


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