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碓氷優佳がわからない

 

「碓氷優佳シリーズ」(著・石持浅海/既刊5巻)を読んだ。この作品は「日常の謎」系の第4作「わたしたちが少女と呼ばれていた頃」を除いて倒叙ものになっており、原則として犯人が誰なのかは明かされた状態で物語が進行していく。


 そしてこのシリーズの探偵役を務めるのが碓氷優佳である。第1作「扉は閉ざされたまま」では大学院生で、火山を研究している。卒業後は火山学者となり、日夜研究に打ち込んでいる。作中でも繰り返し容姿を褒め称えられる「瓜実顔」で「日本人形」のような超美人、恐ろしいほど明晰な頭脳の持ち主。名探偵にふさわしいキャラクターだが、この女がなかなか厄介である。殺人という非日常的行為に及んでいる犯人より余裕でわからない。
(以下、碓氷優佳シリーズのすべてを容赦なくネタバレしています)



碓氷優佳は恐ろしいのか?


 この碓氷優佳、解説やネット上の各種書評・紹介記事ではモンスターだのサイコパスだの倫理観がないだの闇の女神だのものすごい言われようである(闇の女神はちょっと笑ってしまった。ソシャゲに出てきそう)。作中でも「頭も冷たいし心も冷たい」と評され、笑顔や悲しみといった表情を浮かべる時も「その場にふさわしい表情を選択しているよう」という印象を与える。少なくとも「クール」というレベルで片づけられるような女ではないことは確かである。


 しかし、私は全作品読んでも優佳にそこまでの印象を抱けなかった。人の心がない! 冷たい! とか言われても「……そうか?」と思ってしまう。確かに論理的で頭が切れすぎなところは怖い、というか油断ならないと思うが、人の心がないとは感じなかった。表情を作っているところも、別に程度の差こそあれ人はその場に適した表情を作ってるじゃないかと思うし、素の表情もたまに出るし、友人関係だったり楽しそうにしてたりするのは本心だろうし。


 強いて言えば人を殺した男(しかも犯人であることを自分が突き止めた男)と結婚までしているのは常軌を逸したところだなとは思う。でも優佳が幸せならOKです(ここにあの画像を貼りつけてください)。優佳的には殺された新山なんかより高校時代から好きだった伏見の方が100倍大事だったんだろうし。


碓氷優佳VS犯人


 倒叙で、基本的に犯人の視点で話が進んでいくので読者は犯人のほうに感情移入するのかもしれない。犯人からしたらそれは優佳なんて恐ろしいモンスター以外の何物でもないだろう。しかし殺人を犯したことを絶対に隠し通したいと思っている犯人からすれば「名探偵」は碓氷優佳じゃなくて金田一耕助だろうがシャーロック・ホームズだろうがミス・マープルだろうがみんな得体が知れなくて怖いだろう。ミス・マープルなんか優佳と違って推理力以外はごく普通の常識的なおばあちゃんなのに。


 私は「犯罪者が追い詰められていくのが好き」という理由で倒叙が好きなので、どちらかといえば「優佳ー! やっちまえー!」という感じで読んでいる。なのでとあるブログで「犯人に感情移入できなかったから一番つまらなかった」と言われていた「彼女が追ってくる」が今のところ一番好き。この作品の犯人・中条夏子の動機は「好きな男の死の原因になった女への復讐」なので、ある意味生々しいが他の犯人たちの一応道義的な動機に比べれば俗っぽい。そんな独善的な理由で殺人に及び、所詮象牙の塔の住人、こんな小娘に何がわかる、と対抗心を燃やしていた優佳に追い詰められて最終的にあんなことになった夏子、いい犯人だった。


碓氷優佳の行動原理


 サイコパスとまではいかなくても、彼女は常人とは違う独特の倫理観や価値観で動いている。


 まず、彼女が推理に乗り出す理由は正義のためではない。「わたしたちが~」で親友の小春が指摘していたように、優佳はクロスワードを解いて遊ぶように謎を解く。そして自分が事件の真相に辿り着き、犯人相手に開陳してしまえば彼女にとってそれはもう「終わったこと」である。殺人犯を警察に突き出すこともなければ、ぎこちない関係になってしまった友人たちの仲をとりなすこともしない。親友が姉の人間性を疑うような結末になっても謎を解いたら解きっぱなしである。優佳は目の前で起きた事件をまるで謎解きクイズのように捉えていて、それを解くために問題上に配置された人物などを利用して真相に肉薄していって、解いてしまったらもう後は野となれ山となれで誰がどうなろうが知ったことではない(興味をなくす)という感じだが、それは読者側も同じで、殺人事件を娯楽として楽しみ作品という箱庭の中に配置されたキャラクターの動きを「謎の解明」という目的のために見る。結末を見届けたら本を閉じて終わり。優佳は物語の登場人物としてストーリーに参加しつつも、「読者」のように全体を俯瞰して冷静に推理を進められる。


 この論理思考力とどんな些細なことでも見逃さない細かさと隙のなさに「相棒」の右京さんを思い出したが、右京さんなら「君の望む死に方」の日向社長の行動は絶対に許さないだろう。いくら贖罪のためであっても、自分を他人に殺させるなどという行為を容認するはずがない。警察官としても、もっとパーソナルな部分においても、右京さんの中に「殺人」を受け入れる余地が1ミリもない。一方優佳は社長の行動を肯定しなかったものの、なんとしてでも阻止しようともしなかった。むしろ社長に助かる意思がないのを見て取ると、さりげなく梶間と戦うよう促し、結果的にどちらが死んでも不自然に見えないようにしさえした。


 これは別に優佳だけが異常に冷たいとか、人の心がないとかいうようなことではない。殺人をそれほど糾弾しないのも干渉しないのも探偵あるある。金田一耕助も結構犯人の尻尾を掴むために泳がせてその過程でもう2、3人死んだりする。社会正義より真実を暴きたいという好奇心の方が比重が重いのだ。警察官などの職業倫理に縛られていない探偵キャラならではの行動。


「語られる」碓氷優佳


 彼女がこれまでのシリーズでだいたい「外からやって来た人」の立ち位置であることも象徴的だ。まったくの他人ではないが完全な当事者でもない、どこか一歩引いた立ち位置。「扉は~」では大学時代のサークルメンバーの妹で、彼らとは昔からの付き合いではあるけれども同年代ではない。親戚の子みたいなポジション。「君の~」ではお見合い研修のために招かれ、社長を除くソル電機の面々とは初対面。「彼女が~」では比呂美の友人として招かれている。シリーズの中では一番オブザーバーっぽい。「わたしたちが~」は仲良しグループの一員ではあるが高校から入ってきた外部生。「賛美せよ~」もトーエンのメンバーだが15年間疎遠だった。どの作品でも一歩引いた立ち位置であることが碓氷優佳というキャラクターにとって重要なのではないかと思う。参加者であり傍観者であり探偵であり読者。


 ここでは一貫して「他人から見た優佳」しか語られていない。だいたい語り手(視点人物)=犯人であり、当然自分が犯人だということをこの女に見破られたくないと思っている。そこで優佳の鋭さや推理力を目の当たりにして脅威に感じ、必要以上に彼女を恐ろしいものと感じているのではないか。死せる孔明生ける仲達を走らす的な。優佳は実際恐ろしい名探偵なので、決して過剰反応とは言えないが。
 

本来なら、わたしは動機なんて、どうでもいいと思っています。犯人の心にだけ存在するものですから。他人がどうこう言っても、何の説得力もありません。むしろ、他人の心境についてしたり顔で語るなんて、そんなみっともないことは、絶対にしたくありません。
(「彼女が追ってくる」/祥伝社文庫 p.238)
 


 優佳はこう言うが、語り手たちは彼女に対してまさにこれをやっている。みんな優佳を外から見て、彼女の行動や表情から「こう考えているのではないか」「こんな性格なのではないか」と推測しているにすぎない。


 「作中の優佳の姿はあくまでも語り手の主観」というのが最もよく表れているのが「わたしたちが~」のラストである。卒業式の後、小春は優佳がこれまで親友である自分が心配したから他の友人たちの問題の解決に乗り出しただけで、優佳自身は解決後友人たちがどうなろうが関心を持たない、冷たい人間なのだということに「気づく」。これがどうも腑に落ちなかった。
 

センター試験の直前、ひなさまがサッサに対して感じた距離を、今わたしは優佳に対して感じている。違うのは、ひなさまが誤解と思い込みに過ぎなかったのに対し、こちらは事実に基づいた正しい推察だということだ。
(「わたしたちが少女と呼ばれていた頃」/祥伝社文庫 p.297)

 
 小春はそう主張するが、小春には失礼な話だが優佳と比べるとやや思い込みが激しそうな小春の推論の信頼性は数段劣るのは否めない。仮に推論通り優佳が自主的には友人を救わず、救う気もなかったとしても、小春の憂慮に反応して動いたのは小春も認める「事実」である。それは優佳が他の友人たちよりも濃い本物の友情(小春のために何かしたいという気持ち)を抱いていたということにはならないだろうか。優佳はサッサやひなさまなどとグループで一緒にいることはできても、一対一で過ごしたいとは思わないかもしれない。が、小春とは一対一でも過ごすことができる。これは優佳にとって小春が数ランク上の特別な「親友」だったということではないのか。一方的に優佳の人となりを断定し、一方的に距離を置いた小春もまた、友人を見捨てているのではないか。小春の言う通り冷たさを自覚できていないのだとしたら、優佳は毎日一緒にいた親友が急に何も言わず離れていったことについてわけがわからず傷ついたかもしれない。


 だが、優佳の心の中を覗けない以上、どんな見方をしても結局どれも外からの推測にすぎない。それが優佳の「わからなさ」の正体である。


なぜ碓氷優佳を恐ろしいと思えないのか


 人を殺したことも殺そうとしたこともないので私が碓氷優佳と対峙することはなく、恐れる必要もないのだが、いろいろなことを抜きにして純粋にキャラクターとして見てもやっぱり私はこの女をモンスターとは思えない。


 これほどの天才美女と似ているというとおこがましいが、優佳の考え方に共感するところがあるからかもしれない。「他人の中に踏み込まない」という心情を持つ優佳は抑制が効いているし、魅力的でもある。

 

動機というのは、他人がどうこう言うべきことではないと思います。恨みの重さ、憎しみの重さ、罪の重さ。皆個人個人で秤を持っています。そしてその目盛りは、人によって違うのです。違う目盛りで他人の心を測ることはできないでしょう。だから、わたしは考えません。
(「君の望む死に方」/祥伝社文庫 p.312)

 
 こういうところが小春が指摘するように「他人に興味がない」ということになるのかもしれない。確かに優佳は根本的に他人に興味がないのだろう。でも他人の事情や心境を勝手に考えすぎ、遠慮してめちゃくちゃになってしまわないのは探偵役として大事なことでもある。そこが特に顕著に示されていたのが「賛美せよ、と成功は言った」で、優佳は黒幕たる桜子の防御を崩すために昔なじみのトーエンメンバーの夢を潰し、少なからず心を傷つけた。やはりこの行為はラストで小春に非難されるが(その小春も、高校時代に比べればある程度優佳の行動原理に理解を示しているところに成長が感じられる)、「謎を解く」ことを至上命題に掲げる優佳からすればこの行いは決して無駄ではなかった。

 先ほど右京さんに似ていると言ったが、右京さんも真実を解き明かすことと誰かを傷つけたり和を乱したりすることを天秤にかけて前者を選ぶタイプである。箱を壊さずに箱の中の物だけ取り出そうとはせず、箱を壊せば取り出せるなら躊躇せず壊す外科手術型だ。ただ、何でもないのにただいたずらに壊すわけではない。どの行動にも明確な理由がある、そういう理路整然としたところは見ていて気持ちがいい。


 それに「他人に興味がない」ことはサイコパスだのと揶揄されるほどそう悪いこととも思えない。極めて純粋に他人に興味がないからこそ、夏子のように嫉妬で身を滅ぼすこともないし桜子のように成功者を羨んで惨めな気分に打ちひしがれることもない。他人への感情で変に歪んでしまわず誰ともそこそこ良好な関係を築くことができる。基本的に感情に惑わされて罪を犯してしまう人物が多い心理ミステリーたるこのシリーズの中心に柱として君臨する資格がある人間だ。そして名探偵界にいがちなわかりやすい人格破綻者よりはかなりとっつきやすい。


やっぱり碓氷優佳がわからない


 優佳が結局どういう人間なのかということよりも、自分の感想がレビューやら解説やらとズレすぎていることの方が気になってきた。しかし、あえて人間性を薄め、人によって受ける印象が微妙に違うようなキャラクターにして碓氷優佳のミステリアスな魅力を演出しているのだとすれば、私の中には私の碓氷優佳がいてもいいのかもしれない。


 優佳のプライベートな部分はほとんど描かれていない。家族も姉の礼子しか登場していないし、伏見との生活(あの碓氷優佳の家庭生活……?)も火山研究の現場も見たことはない。ちょっと見たいような気もするが、優佳には一生どこかからやってきた部外者のままでいてほしい気持ちもある。悩ましい。とりあえず次回作があったとしたら優佳の名字はどうなるのだろうか。碓氷優佳が伏見優佳になっていたら「扉は~」をこれから読む人の楽しみが1つ減るのでは? そんなことないか? 個人的には「扉は~」以降一切姿を現さない伏見が婚約指輪やアウディを通して徐々に優佳に搦めとられていく過程を想像するのがゾクゾクして好きなのだが。

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