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アニリール・セルカンと過ごす2021年GW(いやだ)〈「ポケットの中の宇宙」・後編〉

[ShortNote:2021.5.5]

〈これまでのお話〉


第3章 インフラフリーとライフデザイン

 これも第2章同様入り口のところだけちょろっと説明して終了。モヤモヤする。

 ケニアのキベラというアフリカ最大のスラムの話。ここはインフラが一切ない地域で、拾ってきた材料で道に一晩で家が建っていたり電気も上下水道もなかったりするところだそうですが、ここまで言われると「こんなすごい地域でインフラフリーの考え方を使うとどうすることができるんだろう!?」と期待するじゃないですか。しかし具体的な解決策は一切出てきません。「この負のスパイラルの解決策として、現地にある資材で、そして地元の人びとが持っている知識と労力で、大規模なインフラに依存しない暮らしが実現できないか。僕はその方法を探っています」(p.97)で終わり。計画途中なのはいいんですがせめてこうするとうまくいくんじゃないかとか具体的なアイデアくらい書いてほしい。キベラはこういうものがあるのでそれをこう使う、とか。机上の空論でもいいから。「現地で手に入る材料を使ってのコンクリートブロック作り」(p.97)ってキャプションの写真も結局なんなのか説明されなかったし。

 和歌山県串本町の無人島でのケーススタディもキベラと一緒。「これからやります」以上。「二〇一〇年には現地でのワークショップを実現するつもりでいます」(2010年3月2日に学位剥奪、30日には既に出国)。

第4章 インテリジェントに関する短い話―科学的な態度とは―

 存在意義がよくわからなかった。「インテリジェントについて、僕がもっているイメージの数々を点描的に紹介しましょう」とのことです。セルカンカレッジ第1回講義で話した内容+その後の知見だそうです。ただどれもこれも短すぎてツイッターでやれと言いたくなるようなものが多いです。

移動 人間が車を作ったのは、とてもインテリジェントなことだと思います。今まで行けなかったところにも、行けるようになったのですから。飛行機も、電車も、同じです。(p.133)

……そうだね、としか……。

 ナチスでV2というロケット爆弾を開発したフォン・ブラウンがNASAを作った(?)話から「ここでのメッセージは、世の中は悪いことがあるからこそ、良いことがあるというものでしょう」(p.134)とかいう小学生の感想みたいな結論しか導けないのどういうことだよ。YMOの「増殖」のスネークマンショーの「若いやまびこ」かよ。「いいものもある! 悪いものもある!」これは「同じ人間から街を破壊する発明(研究)も人類を発展に導く発明(研究)も生まれることがある」とかじゃないでしょうか。

ペルソナ 人間はたいてい、本当の顔を隠しています。あなたは自分に正直に生きていますか?(p.137) 

 \お前が言うな/


 こんな感じのものがダラダラ続きますが、最後あたりの「紹介は『セルカンです』のみ」はちょっと面白かった。違う意味で。

僕はときどき、一種の悪戯をすることがあります。初めて会う人に、たとえばこう言うのです。『はじめまして。鈴木です』…『渋谷のコンビニ店で、店長をやっていますよ』僕は相手の反応を見ています。相手は『ちょっと意外だ』みたいな感じの表情になります。『ふーん』などと言いながら。では、『NASAの宇宙飛行士候補』とか『東大で研究している』と、そのあと正直に言ったら? 悪戯につきあってくれた相手の反応は、決まって変わってしまいます。人はたいてい『ブランド力』に惑わされてしまうようです。(p.160-162) 

 なるほど、人がブランド力に惑わされることをよく知ってるからこそ「元オリンピック選手」だの「トルコ人初の宇宙飛行士候補」だのという肩書きを集めることに腐心してたんですね。人は肩書きに惑わされてしまい、それが本当なのか疑おうともせずに信じてしまう。だからホラ吹いてもバレないぜ。ヒッヒッヒ。みたいな感じでしょうか。詐欺師が語る詐欺のやり方的な。

 この章のネタ、いくつか興味深いものもあるにはあるんですが、SKYWARDで「モスクの中に400年前の手紙が入っていた」というエビデンスのない限りなく眉唾限りなく眉唾な話を書いた前科があるのでセルカンの出してくるキャッチーなエピソードはどうしても警戒してしまいます。

第5章 未来を旅する

 ここはなかなか面白かったというか、読者が未来予想などに関心を持つようになるきっかけぐらいにはなりそうだと思いました。エネルギーは足りなくならないという話の例えとか分かりやすいし。しかしこの分かりやすさというのもまた考え物です。

 「空気スタンド」の話。

空気はタダです。フリーエネルギー。ムキムキ店員たちは、体を鍛えたいから、空気ポンプを使うのはいいトレーニングになると思っている。空気を入れてほしいドライバーと、トレーニングになるのでこちらから入れてあげたいと思っている店員たち。このマッチングは面白い構図でしょう? 未来のエネルギーは、このように、ユニークでアイデアに満ちた方法で届けられるといいですね。(p.168)

 確かにユニークではあるんですけど、これ「研究者」の文章ではないと思うんですよね。「研究者」は車がどのように空気で動くのかとかエビデンスをデータで示す。どっちかというと「こういう感じになったら面白いよね?」というのは作家とかビジネスマンの文章な気がする。この章は全体的にこんな感じ。「~するでしょう」「~ではないでしょうか」ばかりで、「僕以外の研究者ががんばって発明とかしていつかできるんじゃないですかね? 知らんけど」みたいな他人事っぽさを感じる。全部イマジネーションで喋ってるような。

 なぜイマジネーションっぽいのかというとやはりデータや引用(もちろん適切な!)がないからじゃないですかね。こういう科学分野の本はあまり読んだことがないのですが、人文学系の本でも鬼のように注釈マークがついてていちいちこの文章の根拠を示してくるんですよ。そうじゃないとこの文が第三者が見ても納得するような確認の取れた事実に基づいた文章なのか、それとも単なる筆者の想像なのか判断できないからです。

エッセイ集

 存在意義がいまいちよくわからない章再び。文量が足りなくて仕方なく既出の文章を再録したのかなと思ってしまう。これなら既出のエッセイに書き下ろしを加えて純粋なエッセイ集として出してもよかったんじゃないでしょうか。なんかこの本、自伝なのか宇宙科学や建築やインフラ問題の初心者向け入門書なのかエッセイ集なのかよくわからない。全部の要素を入れたかったんでしょうけど。

 東京の外国人恐怖症の話。

テレビが繰り返し放映する外国人犯罪者も、僕らの代表ではない。こうした一部の外国人を通じて外の世界を見るのは、暗い地下鉄に乗り続けるようなものだ。(p.203)

 その通りですね。だから私もセルカンだけを見てトルコ人は全員嘘の経歴を本に載せて平然としていられるような厚顔無恥だとは決して思ったりしません。「何をもって国際化というのだろう。多くの日本人女性にとっては、外国ブランドのバッグをもつことなのか」(p.203)国際化だと思って海外ブランド持ってる人いないと思うんですけど。あんまり女性差別だとか言うつもりはないですが、そこはかとなく侮蔑の匂いを嗅ぎ取ったのは穿ちすぎでしょうか。

 「スピリットが宿る東京を根なし草の僕は愛す」。

二冊の本を例にあげて説明しよう。一冊は文章が印刷されたもの。もう一冊は白紙だ。誰かが二冊の本を科学的に分析するとしたら、「成分」を調べることになる。文章の印刷された本は紙が一七〇グラムで、印刷インクが三〇グラム。もう一冊は一七〇グラムの紙。この本に三〇グラムの印刷インクを垂らせば、両方の成分は同じになる。しかし二冊には決定的な違いがある。「スピリット」だ。前者には、言葉というツールを使って著者が吹き込んだスピリットがある。(p.210-211)

 これでこの本がいまいち響いてこないわけがわかった。「スピリット」がないからだ。嘘の経歴に根ざした空想ばかりベラベラ喋られても何も感じられない。この人はどういう気持ちでこの一文を書いていたんでしょうか。自分がやっていることは本にインクを垂らすだけの行為にすぎないとは思わなかったんでしょうか。ちょっとでも思ってたらこの本は世に出ていなかったかもしれません。

 「海の向こうの国の二人」(p.213-228)、いい話だけどこれもちょっと小説っぽく見えてしまう。


 18歳になった日にシカゴで免許を取って「三年後に夢のロータス・エリーゼを購入」(p.201)。1973年生まれ、18歳になるのは1991年、そこから3年後は1994年。しかしロータス・エリーゼの発売は1996年。さてこれはどういうことなんでしょうか。

①さすカンなので特別にロータスに便宜を図ってもらい2年後に発売される車を手に入れた。
②実はタイムマシンの制作に成功しており、2年後の未来にタイムトラベルして購入した。
③ただの虚言。

 こういうどうでもいいけど細かいところに矛盾が生じるの面白い。こうやってつっつきながら読む本なのかもしれない。


あとがき

 やっとラストですよ。

他の人の人生を生きているわけではなく、あなた自身の人生を生きているのです。人に合わせることは時には大事ですが、自分らしい「人生の経験」を見つけることが重要で、それはあなたが生きた証でもあるからです。(p.229)

 \お前が言うな/(2回目)

 イリノイ工科大学を卒業したりスキーでオリンピックに出たり21歳でロータス・エリーゼを乗り回したりしていた他人の人生を生きていた人にこれ以上何も喋ってほしくないのですが、少なくとも経歴詐称なんかしてない大多数の人はそれだけでちゃんと「自分の人生」を生きていて素晴らしいんだなと思いました。東大大学院の助教ではないかもしれない。有名な出版社から何冊も本を出してはないかもしれない。著名人と親しげにしている写真をブログにアップしたりはできないかもしれない。でもちゃんと間違いなく本当に自分がやってきたこと、歩んできた道で今のポジションにいるならそれは社長だろうが課長だろうがヒラだろうが何だろうが等しく尊重されるべきその人の人生だし、嘘で獲得した助教の肩書きなんかより何倍も価値があるのだと思います。そこに改めて気づかせてくれてありがとうセルカン。ありカン。

一人ひとりが違う才能を持っています。その魅力を引き出し、知識と視点を磨けばそこにはあなたの宇宙が存在します。(p.230)

 そうだな……。セルカンには確かに口八丁手八丁で相手を幻惑してそれっぽいことをそれっぽく見せる才能があったのだからその才能を磨いてフィクションの分野で活躍すれば誰からも罵られなかったのに……。

まとめ

 ということでやっと1冊目が終わりました。やっとです。全体的な感想としてはやはり「薄い」。あまり専門的なことは書かずまず著者の発想の仕方や入り口を学んでほしいというコンセプトで、水族館に入ってすぐのところにあるタッチプールみたいな立ち位置の本なのでしょうが、私はどちらかといえばわかりやすく初心者向けにレベルを落として説明してもらうよりも読者側にある程度素養が備わっていることを期待しているようなちょっと難しめの解説に必死に食らいついていくみたいな読書が好きなのでそもそも客ではなかったと思われます。

 たださっきも言いましたが未来予想のユニークさはあるし研究者ではなくSFや未来系ファンタジーの作家のアイデアとして見れば面白いかもしれない。デイリーポータルZの「ノーエビデンス未来予測」シリーズみたいなものだと思えば。何の責任も取らなくていい未来予想って楽しいですよね。

 あと「エコ」ブームに対する警鐘のようなものとか、「自分はエコロジストではない」のくだりとか、シロクマが溶けた氷の上にいる写真は夏だからかもしれないと疑えとか、環境問題(というか「エコ」)についての意見に関しては同感なものが多かったです。この頃って今よりもだいぶエコが熱狂的に叫ばれていたというか、「エコ」「ロハス」「スローライフ」のような言葉を聞く回数も多かったし、シーシェパードなどのニュースも結構目にしていたような気がするので、そのタイミングで「ちょっと待った」と言うのは大事だったのかなと思います。

 ようやく1冊目終わりました。次はこれより短くできる予定です。予定。

参考:アニリール・セルカン経歴詐称疑惑 https://w.atwiki.jp/serkan_anilir/sp/

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