【読んだ本003】『クララとお日さま』カズオ・イシグロ[著]
[どんな本?]
・Kindle読み上げで耳読おすすめ度:✕
(やはり小説は無味乾燥な読み上げ機能では雰囲気がそがれる)
子ども用の人工知能搭載ロボット(Artificial Friend)であるクララの視点から語られる、ジョジーとリック、彼らの家族との間につむがれる物語。
[なぜ読んだか?]
カズオ・イシグロのファンなので。
彼の、描きたいものの100%は無理でも、99.9%に近い大きさと密度と体温は再現できるように選り抜かれた言葉遣いが好き。
[読んで得た気づき](ネタバラシあり)
『わたしを離さないで』と同じく、どんな世界なのか、「向上処置」などの会話に当たり前のように出てくる言葉がどんな意味なのかがまったく説明されない。
会話のやりとりや描写から、どんなものかがだんだんわかってくる仕掛けが、どこか不気味でもあり、自分が紛れ込んでいる世界のリアルさを感じさせる。
文中のクライマックスのセリフが衝撃的だった。
「誰の中にも探りきれない何かがあるとか、唯一無二で、他へ移しえない何かがあるとか、どこかで信じている。だが、実際にはそんなものはないんだ」
「ジョジーの内部に、この世に残るクララが引き継げないものなどない」
実は、「かけがえのないもの」なんて、ない。
誰でも何でも、代替しようと思えば不可能ではない。
そんな、人間がふだん無意識に目をそむけていることが、人間ではないクララを介することでむき出しにされる。
クララが、ジョジーをそのまま存続させるために、クララ自身の身体も失い、ジョジーをかたどられた身体に入る。
それは果たしてジョジーなのか、それともクララなのか、どちらでもない新しい存在なのか。
どの答えであったとしても、その存在は「ジョジーを愛するすべての人のために必要」なことであると語られる。
けれど、そんなふうに心を揺らす人間たちのなかで、クララは
「ただ、希望を捨てないで」
という。
そして、クララ自身が、それをどんなに追い詰められても、どこまでも諦めずに実行する。
どんなに心が揺れても、それを「代替しない」という意思決定にこそ、「かけがえのなさ」の本質が潜んでいるとクララが身をもって教えてくれる。
周りの人のかけがえのなさを、人間は、当たり前に思いすぎている。
だから攻め込んでくる誘惑に弱い。
クララは最後、
「わたしがジョジーを継続することも、やればできたとは思います」
と言う。
「完璧な再現などできないということより、どんなにがんばって手を伸ばしても、つねにその先に何かが残されているだろうと思うからです」
「特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中ではなく、ジョジーを愛する人々の中にありました」
ぶれない冷静な視点を持っている、クララであればこその言葉。
ということは、AFのつとめを終えたクララが打ち捨てられたのは、クララの周りの人々に「特別な何か」がなかったからなのだろうか。
そしてそれは、最初から「期間限定のAFである」として贖われたからなのだろうか。
物語はあえてそうとは語らないことで、それを語る。
あらためて、周りのかけがえのないものを認識して、抱きしめたい。
そして自分のなかにある「特別な思い」も、クララも。
そんな気持ちになった。
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