見出し画像

今思えば漫画雑誌の受動喫煙は予防接種だった~三宅香帆さん「フルコミットしない社会のススメ」を聞いて

今日はこちら、千代田区男女共同参画センター主催の講座、三宅香帆さん「フルコミットしない社会のススメ」に参加しました。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、昨年大いに考えさせられた本でした。当時私はこんな感想を記しています。

今回の、この本をテーマにした三宅香帆さんのお話は、既読の人にはよい振り返りと新しい気づきを、未読の人には本のエッセンスを伝えてくれる、絶妙のバランスだったと思います。

お話には、
・大人の読書離れが語られていない?
・長時間労働帯国と読書大国はならびたつのか?
・現代はノイズ除去型社会?
など、「どきっ」としたり「おおっ」と思うテーマが詰め込まれていました。

なかでも、今回私のなかでフラグが立ったのは、
「ノイズは他者の情報」
「他者への想像性につながる」
というところ。

昔は読みたい漫画があれば、それが連載している漫画雑誌を買っていたけれど、いまは読みたい漫画だけをアプリでピックアップできる。
つまり、現代は「ノイズ除去型社会」、ノイズ=他者の情報=自分が知りたいと思っていない情報が除去できる仕組みがある社会なわけです。

そのお話に、私は昔を思い出しました。
私には弟がいて、弟は、毎週週刊少年ジャンプを買っていました。
私も気になる漫画があり(「ハイスクール!奇面組」「シティハンター」あたり)時には弟より前に(…)読ませてもらっていました。
その同じ雑誌には「きまぐれオレンジ☆ロード」や「まじかる☆タルるートくん」、桂正和氏の連載もあり、すすんで読んだ記憶はあまりないのですが、ぱらぱらめくるうちに受動喫煙のように、「こういう感じが好きな男の子もいるんだなあ・・・」と漠然と把握した記憶があります。

つまり、ノイズを真正面から摂取はしていませんでしたが、なんとなく「他者」を知り、なんとなく「他者を想像」していたのです。

そういう形でのノイズへの接触が、その後の「私自身はあまり興味がなくても、その世界が大好きな人がいる」という他者の理解につながっているような気がします。

自分が大好きなものを大好きだと思う気持ちと同じものを、他者は、別のものに対して持っている。
その「対象物」が大好きという気持ちに共感はできなかったとしても、「大好き」という気持ち自体には共感できるのです。

今思えば、そういう形で「他者の大好き」に触れることは、予防接種のようなものだったなと思います。

「他者の大好き」=ノイズが除去された、「自分が大好き」な世界だけで自分を純粋培養していたら、ちょっとしたノイズも「地雷」になります。

忙しい現代、「タイパ」の名のもとに、ついノイズを除去したくなりますが、あえてノイズに触れておく仕組みも選ぶことで、自分のなかに他者への想像性を含ませることができる。
そのほうが、将来の自分は幸せかもしれない、とあらためて思いました。

今日の三宅さんのお話には、ほかにも、
「趣味の本は机におく。今度読もう、と思って仕事以外の世界がキープできる」
や、
「本屋が「場所としてかわいい」ものになればもっと足を向ける人が増えるのでは」
など、きゅんとくるお話がつまっていました。

読書とは、長い時間ひとりの人の声を聞く、現代にはまれなツール。
本を教養としても読み、癒しとしても読む私にとって、今日のお話はその両面を兼ね備える良い時間でした。

三宅さん、良い時間をありがとうございました。
MIWの皆さま、開催してくださりありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!