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2014年5月の記事一覧
酒は涙か溜息か(古い)
時は1993年のこと。バブル崩壊なんて言われてはいましたが、それでもまだバブルの残滓があちこちに残っていた時期、どうせこんな不況はすぐ終わるだろうと日本人が楽観的に考えていた時代のお話です。なお終わらない模様。
当時の私は大学生。ついいい気になって「大学ぐらいは遊びサークルに入ってやろう」と考えたのが運のツキ、気が付けば毎週のように飲み会に出されるようになってしまったのです。
生来のお調
僕は写真が撮れない……が
人にはカメラの腕に関わらず、心に響く写真というものがあります。
例えばこれ。昭和53年10月に発行された交通公社の時刻表。
普通時刻表の写真と言うものは、列車の写真をドン、と据えるもの。そこに風光明媚な景色とかを入れて季節感を出しつつ、旅行への憧れを煽るのが一般的セオリーなんですが。
ところがこの写真、ぱっと見では列車とは全く分からない。辛うじて列車の窓枠やテーブルが見えるだけというもの
久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも(正岡子規)
幼少の頃から野球が好きで、小学校1年生の頃には既にプロ野球と高校野球の歴史を全暗記していたぐらい好きでした。
高校進学はもちろん「甲子園に行きたい」という理由で選んだのですが、私が中3の時に出場したのを最後に、今まで出ていない始末。ふざけるな! ……まあ、自分でプレイしている訳じゃないのに文句を言ってはいけない。
平日が休みになると、私はプロ野球の二軍戦や、高校野球の県大会を見に行く事が
動いているものを携帯で撮る!
私が生まれて初めて触ったカメラ、それは昔の「銀塩カメラ」でした。ピントは自動で合ってくれないし、それ以前にフィルムを入れないといけない。
親から使い古しのカメラをもらい、近所を走っている電車をパシャパシャ写していたのですが、出来たネガを見るとピントがボケボケで現像しても意味が無いものばかり――こうして私のカメラへの興味は失われました(おい)。
ところがその後、携帯電話のカメラ機能がどんどん
私も もえたろう★ さんにアイコンを作ってもらいました!
始まりは、もえたろう★さんが行なっていた投げ銭企画でした。
イラストレーターの彼女がアイコン作成を承りますということだったので、乗るしかないこのビッグウェーヴに(古い)とばかりに便乗してみることに決めたのです。
さっそく応募してみるや、彼女からアイコンとヘッダー画面をそれぞれ作成しますよ、とのメールが届きました。彼女は幸い私と同じ鉄道ファン、それも私が沿線に在住している京浜急行好きという
私は、鉄道ファンである。
鉄道ファンは、その人生の中で多くの別れに立ち会う。
それは路線の廃止であったり、車両の廃止であったり、駅の廃止や改築、無人化、場合によっては新線開業による状況の変化と様々である。
自分が乗ったことのある路線が廃止されるのは何度も味わってきた。乗車時の光景に思い出があるのは勿論だが、当時の自らを思い出すだけでも十分すぎるほどのノスタルジーだ。
例えば岡山の下津井電鉄。762mmのナロー
ポッポリは海を越えて
1994年5月1日、イタリアの空にはポッポリと呼ばれる白い綿毛が飛び交っていた。日本で言うタンポポのようなそれは、2月から5月にかけてイタリアの空を舞い、自らの種を散らすのである。
1994年5月1日、イタリアの都市ボローニャの病院に、女医の空しい声が響いていた。
「no speranza(希望はない)」 通算3度のワールドチャンピオンに輝いたF1の英雄、アイルトン・セナの脳が機能停止した