『傲慢と善良』を読んで考えたこと
前段
本作を読み進めている中で、「似たような感情を持った小説をどこかで読んだことがあったな」と思った。
ふと解説のページを開いてみる。
朝井リョウ、という人物にああ、と頷く。
なるほど、この作品は朝井リョウさん著作の『何者』と近しい部分を持っているのだ。
『何者』は就活という人生の一大行事を通じて、選ばれる人・選ばれない人を描いていた。
この本はその続き、就活を経た後に訪れる、人生の一大行事である婚活において、選ばれる人・選ばれない人というものを描いている。
もちろん、就活と同じように婚活そのものを選ばないという選択をすることだってできる。
だけどその選ばないという選択をしたとしても、選ばなかったという事実だけで終わらずに、私含め少なくない人はその裏にあるものに思いを馳せるだろう。
選ばなかったんじゃなくて、選ばれなかったんじゃないの、と。
傲慢だと思う。
だけど、その傲慢さを隠し、時には垣間見せながら皮肉に生きている私たちを、本作は見事にも描いてみせる。
私自身の話
私自身、20代も後半になり、恋愛をするにも結婚を意識するようになって数年が経った。
そして、本作の主人公達と同じようにマッチングアプリを活用して、恋人、もとい結婚相手との出会いを夢見ていたりする。
結婚したい?と問われたことがあった。
この時代なので会社の人間からではない、同い年で同性の友人からだ。
彼女には付き合って1年が経つ彼氏がいた。
「彼氏のことはちゃんと好きだよ。もう一緒に暮らしているぐらいだし」
そう言いつつも彼女は転職を機に、今年の春に上京する、つまり彼氏と離れ一人暮らしをする選択をしていた。
当然、彼氏はいい顔をしなかったそうだ。
「やりたい仕事があるんだもんね、応援するよ」と言いつつも、なぜ自分と暮らし続けることを選んでくれないんだと思ったのだろう。
「でも、今結婚していいのかな、とは思うんだよね」
そう話す彼女を傲慢だと言う人もいるだろう。その時に本作を読了していたら、私もそう思ったかもしれない。
だけど私はその傲慢さを正しいと思った。
愛情と言う意味で、彼女のことが好きだった。だからこそもっといい人と出会えるはずだと本気で思った。
本作に登場する主人公の女友達のように、今付き合っている彼氏で本当にいいの?と。
「東京にはいろんな人がたくさんいるから、新しい出会いもあるよきっと」
私の言葉に彼女は微笑みつつ、でも今の彼氏とはしばらく遠距離恋愛で頑張るよ、と言った。
その善良さが、好きだった。
点数化される私たち
就活にて筆記:○点、面接:○点と、その人物が点数化されるように、婚活においても私たちは項目ごとに相手を点数化する。
最終学歴は、勤務先は、出身地は、全国異動の有無は、親との関係は…。
項目によっては、そこまで気にする?という人だってもちろんいるし、それをグロテスクだと嫌悪する人もいる。
そして、私も、前述した彼女も相手を点数化しながらも理解していた。
自分達もきっと、彼らから点数化されているだろうということを。
ただ、それは本作でいうような相手にとっての点数かと聞かれると、微妙に違うと思う。
正確にはこの世界で私たちは、ピラミッドの上のどのあたりのランクにいるのか、相手はどのランクにいるのか、それは釣り合っているのか、差はどれくらいあるのか…とか、そういうことだ。
そしてそれにより私たちは考える。
どれくらいの点数の相手を選ぶのが正解なのか、どれくらいの点数の相手であれば自分は選んでもらえるのだろうか、と。
婚活に真面目な人ほど、結婚に失敗したくないと思う人ほど、相手を点数化し、比較する。
この相手で良いのかと疑う。
彼女はわからないが、私自身は…親から結婚相手はちゃんと選びなさい、と再三言われてきたことも要因の一つだろう。
「あの時の私は世間知らずだった」
そう話す母の姿を思い出すたびに、心がぐっと締められているような思いがした。
相手と向き合うって、結局何?
本作と似た小説として、思い出した作品がある。
何者とは異なり、似た感情を持ったというよりは物語の展開が似ているという意味で思い出した作品。
川村元気さん著作の『四月になれば彼女は』。
こちらの作品も結婚式寸前に主人公の婚約者が行方不明になり、主人公が彼女の行方を探すという場面が出てくる。
その際、主人公は婚約者の妹に言う。
「自分は彼女と向き合っていなかった。彼女を見つけて話さなきゃいけない」と。
同じような言葉が本作にも登場する。
行方不明になった婚約者の言葉。
「私は彼と向き合っていただろうか。彼はちゃんと私と向き合ってくれていただろうか」
正直よく使われる言葉だと思う。
「俺たち、ちゃんと向き合って話そうよ」
かつて私も言われたことがある。
では、結局、相手と向き合うとは一体何なのか?
それは、相手が自分とは違う人間だということを知ることなのだと思う。
「あなたと私は違う人間」という、この至極当たり前でどうしようもない事実を、あなたと私で確かめ合うこと。
自分にはどうしてもわからないことが、相手の中にあるという事実を、理解することなのだと思う。
その過程で傷つくことも当然あるだろう。
相手を傷つけることもあるだろう。
あなたのここが嫌だった。
あなたのここがわからなかった。
どうしてわかってくれない。
どうして許してくれない。
どうしてもわからない。
どうしても許せない。
傷つけることを、傷つくことを、
許せないことを、許してもらえないことを、
それで良い、とすること。
それでも隣で生きていきたい、という結論をお互いに出し合えたなら。
どんなにいいことかと心から思う。
終わりに
先日、マッチングアプリで出会った人と3回目のデートをした。
それなりに楽しい時間を過ごし、帰り際に彼と4回目のデートの約束をした。
ゆっくりでいいから、という彼の言葉に私は曖昧に笑った。
その上で私はまだわからずにいる。
この人でいいのか、この人がいいのか。
本書の言葉を思い出す。
ビジョンを持っていないと婚活はうまくいかない。
誰でもいいと言いつつ、私たちは誰でもいいなんて本気では思っていない。
理想を高く持ちすぎない。
妥協も必要。
完璧な相手なんていない。
わかっている、全部。
自分がした選択を許すことのできる未来。
それが私の幸福。