「話を聞く」とは何か

「話を聞く」というのは、案外に奥が深い行為ように思う。

ただ、ふんふん、と相手の話を聞いているだけでは、一方的なお説拝聴になってしまい、話を聞いていたはずが、気づけば自分の話ばかりをしている、ということもある。

「聞き上手になる方法」という類の本は、世にわんさかとあるのだが、そこあるのは「相手にしゃべってもらう方法」であり、本質的なものは少ない。

いいかえれば、「相手に興味を持つにはどうすればよいか」というポイントを示しているにすぎず、会話をテクニカルなものに落とし込んでいる時点で、むしろ「話を聞く」という行為から遠ざかっているのではないか。

他者と自分理解の場をいかに築くか。こぼれ落ちた言葉を受け入れる行為がもたらすものとは何か。そんな問いに挑んだのが、鷲田清一の『「聴く」ことの力』である。

<話すためには、まず聴かれなければならない。話はつねにだれかに向けてなさせるものだからである>(本書より)

思うに「聞き上手」とは「再構築上手」ではないか。相手から聞いた話を、自分の言葉で再構築して投げ返しながら、自分の考えもまた深めていく。他人の気づきから、自分に気づく。その繰り返しなのかもしれない。

(著述家/真山知幸)

-------------------------------------------------------------------------

【発行メルマガ】

真山知幸の「それでも笑って生きるための偉人マガジン」

https://www.mag2.com/m/0001688123.html


-------------------------------------------------------------------------


いいなと思ったら応援しよう!

真山知幸(著述家・編集者)|@mayama3
「偉人」や「名言」「歴史」にまつわる執筆多数。 【メール】 mayama.tomoyuki(at)gmail.com ※ (at) は @ に置き換えて下さい