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誰もが生きやすい社会をつくる

こんばんは。mayaです。株式会社irodoriという会社を経営してます。昨日は初note、スキをしてくださった方、本当にありがとうございました。

何人の方が読んでくださるのかはわからないけど、今日も私の頭の中を垂れ流します。自己紹介で書きたい『私』についての話は、正直たくさんあります。ネタみたいな人生なので、ほんと生きてるだけで毎日大忙し。そして好奇心が異常なほど旺盛なので、ほとんどの人が人生でしないであろう体験をたくさんしてます。誘拐された話、とか。(笑えない)

でも今日は、私の人生のミッションでもあり、会社のミッションでもある『誰もが生きやすい社会をつくる』についてどうしても書きたいのです。

今、ハマってることはなんですか?って聞かれたら『irodoriの未来を考える』と断言できるくらい、会社に関することをしている時、楽しくて最高の時間を過ごしています。なんて幸せ者なんだー!!

『mayaはいい意味で幸せの基準が低い』って何度か言われたことがあるのですが、確かにそう。
美味しい紅茶を飲んだ時の『美味しい!幸せ!ハッピー!』鍵がスムーズに開いた時の『今日ついてる?!ラッキー!』朝アラームの前に起きれた時、『え?なに?私天才?!偉すぎない?ご褒美に何食べよう〜朝♡』毎日こんな調子で、それを声に出しがちなので、そう言われるんだと思います。
もちろん、辛いことも人よりもたくさんある気がします。でもそれって毎日なにかしら挑戦していたら当たり前で、それすら私が私を愛す理由になって。

ここまでの話って、ただのハッピーな話のようですが、幸せな時に素直に『幸せ♡』と心から感じられて、それをこうやって言葉にできて、そして愛する人に『今日も大好きだよ!スーパー愛してる!』って言える毎日。
これは、私にとっての『生きやすい社会』に向かって、確実に進んでいるのです。
そう、今日お話ししたいのはこの『誰もが生きやすい社会』について。

今の私にとっての生きやすい社会は、例えば、

①誰もが、自分を愛せる社会、
それを公言できる社会

②本当に自分が好きな人を、
好きって言える社会(ジェンダーなど問わず)

なのかな、と思います。

私は、どうやら人とは色々違う、それは小学生の頃から感じていました。『みんな』と違うからいじめられたりもしました。でも、みんなと違うの、『みんな』って何?普通って何?と、思います。

全体的にみてより多くの人が取るであろう行動や考え方を、普通、みんな、マジョリティーといい、そうでない少数派の人を変な人、マイノリティと呼ぶ。

そう分けてしまうことにも違和感はありますが、そもそもマジョリティーであることは生きるための絶対条件なのでしょうか?
もし本当は、いわゆるマジョリティとは違う考え方を持っているのに、その素敵な個性や多様性を抑えて、生きるために、押し殺したり、我慢しているとしたら。それは、生きにくい、かもしれません。
そして、それは社会の今後の発展のためにももったいないことかもしれません。

私は、多様性や個性は、これからの社会をどんどん良くできると信じています。そのためにも、多様性や個性を生かせる『誰もが生きやすい社会』を作りたいのです。みんなが心地よく生きて、自分を愛せる世界を作りたいのです。

私、私の大切なパートナー、家族、友人、そして今を共に生きる全ての人『誰もが』生きやすい社会を本気で目指しているのです。

そのために、私ができること、それをirodoriでの事業を通して、やっていきます。まだまだ言語化がうまくできていないのでこれからもこのテーマは何度となく書く気がします。温かく見守ってください。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。明日が今日よりも少しだけ生きやすい社会になることを祈って。おやすみなさい。


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