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息子が教えてくれたこと

真夜中1時。
ミルクを飲んだ後、眠りながら顔を真っ赤にしてうなっている息子を眺めている。

1ヶ月前、息子が産まれた。

妊婦時代を含め、まだ息子と出会って11ヶ月しか経ってないけれど、その間、息子から色んなこと教わっている。

まるで日本酒片手にほろ酔い気分で話すような内容だが、思いっきりシラフである。
それもこれもきっと徹夜明けのせいだ。

奇跡を信じてみること
この子は不妊治療(顕微受精)の末に授かった。
だから、受精卵だった頃の写真が手元にある。
顕微鏡で拡大された、細胞分裂し始めたばかりのあのちっちゃな細胞の写真だ。
それが今や私の横で寝息を立てている。
ミルクが飲みたいと顔をしわくちゃにして泣いて、眉間に皺を寄せながら私の顔に目を合わせようとしてくる。

何という奇跡だろう。

妊娠したら、そりゃ赤ちゃんは産まれてくるもんである。当たり前の話だ。

でも、自然妊娠ができなかった私たち夫婦からするとその当たり前を手繰り寄せるのが大変だった。

だからこうして我が子を抱きしめられるのは奇跡でしかない。

そして、この奇跡が現実ならば、私が今まで無理だと決めつけて諦めてきたさまざまなこと。

赤ちゃんを持つママが眠れる仕組みをつくりたいだとか、英語を喋れるようになりたいこととか、最高にくつろげる家に住みたいだとか。

これらのことなんて、叶わない訳がないんじゃないかって思えてくる。
もっとこの世界の奇跡を信じてみでも良いのかもしれない。そんなことを最近考えるようになった。


人の優しさ
私は、息子に出会うまで赤ちゃんが苦手だった。どう扱っていいのかわからなかったからだ。だから、赤ちゃんやそのお母さんに優しく声をかけたことなど一度もなかった。   

そんな私なのに、いざ妊婦・産婦になると、色んな方から優しさというたくさんの愛を息子に対して注いでもらった。

息子がまだお腹の中にいる間から、私より先に子育てがひと段落した友人や、時には、長らく疎遠になってしまっていた方からも色んな育児グッズを譲ってもらった。

切迫早産気味で入院している間も、助産師さんや清掃に来てくださる方から日々声をかけてもらっていた。

今日も鼻詰まりで急遽かかった小児科の先生や受付の方、病院の隣の薬局のスタッフの方から、可愛いねーと声をかけてもらった。
顔のつくりがどうのではなく、この小さな存在が可愛いのだ。

息子に注がれる愛情が今日も胸に沁みて、病院の帰り道、じわっと涙が出た。


私のお腹の中で育ったこの小さな生命体は、人間世界に浸り切ってへとへとになった私に大切なことを教えてくれている、

ありがとう息子。
愛おしいよ。

いつか私が息子に返せるものはあるのだろうか。
小さくてぴたっと生温かい手に握られながらそんなことを思う、

さて、次のミルクの時間まで仮眠を取ろうか。

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