![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/91493292/rectangle_large_type_2_5f5a204437bfd3a8689667012b0d4cc0.jpeg?width=1200)
ヨソモノとジモトがパンを分け合うとき
秋田県五城目町
私が紫波町の次にすきな町、と言いふらしている五城目町で、さとのば大学の運営チーム合宿をすることになった。
流れで主担当になって、調整に奔走しているのだけれど、なんかもう、業務の範疇を超えているなあと思ってきて。笑
2017年の5月、地域おこし協力隊になって初めてのゴールデンウィークにお出かけしたのが秋田で、その時に立ち寄ったのが五城目町だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1668812115268-3nGIGyjZwH.jpg?width=1200)
あれから、おかえりと言ってくれる人たちができて、まるで帰省するようにちょこちょこあそびに行くようになって、大切な人たちを連れて行くようになった。
だから今、さとのば大学でお仕事するようになって、連携地域のひとつである五城目町に仕事でも関われるようになったことが、めちゃくちゃ嬉しい。
それは単にだいすきな町と関われる幅が広がったということだけじゃなくて、私が大切にしているものに新たな角度で価値が生まれるみたいなことなんだ。
プライベートが仕事に染み出すような。
仕事も愛でできている
私にとって大切な場所に、大切な仕事仲間の皆さんが来てくれる。
![](https://assets.st-note.com/img/1668815531456-nTOQSm0Pdm.jpg?width=1200)
せっかく五城目に来るなら、こんなこともあんなことも知ってほしい。魅力を体感してほしい。
私がすきなものを、大切な人にもすきになってほしい。
そのために、「いい仕事」がしたいと思える。
……これが、モチベーションというやつか。
ああ、私は「愛」に突き動かされているんだなあ。
ヨソモノはいつからヨソモノでなくなるのか
この前、友人と話していて深い気づきがあった。
彼女は地元ではない地域に愛着を持って、頻繁に通いながら地域でのプロジェクトを主体的に進めている。
その関わりは2年を超え、地域での人脈もしっかり築いてきたにも関わらず、ここにきて信頼していた仲間に「ヨソモノ」扱いされてしまったのだとか。
ひとつ前のnoteにも書いたけれど、ジモト─ヨソモノみたいな地域でのステータスにはレベルがあって、様々な立場の人が役割分担しながら関わり合うことが大切だと思っている。
そんなとき、「ヨソモノ」が「ジモト」を巻き込んで進める地域でのプロジェクトってどうあればよいのだろう。
「ヨソモノ」はどうすればヨソモノ扱いされなくなるのだろう。
これは今までの失敗経験に基づくものなんだけれど、立場の異なる人が混ざり合うコミュニティをつくる上で、私が大切にし(ようと心掛け)ていることがある。
![](https://assets.st-note.com/img/1668817947891-UjWYVjduSp.jpg?width=1200)
ひとつのあんパンを5人で分け合うとき、
「私はいいから、食べて食べて!」
と4つに割って分け与えるのではなく、
「はい、割ったよ~!私はこれ~♪」
と5つに割って、真っ先に自分が食べること。
「美味しいよ?たべないの?」
とか言いながらもぐもぐしてると、
「うわ、たっしー大きいやつ取ったでしょ。ずるー」
とか言われながらみんなで笑ってあんパンを分け合える。
つまり、私自身が心から「ほしいもの」「やりたいこと」のために仲間を巻き込むのだ。
言い出しっぺが「やりたくてやりたくて仕方ない」と分かると、そのパンはめちゃくちゃ魅力的に見えるし、一緒に食べてみたくなる。
一方的に分け与えられると、それがどんなに貴重で美味しいパンでも、こちらがいくら「よかれ」と思っていても、なんだか欲しくないものを押し付けられている感がしてしまうものだ。
そして、こちらはそういう「ふり」をするんじゃなくて、やっぱり心から食べたいと思えるあんぱんを自分自身で見つけることなんだと思う。
私が苦手なパンをすきな人は、他にいくらでもいる。
私はあんまり好きじゃないんだけど、健康に良さそうだし、食べておいたほうがいいよなあ……なんてパンは分け合えない。真っ先に食べられない。
![](https://assets.st-note.com/img/1668819475941-COsiVW90D0.jpg?width=1200)
ひとつのパンを分け合ったとき、ヨソモノもジモトも関係なくなるのだと私は思っている。
地域側から見るとヨソモノは一生ヨソモノ。
それはどうしても拭えない事実で、何十年とそこに暮らしてもどこか越えられない一線がある。
けれど、無邪気にパンを頬張りながら
「美味しいから一緒にたべる?」
と差し出してみるそのひとかけは、そこに見えない橋を渡してくれると信じている。