世界でいちばん幸せな男
エディ・ジェイク 著
これまでは、あまりこのようなジャンルの本を自ら進んで読んでこなかった。
理由は、なんだろうか…ついつい、商業主義的な匂いがして、なんとなく本能的に拒否していた自分が居たのかもしれない。
ここ暫く、"伝える" とか、"継ぐ"という言葉について、ぼんやりと意識が向いている事が多くなったように感じる。
私自身は、特にこれといって、何か後世に引き継いで遺すに値するような伝統技術や貴重な知識など皆無だから、(今のところは)何故、気にかかるのか不思議だけれど、とにかく、珍しく自ら手に取って読んでみた。
アウシュヴィッツ収容所については、有名な映画やニュース、ある程度は学生時代の学びから、それなりに情報は入っていた。
けれど、やはり、自分とは無関係な世界の話で、何か目を背けてきた。
生存者の声に"よしっ!"という心構えで向かい合うのは、もしかすると初めてかもしれない。
どんなに巧みな言葉で綴ったとしても、著者が、
そして犠牲になった600万人余りの尊い生命が、いかほどの疑問や苦痛に苛まれたまま、どんな思いで旅立って行ったか?など、理解することなど到底、不可能だ。
そんな生易しいことじゃない、今の自分の全てを集中させたとしても、量り知ることは無理だ。
そんな覚悟で読み進めた。
残酷で不条理で、これでもかという出来事が淡々と書き記されている。
無意識に、架空の作り話であるかのように距離を保って読んでいる自分に気がついた…。
安易に共感することへの罪悪感めいた葛藤。
常に死の恐怖、というよりは、むしろ、もう、
死そのものを掌に握りしめて、一日一日をいや、一分一秒を懸命にやり過ごしてきた著者。
そんな長い長い歳月を映画を観るように眺めている自分を感じながら読み進めた。一気に。
読み終えてみて。
著者は、なにも、その残虐な事実をもっともっと、怒りや恨みを持って伝えたいだけではなくて、むしろ、
人としての在り方
を信じて伝え遺したいのではないかなと。
著者は、巻末に"謝辞"として、こう書いている。
みずからの口で話すことができない六百万人の罪のないユダヤ人、彼らとともに滅びた文化、音楽、大きな可能性を思ってこれを書いた。
遺したいものは、人種や歴史を超え、憎しみや痛みすらもやり過ごして、人が持てる素晴らしい力なんだな。そんなふうに感じた。
生きているのは幸運だ。
それを忘れてはいけない。
その意味では、いま生きている誰もが幸運だ。
ひと呼吸ひと呼吸が贈り物だ。
人生は美しいものにしようと思えば、
美しいものになる。
幸せはあなたの手のなかにある。