Dark Carnival
Ray Bradbury 著
レイ・ブラッドベリといえば、『火星年代記』や『華氏451度』が浮かぶ方が多いかもしれない。
短編集の処女作である『黒いカーニバル』は、
私も後になってから読んだ。
出逢いは、『華氏451度』の映画だった。
フランソワ・トリュフォー監督。
少しマニアックかも。
当時の私には難解で、これは原作を読んでみようと、読んでみると余計に難解だった記憶がある。
短編ならば、ブラッドベリの奏でる音楽も少しは理解できるかな?と読んだのが、この一冊。
ブラッドベリの小説は、想像力を働かせないと、なかなか入り込めなかった。
人物や場所、時間、状況などほんの少しの描写から、頭の中の引き出しを次から次に開けては閉じて、パズルのピースをかき集めながら、繋ぎ合わせていくようだった。
中でも強烈に印象に残っているのは、
"刺青の男"
グイッ、グイッと活字に結びつけられたロープを手繰り寄せられているように。
読み終わってみれば、ありそうな話だよねと言う人もいると思うけれど。
静かに帆を進めて始まり、炎があがり、また静寂に包まれる。そんな展開を感じた。
そうそう、アメリカの犯罪心理学を扱ったドラマシリーズのエピソードに、刺青に描かれた絵が、事件解決の鍵になるというのがあった。
それも鮮明に覚えていて、蘇ってくる。
ブラッドベリの短編は、ラストを迎えても何故だか判然としないストーリーが多い。
まだまだその先に話が繋がっていく気配がモクモクと霧のように湧き上がってくる。
年月を経て、時間を経てから読み返してみると、また違う感覚に包まれるし、新しい映像が浮かぶこともある。
幾つもの時空が交差して、とぐろを巻いて絡み合っていくようにも感じる。
その世界観に触れた一人一人が、其々の色を観て、空気を吸い、肌で感じる余地をものすごく広々と残してくれている。
見方や解釈は、自由。
ルールも何もなく、それぞれが感じ、思うままに受け止めて楽しめばいいんだな、と。
初めて読んだ時は、何を言いたいのか?どんな意味があるのかさっぱり分からない!と思った。
歳を重ねてから改めて読み返してみて、なるほどな、と。ワクワクしている自分が居る。
予想通りの展開や決まった型の結末は、ある種の安心感をもたらしてくれるけれど、例えそうでも、自分が描くストーリーを広げ、楽しめる自由に遊べる心を持ち続けたいなと思った。
私の筆先が謳う歌も、そんなふうにありたいな。