変わり者たちのドラマ
予想外、予想外の展開すぎるぞ…!
なにがって、最近、全くもって文章を書くことに気持ちが乗らなかったのに、今、猛然と文字を入力している自分に、驚いているのだ。
ここ最近、何かを書きたいという気持ちはあるのに、何を書きたいのか分からないような、うまく言葉がまとまらない日々だったのに…。
それがまさか、ドラマがきっかけで、文字を入力する指に、勢いがつく日になるとは…。
1.「ミステリという勿れ」第10話について
※念のため、原作について私は全く知らないということを書き添えておきます。(タグを覗いてみたら、かなり原作と違いがあるようだったので…)
主人公の整君と先生が交わす、ドラマ最後の会話について、面倒くさく語りたくて、仕方ない。
本当に素敵だった…。
ドラマについて簡単に説明すると。
主人公の整くんは、賢くて、物事をよく見て、よく考え、人が気が付かないようなことに気がつく、一般人の大学生というキャラクター。
そんな彼が、ひょんなことから警察にその腕を買われ、計らずも事件を解決していくことになる、というあらすじのドラマである。(ここで、そんなの有り得な〜いとツッコんではいけない笑)
私にとってこのドラマが特別になった理由は、主人公の「人が気が付かないようなことに気がつく」という性質が、自分と重なるからに他ならない。
これについて説明する為には、一旦、昨年のテレビドラマ界隈の話題作「天国と地獄」について、手短に触れておかねばならない。
ドラマの筋としてはよくある「入れ替わり物」だ。綾瀬はるかさん演じる刑事と、高橋一生さん演じる男(とある事件の容疑者として浮上する)が、揉み合って転落して気がついたら、入れ替わっていた…というのが、この物語の始まりだ。
ミステリーということを除いて、2つのドラマには、一見、何も共通点はない。
しかし、このドラマにも「人が気が付かないようなことに気がつくキャラクターが出てくる」という共通点があるのだ。
「天国と地獄」では「2人が入れ替わっているという、誰もが気が付きも、考えもしない事実」に、綾瀬はるか演じる刑事のパートナー(仕事上の相棒)の八巻くんだけが、気がついてしまうのだ。
整くんとは真逆の、いつも能天気で、おバカキャラの八巻くん。雑用しか振られなくてもバカにされても、卑屈にならない愛されキャラ。
整くんと八巻くんに共通しているのが「周りからどこか浮いていること」
先ほどから連呼している「人が気が付かないことに気がつく」というのは、よく言えば、の話だ。現実は「空気読めないやつ」もしくは「気にしすぎ」とか言われるのが関の山である。(実際、整くんも周囲からは変人だと言われている、らしい)
この2人は、そういう自分に悩んだり苦しんだりする人物としては、描かれていない。
でも、ドラマに出てくる彼らが持っている「人と違うところ」は、物語を動かす鍵になっている。人としての、キャラクターとしての、魅力となっている。そのことが、私には「救い」なのだ。
それを私は、ある人との何気ない会話で、気が付かされた。(そして、その言葉は、時を経ることで、自分の中でますます大きくなり、今も助けられ、救われ続けている)
そして、この話は、冒頭にも書いた、ミステリという勿れ第10話、整くんの大学の恩師の台詞に繋がっていく。
『君はまだ頭でしか知らないことが多い。でも、この先、体験することで、考えが変わることもあるだろう。
それは恥ずべきことじゃない。人に会い、人を知りなさい。それは自分を知るということ』だと、先生は言う。(正確な書き起こしではないかも。悪しからず)
スマホを見て気を逸らしてなければ、親の目を憚らず、泣いてただろうな…。
人と違う部分や未だ体験していないことがたくさんあるというのは、恥ずかしいことじゃない。これから会い、これから知ればいい。様々な出会いのその先で、「私」という存在は、どんな風に変わってもいいし、変えてもいい。これからどんなことが起こっても、人の可能性は、いくらでもあるんだ、と肯定してもらえた気がする。
そして、もう一つ。
放送後のSNSでは、主人公と、とある登場人物を、恋愛にもっていこうとする流れが批判されていた。どうも、そこは原作と違うらしい。
そして、私も、なんでも恋愛に結びつけるドラマの風潮に飽き飽きしている1人ではある。
「恋せぬふたり」の放送開始前感想文を書くほどには『恋愛がなければドラマにならないの?!』と疑問に思う1人ではある。
しかし今回は、無理やり恋愛に結びつけているというよりも、あれは惹かれても仕方がないのでは…と納得する自分がいる。
何せ、1話から徹頭徹尾、サピオロマンティックな要素が溢れすぎているのだ。サピオを自称する私としては、惹かれる気持ちが分かってしまうし、それを一口に恋愛と解釈しなくてもいいのでは?と思ってしまう。
2.「恋せぬふたり」第6話について
今回は、恋愛がある人とない人との対比や、アロマやアセクを自称する人の中にも多様な人がいる、ということを描く回だったと思う。
「恋愛が分からないってことはこういう気持ちも知らずに済むんだから、いいよね…」というニュアンスの台詞は、実際に自分も言ったことがあるし、荒れている時に、恋愛がある側の人間が、思わず、ああいうふうに言ってしまう気持ちが、痛いほど分かる。
交流会のシーンでは《アロマ?アセク?》という名札を着けて「自分がアロマやアセクと自称することに自信はないけど交流会に出ている」という登場人物を登場させるところに、制作陣の意図が見えてよかった。
そのラベルを選択するもしないも、そして、同じラベルを選んでいる中でさえも、1人1人、考え方や向き合い方は違う。「名付ける」という行為はキッカケや拠り所にしか成り得ない。
《普通》というラベルも、《LGBTQ》というラベルも、それだけで、その人自身をまるごと表すラベルには成り得ない。
毎回、普通という言葉で括っただけでは、人間のことを何も分かった気にはなれないな、と考えさせられる…。
………これってまさに『はずれ者が進化をつくる』ということなのでは?! https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480683793/
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?