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イニシエーション・ラブ〜私は彼氏を通過儀礼として利用してるのかもしれない〜

彼氏ができた。人生初の彼氏ができた。そんな私は中学生でも、高校生でも、大学デビューした大学1年生ですらない。大学4年生、22歳だ。卒業まで2ヶ月を切り、講義を受け終わり大学生活も実質終わったかのような大学4年の2月上旬、人生初の彼氏ができた。

今までも彼氏が要らなかったわけではない、ただ単にできなかった。人を好きになったことも何度かあったけど、自らアプローチすることもなく、相手からはただの友達とか後輩とかと思われてるだけ、みたいな(私の中にとっての)恋愛を繰り返してきた。

正直、「彼氏いないと無理」みたいな恋愛体質ではないし、1人でカラオケもおしゃカフェも行けちゃうほどの”おひとりさま”満喫タイプだし、急いで彼氏が必要だと思ったことはなかった。
でも、おひとりさまが好きとか、結婚願望は無いとか、そういうことは付き合うことを経験してから言うべきで、付き合った経験がないのにそう思ってるのは、結局”食わず嫌い”であり”負け惜しみ”ですらあるかもしれないと気付き始めた。そして、経験が皆無だと、次に好きな人ができた時に付き合う段階まで運べる気がしなかった。やはり、恋愛だって経験がものを言う。経験値50とか100とかのみんなの中で、経験値0の私が戦えるはずがない。就職を目前に、人生の夏休みと言われる恋愛し放題な大学生活の終わりを目前に、そんな焦りを抱いてはいた。

そんな私に、彼氏ができた。

バイト先の社員さんに、(私にとっては)突然、告白された。一緒に働いてて「すごく素敵な人」って思ってたけど、その人は30歳で、私とは全然違う人生を歩んできた人で、恋愛対象としては見てなかった。何よりも、恋愛対象として見てなかった1番の理由は、私が卒業・就職するからだ。就職先は東京で、大学があった地域とは違う。2月にバイトを辞め、卒業後は東京に住むことが決まってたし、それはバイト先の人みんな知ってた。バイト先は、(とても恵まれてたから残念だけど)短い期間の人間関係だと思ってた。

それでも、それをわかった上で、相手は告白してきた。「後悔しないために、思いを伝えたい」だけにとどまらず、「(私が)東京に行った後のことも考えてる。俺が会いに行くから、遠距離でも続けられると思うから、付き合いたい」と、真剣に伝えられた。

私は、思い返すとすごく無責任だ。告白にOKし、付き合うことにした。「それまで恋愛対象として見てなかった人に告白されて、でももともと好印象を抱いていたし、相手の真剣な思いが伝わってきたし」という感じで付き合うことは、別に無責任じゃないと思う。「女は愛される恋愛の方が幸せだ」とか言うし、男女どっちだろうと、嫌いな相手じゃなければ付き合っていくうちに好きになることだってある。そもそも、お互いに同じくらい好き同士で付き合う方が珍しいことくらいわかってる。

でも、私は無責任だ。「きっといつかは別れるんだろうな」って心のどこかで冷静に考えながら、「でも今は楽しそうだし」なんて思いに引っ張られて、付き合うことにした。それだけじゃない。無責任な上に私がずるいのは、「良い経験になるから」という理由も、どこかに含まれてるからだ。

「私は無責任でずるい」という懸念は、初めから抱いていたように思うけど、彼氏ができたという話を友人にしていく中で徐々に大きくなり、さっき何気なく『イニシエーション・ラブ』という映画をAmazonプライムで見てから、確信に変わった。(ネタバレじゃないという証明のためにも言っておくと、)私の恋愛が映画のあらすじと似てるとか何か関係あるとかではなくて、”イニシエーション・ラブ”という言葉が私に刺さった。

映画の中で、”イニシエーション・ラブ:通過儀礼としての恋愛”と説明される。初めての恋愛なんて、そんなものだと。

これはまさに私なんじゃないかと、その時思ってしまった。

誰とも付き合ったことがなくて、大人な関係とかもなかったから、当然のようにキスしたこともセックスしたこともない。やり方がわからないことが、恥ずかしいくらいだった。だから私は付き合うことになった時、正直に彼に話した。「人と付き合ったことなくて、キスしたこともないくらいだから、当然、その先なんて全く経験がない」と。彼は多少驚いてはいたけど、全く引くこともなく、「別におかしなことじゃないよ」と優しく言って、「俺がいくらでも教えてやる」と少し意地悪そうに笑った。

ご飯を食べながら自然とお互いに近づいてて手を握り合うのも、
寒い2月の真夜中に手を繋いでポケットに入れてくれるのも、
立ち止まってハグをするのも、
見つめ合ってキスをするのも、
彼の家に行ってベッドに呼ばれるのも、
全部、彼がリードしてくれて、その都度、優しく教えてくれた。

私は、本当に最高の気分だった。好きな人と付き合うことの幸せを初めて味わったし、その恋が、まさに私の理想通りに展開したからだ。彼と付き合う前、「運良く誰かと付き合えたとしても、私の経験の無さから失敗したり相手に引かれたりするんじゃないか」とずっと不安だったから。だから、初めて付き合う人は、そんな私を受け入れて、優しくリードしてくれる人だと良いと思ってた。

そんな彼の優しさに触れる度、こんな私への好意を示してくれる度、私は最高の気分を味わいながらも、罪悪感に胸が痛む。

こうして恋愛の段階を進めるごとに、私は(人並みの恋愛経験がある)”普通の女性”になって、恋愛のスタートラインに立てる気がする。
キスやセックスの仕方も、
そのバリエーションも、
普段の連絡の取り方も、
お互いの呼び方も、
バレンタインのプレゼントの選び方も、
1ヶ月記念の祝い方も、
全部一通り経験すれば、人並みの経験を積んだと言える気がする。

そう、心のどこかで、私は常に”次の恋愛”を見据えているんじゃないか。私を受け入れて優しくリードしてくれる最高の彼氏を、”初めての彼氏”という通過儀礼として利用して、自分を”一人前の恋愛経験者”にしようとしてるんじゃないか。そんな風に思えてしまう。

だって、彼はもう30歳の社会人で、結婚願望は普通にあって、一方の私は初めて彼氏ができたばかりの22歳の学生で、当然結婚なんてまだ考えられなくて、4月からずっと長い間(いつまでかもわからない)離れ離れって決まってて、そんな恋愛、絶対にいつか終わるって思っちゃうじゃん。

それでも、今が楽しくて、幸せで、彼のことが好き(になった)。だったらそれで良いんだろうか。やっぱり経験が無いからわかんないや。


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