出る杭は打たれる

出る杭は打たれる。なんかそう思った話。


とある授業で、この問題への解決策を1人ひとつ述べよ。

そして、他の人の意見に対して批判的な意見を一つ挙げる。

という何の変哲もない課題があったんですね。


他の人とは少し違う意見を書いた。


他の人の案に比べて、私の案に批判的な意見をした人が多かった。


批判されるのは構わないけれど(そういう課題なので)、私のところにだけ圧倒的にそういう意見がくるってちょっとおかしくないか?

なんてことないかもしれないけど何となく疑問に思った。


自分と違うから、自分が考えつかなかったことだから。

それだけで批判しやすい。

自分が思いついたことって、自分が良いと思ったものだし、誰もわざわざ自分を批判したいと思わない。


周りと少しずれているとそれだけで批判の対象になり得る。

そのわかりやすい例がいじめ。あの子は少し周りと、自分と違うから。

それを隠そうともせず周りに合わせようともしないのがムカつくから。


どうせみんなそう。


あの画期的な発明だって最初はみんなが口を揃えてこう言った。

「どうせそんなの無理だよ。」


今では何食わぬ顔でみんな使ってるのにね。


周りと少し違う人がいるから、大衆になれない人がいるから、革新的な発明は生まれるし、面白いアイディアも出てくる。

それはその人が、同化したがる周りに合わせないから。

他の人から叩かれないように目立たないようにしている周りに合わせないから。

自分の思うことをそのままに表現しているから。


自分と違う意見だから変わった意見だからって頭ごなしに叩くのやめませか?

感情は生産性のある議論を呼ばない。

頭の中ではわかっているはずです。


自分の意見の方が優れていると思う気持ちもわかります。


何も全てを受け入れろというわけではないです。

良いところを見つけてそこをうまく取り入れるだけで構わない。


自分の意見にもう少し耳を傾けてもらえる社会になったら素敵だなって思うんです。


「変わった意見が認められる社会」は私が思う理想の社会ではない。

周りの目を気にした、普遍的な意見ではなく、

自分らしい自由な意見をのびのびと発信できて、それが自然と受け入れられる社会になってほしい。


そんなことを思った一件でした。


最後まで読んでいただきありがとうございました。