見出し画像

「エッセイストのように生きる」を読んで

昨年は時間がたくさんあったので本をたくさん読みました。凝りもせず、また書こう(ブログを再開しよう)と思わせてくれた本の1つが松浦弥太郎著「エッセイストのように生きる」でした。

第1章 エッセイとは何か
第2章 エッセイストと言う生き方
第3章 書くために、考える
第4章 書くために、読む
第5章 エッセイの書き方

という全5章構成になっており、おおざっぱに説明すると

第1章、第2章→著書の考えるエッセイとエッセイストの定義
第3章、第4章→書くためのヒント
第5章→具体的な方法論
という感じでしょうか。

私にとって本書は、情報過多の現代において周りに振り回されることなく
自分の人生を自分の手に取り戻すための方法が書かれた本で、マインドフルな生き方の指南書でもありました。

また書くことは考えること、思考を顕在化させることであり、書くことでより良く生きることができる。エッセイストとしての生き方=考え続ける(判断保留の)生き方だ、という部分も頷きながら読みました。

村上春樹もエッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』でこう書いています。

手間のかかる性格というべきか、僕は字にしてみないとものがうまく考えられない人間なので、自分が走る意味について考察するには、手を動かして
実際にこのような文章を書いてみなくてはならなかった。

『走ることについて語るときに僕の語ること』

話を「エッセイストのように生きる」に戻します。

松浦さんは最後に自分のエッセイの理念を紹介しているのですが、それは伊丹十三が映画を作る時にモットーにしていたことをベースに導き出したそうです。

それはそれとして、私が何より目を奪われたのは、伊丹さんが51歳で初めて映画を監督したという事実でした。50歳を超えて新しいことを始めてもいいんだと思うと、この本の趣旨とは関係のないところで勝手に勇気づけらたのでした。おしまい。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集