自己肯定感が低い私が出来上がるまで。
今日は、自己肯定感が低い私が出来上がるまでの話を書こうと思います。
昔を振り返ってみると、つらかった出来事ばかりが浮かんできます。それだけ自分を守ってきたんだなぁと今は感じられますが。
最初の記憶は幼稚園の時。幼稚園の一環で、土曜日はスイミングスクールに行く日でした。私はプールに入るのが嫌で、いつも泣き喚いていたのを覚えている。
見学する日もあったけど、いつもそうではなくて、嫌なのにプールに入らないといけなかった。
幼少期、7歳までは月の時代。月星座の性質を生きて満たし、それがのちに太陽星座の性質で生きていく上で大事なんだそう。
月は生まれつき備わっているもの
太陽は一生かけて創り上げていくもの
私は生まれつきの才能を発揮できていたのか?と考えると、出来ていなかっただろうなと思う。
自分が嫌なことをしなければいけなかったから。
ここで親目線の気持ちを考えてみる。親は付き添っていなかったので、息抜きの時間だったのかな?せっかくみんなと広いプールで水泳が習えるんだし、お金も払っているし…みたいな?
何だろう、ネガティブにしか考えられないですね。
私の中で、親との関わりは自己肯定感が低くくなる最大の要因でした。
小学生時代のつらかった記憶としては、本当は髪の毛を伸ばしたいのにショートカットにされる。これは大人になってから理由を聞いた事があって、短い方がすっきりするからと言われました。
また小学生時代、習い事を何個かしていたのですが、自分からやりたいことではなかった。ちなみにそろばんとエレクトーンとミニバスケ。
エレクトーンの発表会、まぁ笑顔なしでした。嫌々やっていました。今となっては、子どもに簡単な童謡ならさっと弾いてあげられるので、やっていてよかったと思います。
じゃあなぜ当時はこんなに荒んでいたのか?確実に母親とのコミュニケーション不足だろうなと思います。母親の真意が全く伝わらなかった。
そして私の気持ちも伝わっていなかった。というか、伝え方がわからなかった。自分で自分を認められないし、自分は自分で良いんだ!とも思えなかったから。
だからなのか自分の顔がすごく嫌いで、写真を撮られる事も拒み、当時の写真は全然笑っていません。家族と旅行に行ってもムスっとして、母と出かけるのも嫌な時期がありました。
当時はもちろん自己肯定感という言葉すら知らないので、ポジティブになる術を持っていませんでした。これは今でも引きずっています。
私の10代は他にも色々と嫌なことがあったので、非常に生きにくい時代となりました。よく頑張ってきたよなぁ…と今は認めることができます。
なぜ今向き合っているかと言うと、たくさん意識しないと自己肯定感を高めることが出来ないから。負の連鎖に入るのはすごく簡単なんです。
今までそうやって生きてきたから。
どうせ私なんて。私が我慢すればいいんだ。私には居場所がない。私って何だろう。
あゆのA song for を聴くと今でも涙が出ます。私の気持ちを代弁してくれていた。
中々根深いですよね。
でもnoteに書くことによって、自分を理解し、認め
これをチャンスと捉えて変わっていきたいと考えています。
私には目標があるからです。
もし今、自分と戦っている人がいたら。
たくさん自分をハグしてください。自分が心地よくなる事を一番に考えて。
今日に至るまで十分頑張ってきました。
私は甘いものをやめる宣言したけれど、今日はアイス食べます!アイス食べて満たされるなら!
朝目覚めたらカーテンと窓を開けて、ピャッと見た目だけも布団を整えてから起きてみましょう!それだけでいろんなことに気づくはず。
私は子どもと流れていく雲を見たり、鳥の鳴き声を聞いたり、風の音を聞いたりしています。
今日も生きられてよかったー!
極論ですがそれに尽きます。