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こだわりを捨てたい

日常生活における些細なこだわりが多すぎて、自分の首を絞めている自覚がある。

たとえば手洗いなどの帰宅後の流れが細かく決められている件は、以前なにかの記事で少しだけ触れたと思う。実際に数えたわけではないので具体的な一日の手洗い回数は不明だが、かなり病的なところまで来ているのは家族から指摘された。
高校や大学の頃もアルコールジェルを常に持ち歩いていたし、昼食後は必ず歯磨きをしたり、部屋着と外出用の服で行動する範囲を自分なりに分けていたり……"内と外"の意識が強くなにかと衛生面には細かかったところに、コロナウイルス流行が拍車をかけた。

夏でも手の乾燥やささくれが酷く、夜の歯磨きに40分ほどかかるのは小さな悩みではある。いくら手洗いうがい等を徹底したところで風邪をひくときはひくし、長時間のブラッシングは無駄だから。気にしないで済むのなら良いのだけど。

物心つく前から綺麗好き、というより「汚い」のハードルが低いことはわかっていた。
レストランの革製のソファ席や子ども用の椅子には直接座れなかった。なんだか表面が油っぽく感じ、隙間にゴミや食べ物の汚れが溜まっているような気がして、親の膝に座るか木製か清掃性の高そうな金属製の椅子に座るようにしていた。さすがに今は座れるようになったが、場所によっては浅く腰掛けたり、椅子の好き嫌いで店を選んだりすることもある。ちなみに芝生やベンチなど、自然の汚れ(?)はそこまで気にならない。ピクニックやバーベキューは問題ない。むしろ公園や川遊びは好きだ。帰宅後は速やかに着替えるけれども。

そのほか、熱があってもシャワーを浴びないと眠れない、夜に美容院に行った日もシャンプーしないと不愉快、外に持ち出した物(スマホとか)はアルコール消毒しないと家で触れない……などなど、「外出した自分の身体」「外の空気に触れた物」の生理的嫌悪感が拭えないがために欠かせない行動は多い。図書館の本も今は借りられない。
実際に紫外線で除菌されているかとか、不潔な人が借りていないかとかは問題ではない。あくまで気持ちの問題であり、論理的な根拠はないので。なぜ20代前半までは平気だったのか謎である。

治したほうが健全だろうなあ。
認知行動療法は有効なのか?
そう考えることもあるが、かかりつけの心療内科に相談したところで増薬されることが目に見えているので、なかなか話す気にもなれず。精神科ならカウンセリングやグループセラピーなどに繋げてくれるのだろうか。


仕事のやりかたに於いても自分なりの一日の流れがあるけれど、基本的にマルチタスク+イレギュラーが発生しやすい職場なので、朝に頭のなかで計画した手順のまま完遂できることはまずない。中断させられたり優先順位を変更しなければいけなかったり。勤め始めはそれがストレスで辛かったが、さすがに今は慣れて当たり前のこととなった。唯一ノープランを好むのは休日と旅先での過ごし方くらいか。

こういう諸問題に心身が擦り減る理由として発達障害を疑ったこともあるが、すくなくとも現在に至るまでそう診断されたことはない。単にこだわりの強い人間というだけだ(紛うことなき強迫神経症ではあると思うが)。

諸々のこだわりや自分ルールを減らすことができれば、一日をより効率的に過ごすことができ、荒れた指先ともさよならできる。したい👋
こだわることで減る不快感と得られる安心感の裏には、こだわれなかったときに押し寄せる巨大な不快感への不安と何らかの犠牲が発生している。その矛盾に疲弊する。

無駄な鎧は脱ぎ捨てて、どっしり構えていきたいところ。


どっしりしてる。うーんNirvana

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