見出し画像

二度と交わらない線路

お正月休みには映画をいくつか観た。深夜にテレビで放送されていたもののひとつが『スタンド・バイ・ミー』。観たことはなくとも、タイトルくらいは耳にしたことがある人がほとんどだろう。アメリカ映画の名作。私も何度か観てきた。

私はホラー映画も含めたファンタジーやSci-fi、サスペンスなどが好きなジャンルで、ミュージカルやコメディ(洋画限定)も観るが、ヒューマン系やドキュメンタリーなど、非現実的な展開に乏しい作品にはあまり興味がわかない。勉強として観ることはあれど、エンタメとして積極的に消費することはない。
『スタンド・バイ・ミー』も何か劇的な出来事を描いているわけではないので、私にとっては一見魅力に欠ける作品なんだけれど、なぜか例外的に好きで視聴の機会があれば逃さないようにしている。

線路を歩いたこともなければ、銃を手にしたこともない。不良と対峙したこともなければ、隠れて煙草を吸ったこともない。作中の少年たちのような荒っぽい遊びは知らないし、なにより育った国も時代も違う。雰囲気や音楽はレトロで好きだけれど、舞台設定自体にノスタルジーは感じない。

共感できる要素はさして多くないはずなのに、どこに惹かれる理由があるのか。「名作たる所以が理解できないんだけど……」という意見も、まあ理解できなくもない。
永遠ではない子ども時代の友情という郷愁を誘うようなユニバーサルなテーマ。今はないが昔は確かにあったもの。それに尽きるのかなと思った。

それぞれの家庭の事情、進路、大人への不信感。死体探しの旅の道中でさまざまなトラブルや葛藤と向きあいながら、すこしだけ大人になって町へ帰ってくる四人。あの夏の友情は本物。それでも「中学に入ってから疎遠になった」というのが物凄くリアルだ。町を抜け出して作家、弁護士になった二人と若くして父親になった彼、刑務所に入った彼。語り手と最も親しかった弁護士のクリスはバーでの争いを仲裁した結果、亡くなってしまう。それぞれが違う道を歩んだ。四人が揃うことは二度とないし、12歳の夏は戻ってこない。

汽車に追い立てられるように皆が大人になった。共に歩んだ線路が再び交わることもないだろう。それでも、あの夏の日に結ばれた確かな絆が無かったことにはならない。目を凝らしても見えないほど遠くても、振り返れば必ずそこに在る。

多くの人にとってもそうだろう。人付き合いが苦手な私にとってさえも。あの頃の友人が今どこにいて何をしているのか。SNS全盛期、総監視社会。人と別れるほうが難しいこの時代でも、そんな人がたくさんいる。そして彼らと過ごした日常や受け取った言葉が今の私に繋がっている。

ただの過去になってしまった彼らに対する寂しさ、頭のどこかに片付けられた思い出があることの温かさ。それが私の血となり肉となって、今も生きていること。心臓を指先で摘むみたいに、静かに感情を刺激してくれる。めちゃくちゃ現代風にいえば「エモい」。記憶から遠ざかった頃、コーヒー片手にまた観たくなる。そんな映画。

ブラックで飲むコーヒーはいつもよりちょっと苦い。舌に残る渋みを楽しめたとき、作家になった彼と自身が重なる。パソコンの電源を落として、私もまた日常に戻ろう。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集