世代の垣根

 70s、80s、90s、00s、10s…様々な世代があるけど年齢の移行というのは変わらないと自分は思う。
さよならを教えてをプレイしている。主人公が奇妙な世界と向き合うお話なのだが、「思春期特有の感傷的な気分」というのが出てきた。
主人公は、おおよそ若者だし、何も30年の熟した心を持つわけじゃない。
30年もすれば人生がどこまで奇妙な物か理解できるだろう。
絶え間ない謙遜の中では、自らの声も大きく張り上げられない。でもそれが理解できる頃にはむしろ人生の折り合いを理解できてる頃だろう。
このゲームにはいい歳をした中年は出てこない。
親は気づけばもう50歳を迎えていた。そんな親から出る言葉は当たり前のように「現状維持」。
「思春期特有の感傷的な気分」というのは、自分の存在という価値への高まりは若者の特徴的な要素なのだろうか?ある者は価値を高めんとバイトをし、ファッションをし、何かしらの態度としてその価値が出てくるものだ。
思春期特有というのも、いわば人の年齢の意味を説いているのだろう。いわば、思春期らへんの年齢の子は自分のことを見つめる時期だ。社会でどう出るかどう動くかと。
思春期には、周りの子と同調するか孤立するかでも大きく変わるものだと思う。たとえ周りの子が変わっていたとしてもだ。
このゲームの主人公はまだ30歳以降を生きていない。だが、それまでの経験はある。
親の影響もあってか、感傷的な気分でいた彼が、唐突に勉学熱心になるその感じは、正しくその変化を表しているだろう。
emoが現れようと、メンヘラ謳いながらも、いずれなんだか不思議と社会に溶け込むその姿は不思議な気がする。まあそうでもない奴はごまんといるわけだが。
ここの部分は教育が重要視されてきたりもする。悪い教育と環境に恵まれた子供は自然と悪い方向に行きやすい。特に自死に追い込まれた子には特に悪い人たちとの付き合いに悪い親の態度が現れやすい。
自分的に、いわばこの「思春期特有の感傷的な気分」に使う薬は安定感や優しさなどの、好意的な感情と、倫理観と責任感という基盤だと思う。
安定感が無ければ自死に追いやられ、基盤がなければ就活などという溝に落ちるわけだ。
大人はこういう溝に落とさないために勉強をさせる。しかしそれに尽力するかは子供次第だ。むしろ尽力していようが、安定感が無ければそこから不登校などでいろいろと解れてしまう。
こんな時にどうするのだ。と言う話だが、むしろ私はもうどうしようもないと思っている。ならばむしろ安定性と基盤もどちらも強引に補っていくしかないと思う。
人が「思春期特有の感傷的な気分」に浸ったときには「大人の人生の厳しさ」が必要だと思う。
何でもかんでも完璧じゃいられないし、何でもかんでも終わりが来るものだという現実。綻びた人生には何も普通は望めない。今でも人生を普通で押しきれてる人間はいる。しかしみんなそうではないのだ。
平然なんて求めないでいいし、自由や平穏を求めないで良い。しかしそれを求めていないといつの間にか終わりを感じる自分に恐怖し始める。
ならば、むしろ安定的な生活を望むべきなのではないかとすら思える。
睦月も、主人公も感じている終わりへの不安。何かの欠片が自分から落ちた時のあの恐怖。そしてその周りにあるまた崩れ落ちそうな自分の欠片を必死に取り繕うよう頑張る姿。だけどそれを見るのが難しくなるのが思春期の時期だと思う。
周りは極端に変わり始める。今まで見てきた価値観が変わってしまうのだ。そんな中で、教師からの体罰や性的な暴行、もちろん親からも。悪意のある大人からの攻撃、周りからのいじめ、卑怯なまでもの屈辱はありえる。だからこそ、安定した生き方を目指すべきなんじゃないかと思う。でもそうは簡単にいかないから自分の傷へ少しずつ絆創膏をやるべきなんじゃないかと思う。
最近はしみじみと感じる。美しかった世界が急に色褪せて見えてしまう気もする。中学校からはこの世の灰色さが増している。しかし、高校三年生になってようやく世界が色づいて見え始めてる。だけど一部は蛍光色の様にきらびやかで、一部は闇の色をして不安定だ。だけど、僕たちは生きるしかないという生物学的、むしろ唯物学的な運命に立たされて、神などを信仰する間もないこの現代社会にどのような生き様を残せるのだろうという自分の価値への憧れと、怖さを感じているのだ。


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