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コーチが伝える面会交流と共同養育との違いとは。

「面会交流と共同養育の違いとは?」

最近、この質問が
クライアントさんや離婚当事者の方から増えてきました。


今日は言葉や用語の意味というよりは、
親自身の親として感じているもの、子ども自身が子として感じているものとして、私の考えを書いてみました。


前回書いたこちらの記事↓↓↓

ここに出てくる3つ目の共同養育のようなケース(月に1回会う程度)の場合、果たしてそれは共同養育と言えるのかどうか、、、と言う疑問を持たれる方が多いようです。


確かに、直接関われる日数が限られているとそれは「養育」になるのか?疑問ですよね。



そこで

共同養育の定義とは


google先生に聞いてみたところ

共同養育とは、父母が共同して子どもを養育することで、特に父母の別居後・離婚後も引き続き共同して養育すること。また、共同養育は英語ではコペアレンティングなどとも訳され、それは拡大的な定義では育児が集団全体に任されているような形態まで含む可能性も示唆されている広い概念である。共同保育とは違うので注意。

と、このように出てきました。

確たる定義はないのです。
父母が子どもの養育に「関わっている」ことを指すのですが、つまりは養育費を払っているだけでも、本人が養育をしていると意識さえあればそれは「共同養育」とも言えるのが現状です。


現在の日本では、そもそも共同養育という概念があまり定着していないということもあり、実際に行われている共同養育とは別居親子が月に数回会う程度のものであっても共同養育と言っているものがほとんどでしょう。
親がそう意識をしているか否か、といったところでしょうか。


たとえ会う回数が少なくても、現状に満足している方はもちろんそれでいいのだと思います。


ただ親自身、特に別居親さんからしてみたら、可能であればもっと日常的に関わりたいと思っている方も多くいらっしゃいます。
もちろん同居親さんも、もっと関わってもらいたいと思っている方もいらっしゃいます。

みなさん「子育て」をしている実感についておしゃっているのですよね。



何をもって共同養育と言えるのか


では実際に共同養育とは何をもって共同養育と言えるのか、私なりに考えてみました。

養育というのは上記の通りとても広義なものであるなら、日常的に関わり子どもを育てるという行為は、言葉の上では「監護」にあたります。


面会交流でこの「監護」はできているでしょうか?


日常の様子はあまりわかなくても月に数回会う程度であっても親子関係は築いていけることは確かですが、ただそれを「監護」と捉えることは少し厳しいようにも思います。(裁判所では「子の監護に関する処分」とは言いますが…)

交流とはあくまでも交流なのです。


子どもの目線で考えたらどうでしょう?

例えば婚姻中、仕事が忙しく子どもに関わる時間が少なかったとしても、子どもはどう感じていたのでしょうか。
遊べないことなどへの不満はありつつも、一緒に過ごしていることで常に親の存在を感じることはできていました。
少しの言葉を交わすことからでも子どもはたくさんの刺激を受けて育っていました。


そこには、子どもの日常にお父さんお母さんが居る土台があったからなのです。


ところが両親が離婚をし、片親とは離れて暮らすことになると、月に数回会う程度で日常的に別居親を感じることはできるでしょうか。



子どもは別居親を感じながら育っているでしょうか。


いろんな方のお話を聞かせていただいてきた中で、親自身の子育ての実感はもちろん、一番大きなポイントはここにあるのだと思いました。

子どもが両親それぞれを日常的に感じて育っているかどうか。


確たる定義がないので面会交流も共同養育と言えますし、違うとも言えますが、これがあるかないかの違いではないかと思うのです。



私自身、面会交流は月4回と頻回ではあったものの、それでも娘の中では日常的なお母さんではなかったのです。

ある時、偶然出先で会った時がありました。
娘は面会交流の日はいつも抱きついてくるのに、その時はとても戸惑っていました。
父親や祖母の手前もあったでしょうが、いつものように気持ちのまま行動できない自分を感じているようでもありました。
それだけ父親宅での日常に、私という母親は娘の中には重ならないもの、非日常だったのではないかと思いました。

現在は父母両方の家で気兼ねなく過ごせるようにもなってきたようであり、自由な行き来を謳歌している娘です。


子どもは大きくなればなるほど、自分の世界を築き親と過ごす時間は少なくなっていきます。
その世界へ自立して羽ばたいていける土台をたくさん作ってあげられるのも親だからできること。

親と過ごす小さいうちは特に、十分な共同養育は必要であると実感しています。


今後私たち大人は離婚の際に、住んでる距離やお互いの仕事の状況なども考慮しながらも、子どもの日常的にできるだけ両親が”居る”環境を創ることが求められているのではないでしょうか。


両親が子育てに関わる意識も大切なのですが、共同養育とは意識よりも状態。

子どもが日常的に両親を感じながら育っていける状態のことを共同養育というのではないでしょうか。


頻度や程度を定義できないからこそ、
そこで何が育っていけるのかを忘れずにいたいですね。


と、あくまでも個人的な意見ではありますが、
共同親権な社会を目指すのであればなお、私たち大人の意識もそろそろ面会交流の域を出ないとなりません。




それが共同養育で、監護、お互いに子育てに関わっていると言えるのではないかと思いました。


読んでくださり、ありがとうございました。



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